「WINDの午後日記」

無事に筋腫の手術も終わりました。これからの「人生の午後」をのんびりつづります。

不安について考えてみた (2)

2016-09-21 15:47:30 | 不安について
(「不安」について書いている前回記事の続きです。 前回の記事はこちらです)

不安になると、激しく動悸がするものですが、
前回書いたように、当時の私の場合は、別の理由により先に激しい動悸などの症状があり、
それを脳が不安と認識してしまった、というのが当てはまるような気がします。
動悸が収まらない限りこの不安も収まらないという感じでした。

ところで、動悸ってなにが辛いの?と、体験のない方は、おそらく、思われることでしょう。
恋だって、ドキドキするわよ。と。
まったくですね(笑)
私も自分が体験するまではそうでした。
「求○」の「動悸・息切れに……」というCMをみるたびに、そう思っていました。。

冒険やバンジージャンプなど、わざわざ体験したくてするドキドキと、不安のドキドキとどう違うのかと問われるとこれまた説明しづらいですが。

何かに襲われる瞬間に恐怖で胸がぎゅっときしむような感じや、
とんでもないことをしでかしてしまいざっと血が引くような焦りが、
一瞬ではなく、ずーーーーっと続いているという状況、あるいは
「ここを出せ! 早く動け!!」と胸の内側をこぶしで激しく叩かれながら怒鳴られているような感じ…
どれも充分に説明はできていませんが、
ともかく身体的にこんな状況が何日も何カ月も、場合によっては何年も続く状態……

私の場合は、かなり激しい動悸が三年つづきました。ほぼ一日中。
夜布団にはいっても心臓がバクバクして息苦しくて眠れず、気を紛らわせようと何度も何度も寝返りをうち、なにかとんでもなく迷惑なことを知らずにしでかしてしまったのではというような不安や、こんなことはしていられないというような焦燥感が絶え間なくやってきて、体がびりびりと痛む。
「異常事態だ、なんとか事態を改善しろ」という私の脳が発するサインが、ガンガンと鐘をならし、こんなことしている場合ではないとがなり立てている感じ。

じっとしていられないのでジタバタともがき、そうして長い時間の後ようやく眠りに落ちるのですが、
朝目覚めた瞬間から、こんなことをしている場合ではないともう激しく動悸がしてるのです。
常に体がこわばって緊張しているせいか、内臓が地面に引きずり込まれそうな倦怠感に襲われていて、
それでエネルギーを使い果たしてしまうので、何かを楽しいとか、うれしいとか思う余力はなく
ともかく不安で不安でたまらなくて、いてもらってもいられない感じで……。
ああ、語彙が不足していますね(笑)。
もっとうまく表現できる方法があればよいのですが、私の日本語力では無理でした。

ともかく、目先のこと、身の回りのこと、あるいはもっと先のこと、いろんなことが不安で、
それは、取るに足らないことだったり、実際に起きもしないことを不安に感じているというバカらしさもわかっている。
でも、止まらない。
当時仕事でちょっとうまくいってなかったせいもあり自己評価も低下気味でしたから、そういうのもまた焦燥感にひどく拍車をかけていたことの一因だと思いますし、
父のことで死が常に近くにあったせいで、自分や家族やペットの老いや死が身近にせまってきているように思え、いたたまれなくなってきているというのもありました。

それはさらに細かいところまでエスカレートして、例えば
ペットが窓から逃げてしまったらどうしよう、知らないうちに洗濯機に入ったらどうしよう、冷凍庫に入っていたららどうしよう、電子レンジに入ったらどうしよう、(あとのほうは可能性としてはほぼあり得ません!)
たとえその一つの不安をとりのぞいても、脳は次々と不安を探し出してくるのです。身体症状にみあうような不安の原因を常に脳がサーチしている状態。

そして、いったんこういう酷い不安状況になったときに、
もっと大変な人がいる、とか、
○○さんの方が大変だ、とか、
そんなことで大げさだ、などという意見は、たしかに正論には違いないのですが、
決して今、現に起きている身体症状を止めることはできないのです。
それを止めることができない以上は、連動して起きる不安もとどまることがないのです。

どうやらこれは、「不安神経症」と言われていたものだったようです。
現在の正式名称は、この不安がある程度の長さずーっと続くのが「全般性不安障害」で、 (私の場合はこちらですね)
これとは違って、短い時間に極端にひどくでるのが「パニック障害」といわれるもののようです。

診療内科で薬を出してもらうことを薦めているサイトもありますが、
私は、そもそも薬をやめたことが最初のきっかけになっていましたから
絶対に薬を飲んで治すことはしたくなかった。
一旦それで症状をおさえても、再びその薬をやめるときにかえって悪化するのは間違いないと思ったので。

せっかく五合目まで登ったのに、また一合目からやり直すようなものですものね。
とはいえ、これはあくまでも私の意地というか、こだわりで
もしこれをお読みの方で同様の症状がある場合には、素直にお薬に頼った方が良い場合もあるかとは思いますが。

そうして私の場合、意外なことに現実的な危機がある場合の方が少し不安が収まっていたのです。
たとえば、子宮全摘の手術方針がきまって、いよいよ手術を受ける緊張の中にいるときや
脳動脈瘤がみつかったとき、そういう時はむしろとりとめのない不安は薄められて、
より「現実的な」不安の中で比較的落ち着いていました。

もしかしたら、そういった「わかりやすい」危機の場合はむしろできることが限られているために、
脳は、この状況を脱する方法を探れ、という警報を大々的にならさなくてもよかったのかもしれません。

           ***

この件をこうやって長々と書き留めようと思ったのは、
私の場合、きっかけは長年飲んでいた薬を飲むのをやめたことでしたが、
自律神経の不調ということが発端なのであれば、
たとえばホルモンのバランスが崩れたときや、
他の化学物質にさらされたときや、
あるいは、幾重にも重なるストレスの影響があったとき、
また似たような症状が出る可能性があるのではないかと思うからです。
そのときに慌てないように、絶望しないように、自分で治していけるように。

佐野洋子さんのエッセイに、自律神経の不調の辛さを書いたものがありました。
がんの治療も経験されたのですが、それよりも、こちらの方がつらかったと。
私の分際で、軽々しくそれをわかるとはいえませんが、
しかし、確かに自律神経の不調をなめてはいけないと思っています。

まあ、そんな中、夫にはずいぶんと助けられましたけども。なぜなら無関心なので(笑)
私のしんどさを、「ふーん。」とパソコン画面をみながら聞き流しているので、
普通なら腹がたつところですが、当時そのエネルギーも失っていました。
これを面と向かって「自分の方が会社で大変だ」とか、「その程度で大げさな」とか正論で非難されていたら、やばかったかも。
うちの夫は、「気にしない人」で、どうしたらそこまで気にしない人になれるのか。むしろ不思議です。

私がこんなに不安でぐるぐるしていたことも、多分知らないでしょう。言ってはいるけれど別に理解はしてません。否定もしません。
聞いてるけども、聞いてない。ほかのことを考えている。
人に無関心なだけではなく、割と自分の状況にも無関心。
自分が否定されるような場にでても全然平気。お偉いさんに会おうが、海外で場違いな場に参加しなければいけないときでも全然ひけ目感じてない。

あまりにいさぎよ過ぎて、かえってこの無頓着さがうらやましい。
むしろ見習いたいです(笑)

          ***

ともかく時は流れ、今は多少心配性という程度まで治っていると思います。
リアルな人間関係では自分のこうした不安を話したことはありませんが、
ブログでその都度いろんな気持ちを吐き出させてもらったのもよかったかもしれないと思います。

仕事も細々ながら以前よりは順調にできているし、体調もずいぶんコントロールできるようになってきました。
うまくいくときも、いかないときもあるけれども、それはそれ。
うまくいかないときは、もちろん自分の能力不足を感じて果てしなく落ち込みますけども、
まあ、それはそれ、です。

ここまで来るのに、ほぼ五年かかりましたね。

のど元過ぎると熱さを忘れがちなもので、あのころの状況はよく覚えているようで、あまりよく覚えていません
冷静に考えれば、今はあの頃よりもはるかに良くなって楽に暮らしているのに、そのことの感謝も忘れがち。

でも今もほんの少しだけ不安の症状は出るときがあります。
今はなんとか常識的な判断で乗り切れているけれども、
それでもまたいつあのひどい「不安」に襲われることになるのかもしれない。
「あいつ」(「不安」のことです!)は、もう理屈もなにもまったく通じないやつなんです(^^;)。
ただでさえ、更年期や老年期は不安に襲われやすい。
なので忘れないように、つらつらとしつこくかいてみました。

未来の私へのメッセージ。

もしまた不安発作に襲われた場合には
そういうとき、人に話して救われることはあまりないし、薬も、あまり信用できません。

不安になったら、まず目の前にあるできることをする、
目の前のできることを一生懸命して、できないことはしない。あたりまえですが。
そして、自律神経によさそうなこと、
体を動かしたり、日光にあたったり、
湯船につかったり、早寝早起き、掃除をする。
体によさそうなものを作ってきちんと食べる。
手を動かす。物を作る。
自分に小さいOKをたくさん出す。

まあ、しんどい時は、こういうこと自体をする気力が衰えているので
実行するのはそれほどたやすくはないですが、気持ちとしてはこういったものをめざす、という感じで。
そして、呼吸に集中する。呼吸を深くする。
複雑なことや、自己評価をあげるための「壮大」なとりくみではなく、
むしろ簡単にできる目の前の単純な作業に焦点をあわせる。

結局のところ、完全に幸福で不安のない状態なんてないのだから、そこを目指しても仕方ない。
どれだけ目の前に集中できるか。
自分ができるのはその程度なのだろうな、と思ったりします。

「進化心理学」の考えによると、
人間は、生存にとってなにか不都合な状況に置かれたとき、「警報」として不安な気持ちを感じるという仮説があります。
それは熊が襲ってきそうなので防御の必要があるということかもしれないし、
感染症で死ぬのをなんとか防ぐ工夫をしなければ、ということなのかもしれない
集団から疎外される事態(原始人にとってそれはすなわち死を意味するので)をなんとか改善しなくてはならない、ということかもしれない。
ともかく不安は、「取り除くべき不都合な状況がある」ことを知らせて、
「早く状況を把握しろ」、「原因を突き止めろ」、「こんなことしている場合ではない、改善しろ!」という「警報」の役割をしている、というのです。

居ても立っても居られない、という感じは、つまりこういうことなのでしょうね。
もし不安を感じることがなければ、おそらく人間ははるか昔に死滅していたのだろうと思います。
不安を感じ取り、それに応じて何かしなければならないと焦り、
そうして実際に改善して生き延びることができた人々のみ子孫をのこすことができた。
我々はその子孫、ということなのだと思います。

もし現実的ではない不毛な不安のグルグルに襲われたら、
それはきっと遠い先祖である古代人からの「しっかり行き抜け」というメッセージなんだと思うことにすればいいんです。
自分が無能であっても、役立たずであって、取るに足らない存在であっても、なにか大きな失敗していても、そんなことはどうでもよいのです。
不安は、「今、適応にとって不都合な状況が起きている」かも、と脳が教えてくれているだけです。
この「かも」が大事。絶対じゃないのです。

現に生存しているのだから、多少不都合でもそれでいいのです。
なので、とりとめのない不安に襲われたときは「ああ、また先祖からメッセージが届いちゃったよ」と、
そうおもったまま、その感情はただ抱え込んでおくだけでよいのです。きっと。
今はともかく目の前のことをする。それだけです。

             ***

もしまたとりとめない不安に襲われたときには、こんな感じで対応していく(予定)!
長期的な視野はもちろん大事だけれども、ひどい不安の最中には自分の処理能力自体が落ちている。
そんな時はあれこもこれもと手を広げずに、とりあえず目の前に集中。その方が症状が長引かないと思います。

また少しずつ書き加えるかもしれませんが、
いったんここでおしまいにします。

こんな長文ブログになりまして失礼いたしました。
おつきあいくださった方、もしいらしたら、ありがとうございました。


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不安について考えてみた (1)

2016-09-21 12:12:17 | 不安について
更年期の症状の一覧に、よく「不安」とありますが、あれはいったい何なのか。
不安について存分に語れるほどの知識も人生経験も持ち合わせていないのですが、
このとらえどころのないものの正体について、
今後の自分のためにも、思いついたこと、体験したことをつらつらと書き留めておこうかと思い立ちました。

やたら長文で、そしてほぼ独り言のような内容です。ご容赦ください<(_ _)>

            ***

まず自分と不安とのかかわりについて記録しておこうかと思います。
しばらく前のことになるのですが、数年にわたってひどい不安症状に悩まされていたことがありました。

きっかけは、自律神経系の症状の改善のために出されていた薬をやめたことでした。
それまで10年ほどにわたって病院で出された薬を言われるままに飲んでいたのですが、
それほど強いものではないようでしたので、あまり気に留めていませんでした。
肩こりとか、寝つきが悪いとか、そんな症状によく出されるわりと一般的な薬です。
ただ、2011年の震災で薬の供給が一旦途絶えたので、それをきっかけにその薬についていろいろと調べた結果、
副作用が多く、長く飲み続けるとやめるときにかえって症状が悪化する薬だということが分かり、
これは今のうちにやめた方がよいのでは、と思ったのです。

そのときにネットを検索していて気になったのは、
この薬を減らすときに「不安などの離脱症状が出やすい」という記述。
離脱症状をおこさないために一気に減らさないように、との注意事項が方々で記載されていましたが、
今思えばこの時点で私はまだ「不安」とは何かをよくわかっていなかったのです。

決して突然にやめたわけではありません。
ネットのたくさんの記事を読み、医者にも相談して、
本当に少しずつ、すこしずつ、
薬が減ってきたことを体に気付かせないように、錠剤を小さく割ったりけずったりして、
一年かけて徐々に減らしたのですが。

しかし、見事にでました、離脱症状!!
これは予想を超えてすさまじいものでした。
そういう症状が出やすい体質だったのかもしれません。
うまく説明できないのですが、よく乗り切れたと思います。

おそらく人間は一つのストレスならば回復できるのですが、
しかし、立て続けに襲ってくるストレスが許容量をこえると、回復できなくなるのです。
このときは、薬をやめたことに加え、いくつかのストレスが重なりました。
そういう意味ではもっとも悪いタイミングで減薬をしてしまったのだと思います。

人間の脳の原始的な部分は、身体に感じるストレス、たとえば、暑い、寒い、人密集しすぎ、人いなさすぎ、痛い、電流刺激などなどを、ストレスと感じるわけです。
いままで脳に供給され続けていた物質がはいってこなくなった、というのもそういう広い意味での「ストレス」なわけです。
我慢したとか、他の人は平気だったとか、もっと大変な人がいるとかは、この際関係ありません。
脳の真ん中の原始的な部分の反応です。自分の意志ではコントロールできません。

本来それを、脳のもっと高度で人間らしい部分が「まあまあ」となだめたりするわけですが、
あまりに多くのストレスがかさなると、この「まあまあ」という働きが足りなくなってしまうわけです。
おおざっぱすぎる説明ですが(^^;)

この時期、そもそも薬をやめたきっかけになった震災がありました。
うちは古い団地の高層階だったのでその後の余震のたびに、かなりひどくゆれ、地震酔いがひどく、
もちろん日本中にもっと大変な状況の人はたくさんいて、それに比べたら何でもないことです。
ですが、それが心理的につらいかどうかという問題ではなく、明らかに身体には影響がでていました。
原始的な意味でのストレスはかかっていたと思います。

おそらく、この揺れのせいで、かわいがっていたペットが食欲を失い衰弱し、やがて亡くなってしまいました。
そして日々多くの情報が飛び交いました。
放射能のこと、水のこと、食べ物への影響、経済のこと…、
不安を感じるニュースを刻々と受け取り続け
同時に、このころから仕事の面でいくつかのトラブルが重なり、
長いこと仕事をさせてもらっていたお客様との取引が終了することになってしまいました。
今まで心を通わせて長く付き合いのあった人たちと、こうして縁が切れてしまうのは、自分にとってはとても悲しいことでした。

            ***

あわせて、この時期脳梗塞で体の自由を失った父の病状はどんどん悪化していきました。
一つ一つ機能を失い、いつ亡くなってもおかしくないような状態となり
自分は、生と死と、どちらに焦点をあてればよいのかよくわからなくなっていました。
最終的に介護は五年に及びました。
発症して二年くらいまでは、きっと改善すると思って懸命に介護をしていましたが、
回復しないことは目に見えており、
だんだん「死」というものがじわじわと日常にはいりこんできて
どちらの方向に向かって努力すればいいのかわからないことになっていきました。

最初私は、一時間ほどの距離のある実家に、週に数回通って介護を手伝っていました。
一方、父の病状の悪化にともない介護している母のストレスがたまり、やがて攻撃の矛先が私にむきはじめました。
母は、私が全力で母を支えて当然だと考えていました。
「わたしと○○(私の名)は一心同体でしょ、○○込みの介護でしょ」とたびたび言っていました。
もともと自宅介護は無理だという周囲の反対をおしきってどうしても自宅で父を看たいと強固に主張したのは母なのですが、母親のなかで、姉、私、妹のそれぞれの役割分担ができていて、
姉は遠方にいて、上京したときに精一杯もてなしてあげたい対象、いわば「長男」のような役割、
妹はみそっかすで面白おかしく、ときどき気まぐれにふらっとごはんを食べにくる「道化」のような役割、
そして私は、愚痴をきいて、母をなぐさめる、一心同体で母の気持ちを理解し、常に母と同じような気持ちで行動する「カウンセラー」兼「女友達」としての役割……

なので、三人の娘の中で、私が母と一緒になって24時間介護するのが当然だと思っていたのでしょう。
私としてはなんとか精いっぱいやったつもりでしたが、
母としては、思う通りにいかないことがあってストレスも重なり次第に怒りを感じはじめたようでした。
遠方の姉は、年二回ほど上京するのですが、次第に母に同調して、私を「近くに住んでいるのに、母を充分に助けてない」と非難するようになりました。

当時は身体的にも経済的にも、これ以上するのは無理な状態でした。
それでもそういった非難をされることで、罪悪感が日々募っていきました、

さらにこの時期、昔の知人が連絡をとってきて、
今おもえば、その当時、その知人自身がつらい状況に追い込まれていたようで、
そこで、そういう自分を正当化するために、誰かを攻撃して意見をぶつけずにはいられなかったようでした。
たまたま、そこに私がいたというだけで。
そういう状況が二年ほど続きました。

私の中では、今も多少のわだかまりはありますが、
母もその知人も、まったくその件について頓着してないのですよ(^^;)
その後も陽気に声をかけてきたりしますんで。

ですので、本当にたまたまそこに私がいたというだけなのだな、と思います。

            ***

ともかくいろんなことがあり、いくつかのことで心理的に追い込まれていました。

自分は何の役にも立っていない、それが改善する見込みもない、
母と姉にはなじられ、父の介護はこのままどこまでも続く、
知人には私の在り方を攻撃され、
仕事も満足にできていない。
こうして年を取っていく……。

が、今振り返ってみれば、すべて「言い訳」です。
つまり、たくさんの事象が私の周りにあり、いろんな人がいろんな感想を述べる。
それは当然のことなのですが、
そのなかから私は取捨選択してこういうふうな事柄を選んで認識し、反応していたわけなのです。
アレルギーと同じですね。
何かの物質を一旦許容量以上に摂取してしまうと、
本来無害であったような物質もすべて攻撃とみなして、過剰反応してしまうという感じです。

ともかく体調不良はますます進み、そしてこのころからあらゆることが不安になってきました。
いてもたってもいられない、としか表現できないのです。
焦燥感や、罪悪感も含んでいたと思いますが、
ともかく、ここで初めて「不安」というものの存在をはっきりと意識しました。
何冊か本を読んでわかったことは、
そもそも、人間は不安な事象があるから不安なのではないのです。

何らかのきっかけで、あたかも不安な状態にあるような身体症状がまず出る。
それを脳が「不安」だと認知する、という順序らしいです。
心臓がバクバクしてくる、体中がこわばっている、
血圧もあがって、喉の奥に何か詰まっているような感じ。
これ、リアルになにか詰まっている感じがしました。(別名「ヒステリー球」ともいわれるそうです。失礼な(笑))

こういうのは、主に自分の意志ではコントロールしにくい自律神経の働きです。
原始的な社会に於いて、戦ったり逃げたりするのに有利な、異常事態の時に生存しやすくするための身体反応です。
私の場合は、まず今まで飲んでいた薬の成分が入ってこなくなったことで、
脳がこれを異常事態と察知してこういう症状がおきた。
簡単には収まらずに、心理的に不安を感じるようになる。
自分がこの状況を「不安」と繰り返し認識するようになり、
そこにさらにストレスがかさなって、次第に身体症状も心理状況もエスカレートしていった。
そういう感じです。

こうして実際に自分の身におきてみると、不安症状というのは予想よりもはるかにしんどいものでした。

(長くなりますので、ここで一旦切ります)



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