Set me free!!!

storytellerです。本当に短い物語を書いたり、思い出話や日常の諸々について綴ります。

入れ替わった夢と現実

2024-06-22 06:27:05 | 物語

彼女は最近、急に睡魔に襲われるようになった。

仕事中でも、昼休みでも、通勤電車の中でも、すとんと眠りに落ちてしまう。はっと目が覚めたときは午後の就業時間が始まっていたり、電車を乗り過ごしてしまった、ということも何度かあった。

夜は熟睡できていると思うし、疲労がたまっている感じもしないのだが、昼間の時間帯でも眠気を堪えられなくなる。

そんなとき必ず見る夢に、あの男の人が登場する。見知らぬ他人なのだが、夢の中では彼女に対して妙に馴れ馴れしい。ぎゅっと抱きしめてきたり、甘い言葉をささやいたり、かと思えば腹を立ててひどい言葉を投げつけてきたりする。

もともと彼女は人よりも夢を見る頻度が多いが、ほぼ毎日のように同じ男の人が夢に出てくるというのも、気味が悪い。まるでストーカーのようだ。

ある日、目が覚めると、夢に出てくる男の人が彼女の顔を覗き込んでいた。驚いて飛び起きる。まだ夢の続きを見ているのかと思ったが、これは紛れもなく現実だ。しかし、そこは家ではなく病院であった。彼女は何らかの病気で入院していたようだ。

呆然としている彼女に、その男の人が優しく言葉をかけてきた。

「やっと目が覚めたんだね。1か月も眠れる森の美女になっていたんだよ。本当にこのまま目が覚めないかと思ってすごく心配したよ。」

そして、その人は医師を呼び、診察の結果彼女は退院できることになった。

退院した翌日、彼女が出勤すると、職場のみんなが驚いた顔で迎えてくれた。

同僚の一人が真顔でこう言った。「みんな心配していたのよ。昨日ご主人から電話があって、無事退院したって聞いて心底ほっとしたわ。本当にもう大丈夫なのね。だって、あなたは1か月も昏睡状態だったのよ!」

夫のふりをしているあの男の人だけでなく、職場の同僚までもがそんな嘘をつくなんて!というより、こんな顔の同僚っていただろうか。

彼女はますます混乱してしまう。自分が本当にあの男の人と結婚していて、この会社で働いていたのか、自信がなくなってしまった。もしかしたら、夢と現実の世界が入れ替わってしまったのかもしれない。そう思うと恐ろしくなり、身体の震えが止まらなくなった。

彼女は、新しい現実が受け入れられず、そこから逃げることにした。

夜中、夫と称するその男の人が深い眠りについている間に、彼女は家を出る。パスポートを持って、飛行機を乗り継いで何十時間もかかる遥か遠くの国へ飛ぶために。誰一人彼女のことを知らない新しい土地で、彼女は人生をやり直すことにする。


リクガメとウミガメ

2024-06-18 06:50:17 | 思い出

2005年5月から2011年6月まで、テキサスの我が家にはロシアリクガメが同居していた。名前はダ・ヴィンチ。命名した息子(当時小学5年生)に理由を聞くと、レオナルド・ダ・ヴィンチのように賢い亀になってほしいからだそうだ 笑。

彼の大好物はタンポポのお花。むしゃむしゃ実にたくさん食べる。ダ・ヴィンチに喜んでもらうため、家族総出で近くの公園へ行き、タンポポの花を摘む。見て、この幸せそうな顔!

時々水浴びをする必要もあるというので、こんなふうに小さなプールを用意する。でも、あんまり楽しそうじゃない。いつも早く出してくれアピールをする。

こんなふうに立ち上がるときは、外に出たがっている時。時々部屋の中や裏庭を散歩させる。

でも、外を散歩させるときに気をつけなくちゃいけないのは、野ウサギの糞!裏庭には時々遊びに来る野ウサギのお土産があちこちに転がっているが、これには悪いものも混じっているので、カメの身体には良くないらしい。獣医さんに、「くれぐれも野ウサギの糞を口に入れないように見ていてあげてね」と言われた。

元旦は、わたしの折った鶴をダ・ヴィンチの背中に載せて、「鶴は千年、亀は万年」とお祝いした。

大好きだったダ・ヴィンチと別れの時が来た。

2011年6月、カリフォルニアへ引っ越すことになり、最初はダ・ヴィンチも一緒に連れていくつもりだったが、獣医さんに「そんな長旅には耐えられません。ロシアリクガメはとてもデリケートなので下手をすると死んでしまいますよ」と言われ、泣く泣く手放した。

幸いわたしの友人の知り合いに動物好きの家族がいて、そのお家がダ・ヴィンチを引き取ってくれた。愛するダ・ヴィンチ、今まで幸せな時間をありがとう。忘れないよ、きみのこと。

ダ・ヴィンチのおかげですっかり亀好きになったわたしは、今度はウミガメに愛情を注ぐことにする。こちらは2015年7月に、オアフ島ノースショアのワイメアベイで遭遇したウミガメ。水深3~4メートルあたりのところをスノーケリングしながら撮影したので、不鮮明画像で失礼。

下の4枚は、すべて東海岸のカイオナビーチで出会ったウミガメ。2015年8~10月に撮影した。カイオナビーチは遠浅の海で、熱帯魚はもちろん、ウミガメもたくさん泳いでいる。こんなに接写できたのも、水深1メートルちょっとの浅い海のおかげ。

こちらは、生まれて初めてウミガメに遭遇した時撮影した水中ビデオ。スノーケリングしながらの素人撮影なのでとても見づらいとは思うけど、みなさんに見ていただきたくて!

忘れもしない2014年6月21日(10年前だ!!)、オアフ島のワイメアベイにて。ウミガメの愛らしさ(岩の藻をつついて食べているところなど)が少しでも伝われば嬉しい!


黒山三滝と龍穏寺(埼玉県越生町)

2024-06-14 07:43:39 | 日記

今日はまず、地名クイズを。

埼玉県越生町の「越生」は何と読むでしょうか?

正解は

「おごせ」

地名って、「え、なんでそういう読み方になるの!?」というのが結構あるが、この「越生」もその一つ。わたしは、ひらがなの「おごせ」から「越生」という漢字は絶対想像できない!

ということで、今回は越生町の黒山三滝と龍穏寺へ出かけた話。

黒山三滝まで徒歩15分のところにある公営の無料駐車場から、ゆるやかな上り坂をゆっくりと歩いていく。最初に見えてくるのが、こちらの迎え滝。訪問客を出迎えてくれる小さな滝だ。

さらに数分歩くと、上中下3つの滝が現れる(角度的に一番上の滝をうまく写真におさめられなかったのは残念)。それほど勢いはないが、細く長く流れ続けている。小天狗滝というのだそうだ。

さらに5分ほど歩くと、この男滝(上)と女滝(下)が見えてくる。写真だとあまり迫力がないが、実際はもっと滝らしさにあふれ、勢いがあって良い。

女滝だけを撮ってみた。いい感じだ。あまりの暑さに滝つぼに足を浸したくなった。

川沿いにはシダの群生があった。シダの葉をたくさん縫い合わせて、薄いレース編みのようなサマードレスを作ったらどうかな。ちらちらっと見える肌が色っぽいだろうけど、ちくちくした肌触りが不快かも。と、想像しながら歩く。

滝を見て気分爽快になった後は、龍穏寺へ(黒山三滝から車で10分ほど)。表門の色や造りがどことなく中国っぽい。

今まで訪れたどの寺の山門とも違う、独特の雰囲気に圧倒される。文字が読めなかったので帰宅後ネットで調べると、「長昌山」(山号)と書いてあることがわかった。右から左に読むのだな、なんとなく分かる。

観音様の凛とした美しさは憧れ。

境内の中をゆっくりと見て回る。下の写真:左上は経蔵の彫刻。右上は太田道灌公(江戸城、河越城、岩村城などを築城した)の墓。左下は埼玉県指定有形文化財の龍穏寺銅鐘。右下は山門を裏から見たところ。

「パワースポット龍穏寺」という案内板があった。それによると、「霊の休まる場所であり、生きている人にはパワーを与える場所となっている。霊力が非常に強く、母なる大地、森からの自然の包容力も加わり、永年に亘り霊魂が安らぐ安住の地とされている。」ということだそうだ。そうか、わたしはパワースポットにいるのか!!なんだか大きな力を得たような気がして嬉しくなった。

龍穏寺についての詳細は、下にリンクした公式ウェブサイトをご覧いただきたい。

|龍穏寺|曹洞宗 関東三大寺

お昼ご飯は、小川町の舘乃で手打ちうどんの定食。うどんと五穀米が感激するほど美味しかった!

隣のテーブルの女性たちが食後のデザートにパフェを食べていた。わたしも食べたかったけど、ランチ定食が思いのほかボリュームたっぷりで、入る余地がなさそうだったので諦めた。その代わり、帰宅してからアールグレイを飲みながらチョコレートを食べた。って、結局甘いもの食べちゃうんじゃん。やっぱりわたしに減量は無理そう 苦笑。


『風に立つ』柚月裕子

2024-06-11 07:02:42 | 読書

今年発行された柚月裕子の『風に立つ』を読んで、補導委託という制度を初めて知った。問題を起こした少年を、家庭裁判所が最終的な処分を決める前に、民間人や施設が一定期間預かって、生活の指導や観察をする制度だ。

岩手で南部鉄器工房を営む孝雄と息子の悟。2人の関係は決して良好とは言えない。孝雄に補導委託を引き受けたいと聞かされ、悟は驚く。自分の子どもさえ満足に愛せない人間が、どうやって他人の子どもの面倒をみられるというのだ。

孝雄が受け入れた高校生の春斗を、工房の職人や悟の妹夫婦らが温かく見守る。同時に、最初は父親の考えが理解できず懐疑的だった悟も、次第に変わっていく。家庭調査官補が主人公の『あしたの君へ』を思い出した。わたしの大好きな小説、それと共通するものを感じたからだ。

救う側と救われる側。その関係がいつのまにか変わり、救いの手を差し伸べた自分がその相手に救われている。互いに支え合う「人」という存在を強烈に意識させられる。登場人物とともに、読み手であるわたし自身の心も癒されていることに気づき、清々しい気持ちになる。すごい文章力だと思う。

同時に、この小説を読んで、改めて言葉について考えさせられた。厳しく刺々しい言葉であっても、そこにあるのは悪意ではなく、相手への愛。なんでそれが分からないのか。自分の思いは言葉だけでは表現できない。だから必要以上のことは言いたくない。ちゃんと言ってくれなければ分からないじゃないか。そう思いながらも、自分には察する力が欠けているのかと不安になる。登場人物達のもどかしさが、わたし自身のそれと重なって苦しくなる。わたしも言葉に翻弄されることが多いから。

柚月裕子の作品は心を掴まれるものが多い。飾らない言葉が真っすぐ飛んで来て、胸を打つ。奇をてらったりせず、直球勝負の潔さを感じる。そんなところがこの作家の魅力だとわたしは思う。そして、ひたすら優しい。慈愛に満ちている。人を信じようという気持ちにさせてくれる。


梅雨入り前に安曇野へ

2024-06-07 09:17:55 | 日記

自然愛好家のXYさんに誘われて、緑豊かな安曇野へ遊びに行った。ちょうどむしゃくしゃすることがあって、暴力的な感情を持て余していたので(わたしは若い頃「爆弾娘」と呼ばれたことがあった 笑)、安曇野の美しい風景と澄んだ空気に心身を浄化してもらうことにした。

関越自動車道→上信越自動車道→長野自動車道を経由して安曇野まで、途中一回パーキングエリアに寄って片道3時間弱のドライブ。運転はXYさんにお任せして、わたしは助手席で高速道路沿いの景色を満喫した。

大王わさび農場は、平日にも関わらず結構な人出だった。この目にまぶしい緑、この清らかな川の流れ。これだけで、安曇野まで来たかいがあったというものだ。

「珍百景」二つの川。深さも流れの速さも違う万水川(よろずいがわ)と蓼川(たでがわ)が仲良く並んで流れている、とても不思議な風景。

水車小屋は人気の撮影スポット。わたしは対岸から撮影したくてたまらなかったけど、向こう岸に渡る手段はなく(川をざぶざぶ渡るしかないけど、まさかそれは出来ないし)諦めた。

わさび農場の道祖神たちに挨拶をしてから、穂高駅へ向かう。30年近く前、1年半ほど安曇野に住んでいたことがあったので、穂高駅には何度か行った。懐かしい。

こちらは穂高駅前の道祖神。味があっていい。

穂高駅から歩いてすぐの穂高神社。XYさんもわたしも、もやもやをすっきりさせたい心境だったので、神頼みをしてきた。

安曇野のお楽しみは食べ物にもあるよ。わさび農場ではわさびソフトクリーム、信州そばは確かに美味しい、そしてカフェでは絶品のチーズケーキに心が震えた。もう減量なんてどうでもいいわ 苦笑。

最後に立ち寄ったのは安曇野ガラス工房。体験ができると聞いてやってみた。ところがびっくり、全工程が右利き用に出来ているのだ。

左手は添えるだけで、ガラスを切ったり形を整えたりする作業は、右手に道具を持って行わなければならない。「すいません、わたし左利きなんですが」と言うと、「大丈夫です。わたしがお手伝いしますから」とスタッフに言われ、結局その人がわたしと一緒に道具を持って作業してくれた。なんだか複雑な気分。こんなところでも左利きって損するんだなあ・・・。出来上がったガラス細工は数日後自宅に郵送してくれることになった。

夜7時半過ぎに帰宅。安曇野まで日帰りできちゃうなんてびっくりした。XYさんの見事な運転のおかげだ。ありがとう。天気にも恵まれ、心身を浄化できたし、とても良い一日を過ごせた。たまにはこんなふうに非日常の時間を持つって大切だね。

最後にもう一度、ふたつの川の写真を。わたしにとっては深い意味をもつ一枚。

向こう側(写真では左側)が一級河川の万水川、手前が100%湧水の蓼川。それがこのように並走するようにしてしばらく流れ、そして一本の川になる。まるで、2人の人間が次第に心を通わせ、お互いの違いを認め、受け入れ合って、最後には手を取り合う関係になることを示唆しているようで、わたしは胸が熱くなった。人間関係に悩むことの多いわたしは、このふたつの川に大事なことを教えてもらったような気がしている。