Set me free!!!

storytellerです。本当に短い物語を書いたり、思い出話や日常の諸々について綴ります。

『風に立つ』柚月裕子

2024-06-11 07:02:42 | 読書

今年発刊された柚月裕子の『風に立つ』を読んで、補導委託という制度を初めて知った。問題を起こした少年を、家庭裁判所が最終的な処分を決める前に、民間人や施設が一定期間預かって、生活の指導や観察をする制度だ。

岩手で南部鉄器工房を営む孝雄と息子の悟。2人の関係は決して良好とは言えない。孝雄に補導委託を引き受けたいと聞かされ、悟は驚く。自分の子どもさえ満足に愛せない人間が、どうやって他人の子どもの面倒をみられるというのだ。

孝雄が受け入れた高校生の春斗を、工房の職人や悟の妹夫婦らが温かく見守る。同時に、最初は父親の考えが理解できず懐疑的だった悟も、次第に変わっていく。家庭調査官補が主人公の『あしたの君へ』を思い出した。わたしの大好きな小説、それと共通するものを感じたからだ。

救う側と救われる側。その関係がいつのまにか変わり、救いの手を差し伸べた自分がその相手に救われている。互いに支え合う「人」という存在を強烈に意識させられる。登場人物とともに、読み手であるわたし自身の心も癒されていることに気づき、清々しい気持ちになる。すごい文章力だと思う。

同時に、この小説を読んで、改めて言葉について考えさせられた。厳しく刺々しい言葉であっても、そこにあるのは悪意ではなく、相手への愛。なんでそれが分からないのか。自分の思いは言葉だけでは表現できない。だから必要以上のことは言いたくない。ちゃんと言ってくれなければ分からないじゃないか。そう思いながらも、自分には察する力が欠けているのかと不安になる。登場人物達のもどかしさが、わたし自身のそれと重なって苦しくなる。わたしも言葉に翻弄されることが多いから。

柚月裕子の作品は心を掴まれるものが多い。飾らない言葉が真っすぐ飛んで来て、胸を打つ。奇をてらったりせず、直球勝負の潔さを感じる。そんなところがこの作家の魅力だとわたしは思う。そして、ひたすら優しい。慈愛に満ちている。人を信じようという気持ちにさせてくれる。


『天路』リービ英雄

2024-05-09 08:20:30 | 読書

母国の大陸(アメリカ)を離れ島国(日本)に移住した作家が、中国の友人に誘われて、「大西部」へと旅に出かける。ブルーバードを延々走らせ、中国語を漢話と呼ぶ人達が暮らす地へと。蔵文を話す蔵民。チベットだ。

作家である「かれ」は、母親を亡くした悲しみが癒えないまま、旅を続ける。友人が「天路」と呼ぶ、チベット高原の道を行く。

思うように言葉が通じないもどかしさ。それでも、日本語と中国語と、教科書で少しだけ覚えたチベット語を混ぜながら、手ぶり身振りで蔵民と話をする「かれ」。

紀行文のような詳細な描写が旅情をそそる。思いがけず憧れのチベットを著者と共に旅することができて、わたしは嬉しくなった。

五体投地を繰り返す信者たちの姿が目に映る。標高4000メートルに近い土地で高山病に苦しむ。大きな寺院を訪れ、信者たちと一緒にマニ車を廻す。誰も訪れない寺院で活仏に会い、亡き母の話をする。行く先々での「かれ」の言動を、わたしはそばで見守る。息をひそめて。

光の描写が多いのも、印象に残っている。チベットの強烈な光だけでなく、旅の途中で思い出す日本のやわらかな光や、「かれ」が幼い頃住んでいた亜熱帯の島(台湾)の強い光。

谷間の上に太陽の光が差し、薄緑の草地が色を変えて、宮殿の黄金の床を想わせるように照り輝いていた。(129ページ)

それにしても。母語でない日本語で小説を書くというのは、どんな作業だろう。わたしには想像もつかない。アメリカで生まれ、少年時代は台湾・香港で過ごし、40歳近くになって日本に定住した著者。言語感覚が非常に優れている人なのだろう。


『二千億の果実』宮内勝典

2024-04-23 08:24:40 | 読書

遺体解剖時にアインシュタインの脳をこっそり盗んで保管していた病理学者。

地球外知性体と交信しようと試みた天文学者。

チェ・ゲバラが最期に残した言葉。

ゴリラとボノボとのコミュニケーションに情熱を傾ける2人の学者。

ある中国残留孤児の壮絶な人生。

チャレンジャー号爆発事故で命を落とした飛行士との心の対話。

『アンデスの聖餐』に記録された人肉食の驚愕の背景事情。

『二千億の果実』には、世界の様々な場所で起きた出来事が綴られている。単なる史実の記録でないところが面白い。著者は、歴史上の人物の友人になったり、インタビュアーになったり、時には当事者にも変身する。著者がまるでその出来事をリアルタイムで目撃・経験したかのような臨場感が伝わってきて、ぐいぐい引き込まれる。

わたしが特に興味をそそられたエピソードは、ボノボの生態についてだ。そもそも、ボノボなる生物のことを今まで知らずにいた。ボノボは、チンパンジー属に分類されるが、チンパンジーとは別種なのだそうだ。

メス社会でボス猿はいない。ほぼ菜食主義者。同種の殺し合いもなく、群れ同士の闘争もない。メスたちが仕切っているので子殺しもない。

あるとき、チンパンジーの群れとボノボの群れが遭遇する。恐ろしい闘いになるかと思いきや、ボノボは争いを避ける。その手段は、性行為だ。同性同士の疑似セックスやオスとメスの性交。その様子を目撃した人物(著者が一人称で語る)は、「淫らでありながら、清らかです。生の祝祭、まさに天上の乱交です。」(118ページ)と描写している。

性的快楽に身をゆだねるボノボ達から発せられる幸せホルモンに、チンパンジーの群れは戦意が削がれたのだろうか。どうやら戦争は無事回避されたようだ。

もっとボノボについて知りたい、と思ったら、日本では京都大学野生動物研究センターでボノボの研究が行われているらしい。

 

日本初のボノボ研究 | 京都大学野生動物研究センター

 

脱線してしまった。話を同書に戻して。

それから、ところどころに登場する著者の家族のエピソードも、歴史的出来事に匹敵する興味深さだ。著者は、妻と息子を連れてアメリカに移住後、北米、中南米、カリブ海、ヨーロッパ、アフリカなどを巡ったという。「子連れのバックパッカーのような旅であった。」(260ページ)という著者だが、妻と息子はそういう暮らしをどう感じていたのだろう。

わたしも若い頃はバックパッカーだったし、結婚してからも国内外のあちこちに引っ越ししながら子育てをした。振り返ると落ち着きのない生活だったような気がする。そういう暮らしが影響したのか、(今のところ)日本に住んでいる娘に対し、息子はアメリカを永住の地として選び、今も彼の地で働いている。

また話が逸れてしまった・・・。

ちなみに著者の息子は宮内悠介だそうだ。宮内悠介といえば、彼の小説『遠い他国でひょんと死ぬるや』は心が震えるほど良かった!

広い世界に想いを馳せると、良い意味で脱力する。自分の力だけではどうしようもない出来事もあるんだ、こんなにたくさん。そう考えることは絶望や諦めに繋がるのではなく、let it beの気持ちにさせてくれる。