栃木県は知っていたけど、栃木市は知らなかった。千葉県には千葉市、埼玉県にはさいたま市があるんだから、栃木市があってもいいのにね。失礼しました!
わたしの住むBV(Bear Valley)市から栃木市までは、車で1時間半弱。物知り博士のBBさんと一緒に、栃木市にあるお寺と神社へお参りに行くことにした。
まずは、大中寺へ。もともとは真言宗のお寺であったが、荒廃していたのを快庵妙慶禅師が曹洞宗の寺として再興したものだという。
山門の文字が読めなくて悔しい。一番左の文字だけ分かった。「席」だ。
大中寺はまた、境内にある七不思議の伝説とともにその名が広く知られている。
というので、七不思議を探してみた。おっと、その前に参拝しよう。
↓の写真:左が油坂。ある学僧が燈火欲しさに本堂の燈明の油を盗んで追われ、この階段から転げ落ちて死んだことから、この階段を上下すると禍にあうという。だから、この階段は立ち入り禁止となっている。
右は枕返しの間。この部屋で本尊の方に足を向けて寝ていた旅人が、翌朝目が覚めると頭が本尊の方に向いていた、という話。
↓の写真:左は不開の雪隠。土地の豪族、晃石太郎の妻が敵に追われてこの雪隠の中に逃げ込んで自殺した、といわれている。
右は馬首の井戸。土地の豪族、晃石太郎が戦いに敗れ寺に逃げ込んだとき、住職が匿ってやれないのを恨み、馬の首を斬って井戸の中に投げ入れたが、後になって井戸からいななきが聞こえたという。
↓の写真:
左上は、不断のかまど。ある修行僧がかまどの中に入って居眠りをしていると、それとも知らず寺男が火を焚きつけたため、修行僧が焼け死んでしまったので、それ以来このかまどには火を絶やさなくなった、という。
左下は、東山一口拍子木。寺の東の方のある山で拍子木の音が聞こえると、必ず寺に異変が起こると伝えられている。そして、その音は住職にしか聞こえないという。
右下は、根なしの藤といって、大中寺開祖が鬼坊主の霊を弔うため、墓標としてさした杖から成長したと言われる藤の古木。これは、上田秋成の「雨月物語」にある青頭巾の話だそう。
以上、七不思議全てを見つけて満足し、清々しい竹藪に別れを告げ、次なる目的地である太平山神社へと向かう。
大中寺から太平山神社までは約3キロ。緩やかな上り坂を歩いていくだけだから楽勝!と軽く考えていた2人に、とんだハプニングが襲う。
雨降りが続いたせいか、黒くて小さい虫が異常に多く飛び回っていて、行く手を阻まれる。手で何度払ってもまったく効果なし。蚊のようなぷ~んという音と共に、わたしをぐるぐる囲むようにしてしつこく付きまとう。BBさんは、と見ると、わたし以上に虫に好かれてしまい、黒山の虫だかり状態!
虫に纏わりつかれながら往復6キロも歩くのかと思うとぞっとするので、駐車場に戻って車で行くことにした。強力な殺虫剤があればよかった!!!
車を大平山県立自然公園・謙信平の駐車場に止め、美しい風景を眺めて虫の大群に襲われたことを忘れようと努める。
謙信平というのは、
「戦国時代の頃、関東平定を競い対立した越後の上杉謙信と、小田原の北条氏康は、当時の大中寺住職虎溪和尚(こけいおしょう)の斡旋により、永祿11年(1568)9月、大中寺において和議を結びました。そのあと、上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い太平山上から南の関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという故事から謙信平の地名が生まれたといわれています。」
以上、↓にリンクしたサイトから引用させていただいた。
青々とした田んぼと、薄っすら遠くに見える山並みに、癒された。
そして、腹ごしらえ!BBさんお勧めのお店「いづみ家」で、太平山三大名物の卵焼き・焼鳥・団子(二度搗きだそう)を満喫する。焼鳥が出来上がるまで待ちきれなかったので、卵焼きと団子を半分食べてしまってからの写真で失礼。団子と焼鳥は涙が出るほど美味しかった(真面目な話!)。ソフトクリームは練乳イチゴ。
謙信平から太平山神社までは約300メートル。
ここでまた、例の虫たちに絡まれて、恐怖が蘇る。わたし達、何か虫に恨まれるようなことをした?憎き虫さえいなければ、緑深い山道歩きを楽しめたのに~。
それでもなんとか無事、神社にたどり着く。真ん中にある「御神石」を撫でて霊験を受けた後、正しく霊験が授かるよう神社にお参りしてください、とあったので、その通りにする。
とても楽しい一日であった(でも、気のせいか、あの恐ろしい虫の大群の羽音がまだ耳元で聞こえるような気がする・・・)。