MIYAGI VILLAGE

夏は雷、冬はからっ風、人は義理人情を重んじる・・・。

100キロハイクを振り返って

2006-05-17 22:44:32 | 日々是決戦
2日間にわたる壮絶な100キロハイクの思い出を振り返りたいと思います。

○出発前
俺は家でテーピング作業を終え、池袋駅へ。池袋から本庄までの電車では、さっそく上級生による最低な行為が行われた。ホームで談笑する1年生や2年生を尻目に電車の中へ上級生はダッシュ、そして席を奪取!俺はこの光景に少しあっけに取られてしまった。やはり、上級生ともなるといろいろ分かってるな、と思う。普段であれば、彼らは進んで下級生に席を譲れる先輩のはずなので、最低な行為ではあったが、彼らを責めることはできないし、むしろ褒めたい。足の休息の大切さを彼らはよく分かっていた。





本庄駅では足のケアや仮装を行った。例年の光景だが、ここでの出来があとでけっこう重要な分かれ道になってくる気がする。仮装もケアも中途半端だと後で死ぬ。





今年は雨ということも会って、仮装のレベルは低下するかと思われていたが、なかなか今年もいいレベルが維持されたのはうれしい事態だ。特に上のフリーザはツボであった。多すぎである。最強のはずのフリーザが次の日、ベンチでくたばっている姿には、かなり笑わせてもらった。なお、下は後輩である。ヒーローとショッカーという取り合わせ。

そして、私だが、今年は以下のような仮装をした。まわりからの反応は上々であった。



あと、同期のSは雨にちなんで、てるてる坊主を作ってくれた。



開会式では、仮装大賞やゼッケンネーム大賞が発表された。今年の仮装大賞は早稲田ガーディアンの幹事長。横山ノック氏であった。頭の一番上をバリカンで狩るという身の痛みをもともなう仮装であった。それに加えて、キャラまでノック氏を演じまくり、セクハラ行為にいそしんでいた。また、今年から本庄市の市長と議長が早大卒となり、より熱い挨拶が行われることになった。早稲田と本庄のつながりの強さを感じざるをえない。



○第1区
10時に本庄のアピタをスタート。今年はいきなり雨。第一区にして、俺の靴は浸水した。マジでありえない。サークルの中では俺たちは一番最初にスタート。そして、1時間に1回の休憩というセオリーを守り続けた。コースは4年連続なので、ほぼ暗記していた。本庄高等学院での休憩がなくなったので、余分な時間は軽減できるかと思ったが、歩くペースがけっこうまったりだったので、それほど効果が上がらなかった。最初は何人かで固まって歩いていたが、途中から同期のYと二人っきりで歩くことに。Yはサークルでは山にもかなりがっつり行ってるし、強いんだろうなぁ、と思っていたが、意外に俺と同じくらいのペースで、足の痛みも同じように発生していたらしい。

靴の浸水はとどまることを知らず、靴の重量が大幅に増加。これが原因かどうかは分からないが、例年にない関節の痛みを抱えながら、俺は休憩所のある寄居の体育館に飛び込んだ。寄居では足のケアにいそしんだ。



○第二区
寄居からはサークルのほぼ最後尾を歩くことになった。同期のMと後輩のNとTもいっしょに歩き始めたのだが、結局途中ではぐれてしまって、またYと二人旅。二区では雨は小降りになってきて、少しウザさが改善。とはいえ、この区間も長い。延々と山道が続く。途中のアクセントであるトンネルまでが異様に長かった。そして、トンネルを抜けると神がかり的なローソンがある。このローソンは百ハイによる特需を積極的に受け入れてくれており、毎年サービス満点のすばらしいローソン。腰掛けるものがあるというのは最高にうれしかった。



(※注:上の写真は去年のもの。)

ローソンから小川町まで一気に山を下る。小川町ではこの日の午前中に面接を受けてきたという同期Kが待っていて、ここからいっしょに歩くことに。よもや面接官もこの男が100ハイに参加するとは思いもしなかっただろう。3人になって少し勇気も増した。ただし、この辺からYの口数が少なくなり、ちょっと心配になってきた。たぶん自分との戦いをしていたんだと思う。あと、俺も足にマメができてしまい、マジで激痛が時々あり、かなりつらいことになってきた。それなのに、まだ30キロしか歩けていないというこのつらい現実が100ハイのおそろしさだ。

そして18時くらいに五明のファミマへ。このファミマでも4年連続で休憩している。かなり重要な休憩ポイントだ。ここではトイレに並んだのだが、Kと二人で、「このままじゃ仮眠所に着くのは3時だな。」というような話をしていたら、後ろで並んでいた人が「えぇぇぇぇ~っ!」と奇声をあげた。彼は目玉が飛び出そうなくらいに驚いていた。俺たちが4年連続で参加していて、これまでの経験から考えるとどーのこーの、と説明をすると彼は「なんなんですか、このイベントは!」とキレていた。やはり、このあたりから人々の心がすさみ始める。こわいこわい。

このファミマを出ると休憩所のある越生まではすぐ!のはずだったのだが遠い。マジで遠い。途中で完全に真っ暗になってしまった。Yの口数はついに消えた。俺はYが心配で仕方がなかった。越生の休憩所への分岐から休憩所までの道が特に怖かった。街灯がないから真っ暗だったのだ。しかも山の中だし、ありえないくらい怖かった。さらに長い。

死にそうになりながら越生の休憩所に滑り込んだ。

休憩所ではサークルの半分くらいがいた。しかし、全員かなり衰弱していた。さらに到着の30分後には休憩所を閉めるなどと、昂揚会がのたまわり、かなり焦った。俺は弁当が喉を通らなかった。半分くらい食べて、後は捨てた。貴重な休憩時間はほとんどがテーピングの交換などの足のケアに追われた。

あと、休憩所の男子トイレでは床に血が・・・。他の参加者が俺に「血ですよ、血っ!!」と必死にアピールしてきたが、俺は、まぁ100ハイだから、と冷静だった。そんな自分がちょっとこわい。まぁ、成長したってことなのかな。

○第3区
100ハイ最大の難関・ナイトハイク。もう真っ暗で、足も痛くて死にそうなのにあと20キロ以上歩いてくださいという過酷すぎる区間。今年はサークルのみんなでまとまってスタート。最初は同期のKと後輩のNと3人でスタート。本当は後輩のTと同期のYもいっしょだったのだが、この二人はペースが速くてついていけなかった。あと、話題を変えつつセーブオンまで歩いて休憩。今年は花火が上がっていてかなり癒された。お祭り気分の地元住民がめちゃくちゃうらやましかったのは言うまでもない。

セーブオンからは遅れてきたみんなと合流して次のファミマまで歩いた。俺は5年連続で出ているTさんといっしょに歩いた。Tさんはもはや熟練の域に達していて、仮装も獅子舞にパラソルというかなり攻めた仮装での出場だった。ファミマへはTさんといっしょに到着し、遅れてくるみんなを待った。

ファミマではそこそこ休憩を取り、次のサンクスを目指した。確かこのあたりから同期のKと二人っきりで歩き始めた気がする。二人でコンバットマーチや紺碧を歌いながら真っ暗な山道を歩いた。福山雅治の「Hello」がかなりツボにはまった。




「HELLO」 作詞:福山雅治+俺たち

そんなはずはないさ それは分かってる

25時のナイトハイク 土曜日の深夜

こんなはずじゃないさ それもわかってる

ため息で塗り替えられた 週末の予定

星のパレード 僕が歩くとき

つのる思いあふれて 眠れない夜

僕が歩き出したら 僕は止まれない

まだ誰も知らない 仮眠所目指して

君と笑顔つかまえるのさ きっと





そんな感じで歌いまくってサンクスへ。やっぱ歌っていると他のことを考えなくていいから気分が楽だ。サンクスでもそこそこ長めの休憩を取り、というかちょっと寝た気がする。そして、またKと二人でナイトハイクへ。ココから先はコンビニもなくナイトハイクでももっとも厳しいと言われている区間だが、二人でいろいろ話しながら頑張って歩いた。話した時間は長かったが、何を話していたかはほとんど記憶にない、少し残念だ。

しかし、何と言っても忘れられないのが、うどんを食べに行ったことだ。ナイトハイク中に俺が「ラーメン食いてぇ!」とおもむろに発すると、Kが「味噌コーンで!」と呼応。

あれ、二人ともあったかいものが食べたいんじゃね?ということになったのだ。ずっと冷たい雨に打たれ、越生でも冷や飯を食わされ、衰弱しまくっていた俺たちにとってあたたかいものこそ求めるものだったのだ。入間に着いたら絶対食おうと決めた。

そして、入間の街に入り、驚く。不二家がない、不二家レストランが・・・。俺たちが待ち焦がれた24時間営業の不二家レストランが跡形もなくなっていた。その代わり、そばにたたずむ、分速2メートルでしか歩けず、死にそうになっている100ハイ参加者の女性。

絶望が俺たちを支配。が、右を見ると神々しい明かりがっ!!「24時間営業うどんウエスト」。あったかいもの発見!!ヘッドランプをはずして雨具姿で入店。明らかに不審者だったが、気にすることはない。カレーうどんを二人揃って注文!!

うめーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!

まさにこれこそ俺たちが求めていたあたたかさだった。かなり感動した。

そして隣の席のお客さんから恒例の「みなさん、大変なことになってるけど、一体これは何のイベントなんですか?」という質問。かくかくしかじか、と説明すると、

「ケガだけはしないでね!」

という無茶な言葉を頂くことができた。全員ケガ人ですが、何か?

そして、最後のスパートをかけて入間の体育館に午前3時半、笑顔でゴール!!

そこには期待通りの光景が待っていた。



百ハイは感情的で、

残酷で、

ときに無力だ。

それでも私たちは信じている、

百ハイの力を。

百キロハイク宣言。




生の映像つきで、この言葉を体現してしまった参加者のみなさんに乾杯。

足のケアもせずに、シュラフに入り込み、俺は一瞬で意識を失った・・・。

○第四区
午前6時、

「きしょーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

というすさまじい大声で強制的に起こされる。殺気立った参加者の視線がすさまじいことになってる朝がやってきた。一度は起きても、死ね、とのたまい、またシュラフへ逃げ込もうとする参加者を必死で制止する昂揚会。例年の光景だ。

俺は急いで足のケアを行い、出発準備を整えた。靴は内側が乾いてくれた。おかげで、歩きやすさが昨日に比べて大幅に改善。新聞紙をつめておけば靴は乾くんですよ、みなさん!これは感動!!

久々にK以外のサークルのメンバーと言葉を交わした。みんな、まだ元気だった。今年は全員完歩できるかも!と思った(が、実は裏ではいろいろあったらしい。この時点では知るよしもない)。

7時に入間の体育館をスタート。しばらくは2車線を100ハイ参加者が占拠し、入間市街が無法地帯に・・・。



この無法地帯と貸したストレートを抜けて歩道橋を左折すれば、歩道がきちんとある大きな道に出る。ここからは混雑も解消し、自分のペースで歩くことが可能になる。途中にあるミニストップで休憩を取り、一路所沢キャンパスを目指す。が、アクシデント発生。足を靴の中でグニグニと動かしたところ、小指の先から激痛が・・・。一緒に歩いていたメンツと引き離される。マメにクリスティカルヒットしてしまったようだ。仕方なく所沢キャンパスまでは激痛をこらながら早歩き。

所沢キャンパス到着後はすぐに靴を脱ぐことができるので、ひとまず小指の痛みはおさまった。所沢では山崎製パンがふるまわれるのでそれを食べて朝食とした。



○第五区
所沢からは昨日一緒に歩いたYと後輩のKと一緒に歩くことになった。俺としてはペースを早めたかったが、YとKは歩くペースがゆっくりで、ペースが合わないということにすぐに気づいてしまった。が、100ハイは残酷で感情的とはいっても、ここで二人と別れてしまっては俺が孤独死しかねない、のでしばらくはいっしょに歩くことに決めた。

サイクリングロードに入り、最後の地獄のロングストレートでは、Kがものすごい形相で歩くようになり、かなり心配になった。俺はこの時点でかなり悩んでいた。このまま二人と一緒に行くか、それとも1人で学院まで頑張るか・・・。本当にここでYとKを置き去りにしてしまっていいのか・・・。自分の良心がかなり痛んだ。

結局俺の下した判断は、単独で学院まで行くことだった。理由はやはり時間だ。閉会式に間に合うには学院17時出発の先頭集団に追いつかなければならなかった。久米川の時点で13時半到着の俺たちは1時間の遅れがあり、学院での休憩時間を考えると16時半には学院まで行かなければならなかったのだ。

久米川のセブンイレブンでYとKと別れた俺は最後の難所、エンドレスロングストレート「新青梅街道」へと足を踏み入れた。西武線ユーザーの俺としては、駅を一つの判断基準と考え歩き始めた。まずは小平霊園・山パン武蔵野工場をパスし、花小金井のサークルKで休憩。休憩といってもトイレとチキンを食べて地図を確認したらすぐに出発した。この辺りの俺のペースは尋常でなかったと思う。

花小金井の次は俺が住む街・田無のファミマを目標にした。が、遠い。スカイタワーが見えているのに全然近くならない。加えて、満身創痍で歩くペースが一気に落ちる。一度は途中で抜かしたサークル2年のRとKに再び抜き返された。かなりきつかったが、このままでは死ぬ、と思い、もうどうなってもかまわないという気持ちがついに俺の中に生まれる。(←100ハイの奇跡、と俺は呼んでます。)

田無のファミマの手前でさっきのRとKを再び抜かし、ファミマでは肉を補給。ぐぉぉぉぉ!といった感じでものすごいペースで学院へ向かった。

結果として学院には16時半到着。先頭になんとか追いつくことができた。が、ほとんど力は残っていない。弁当を受け取ると無言でサークルの仲間の中に座り込み、無言で食事を開始した。たぶん、見送りに来た後輩から見れば相当イタイ先輩だったと思う。弁当はすべて食べきることができなかった。代わりに後輩からもらったフルーツポンチを食い尽くした。めちゃくちゃ元気が出た!これは本当にうれしかった。

そして、仮装をフル装備に切り替え、最後の戦いへ。



(※注:写真は去年の学院の様子)

○第六区
ラストの六区も一人旅。結局新青梅街道はずっと1人で歩いたことになる。完全に精神との戦いだった。足の痛みはもうどうしようもない、精神力で乗り越えるしかないから。

六区は普通に歩いては間に合わない。学院の出発が17時で、閉会式は20時から。3時間で13キロを歩ききらなければならないので、かなりの速いペースが求められる。だから、かなりのペースで歩いた。やばいくらいの速さで歩いたと思う。

とにかく地図を頼りに信号の数を目印にしながら、遠のく意識の中でひたすらまっすぐな道を歩き続けた。無心で歩いていたと思う。だから景色は思い出せるけど、何を考えていたかなんてあまり思い出せない。

中落合の信号で1年生のSとKと合流。二人からは俺の姿がずっと見えていたらしい。確かに俺は全身赤いし、ザックカバーも赤だから目立ちまくっていたんだよなぁ。「先輩を目標にして歩いてきました!」と言われ、ちょっとうれしかった。最後はこの二人と一緒にゴールしようと決めた。

二人とも精神的にちょっとおかしかった。Sは笑いながら「やべぇ、発狂しそう!」と発するし、Kの方は、もともと天然なのもあるんだろうけど、やばい、やばい、しか発していなかった。

馬場の手前のファミリーマートで軽く休憩。この時点で19時20分。余裕をもって高田馬場へ。馬場のネオンが明るい!泣きそうになった。早稲田通りを他の参加者たちとも「もう少しですね!」と声をかけながら歩く。こんなに希望に満ち溢れた馬場歩きは100ハイでしか体験できまい。

馬場下町の交差点を左折。3人で肩を組んで校歌を大合唱。そして、1番を歌い終わって、大隈講堂へダッシュ!!そして、出迎えてくれた仲間たちからは、ビールのプレゼント!ぷはぁぁぁぁっ!!

すさまじい満足感と達成感と安心感・・・。

これで4年にわたる俺の100ハイも終わりだ。

完歩して閉会式に出ることができた、最高の形での終わりを締めくくることができてうれしくてしかたがなかった。ひたすら感動していた。

そして感動をひきずったまま閉会式へ。

○閉会式



閉会式は今年は大隈講堂の改修に関係して10号館で実施。思い思いの仮装に見に包み、充実感に満ち溢れたやつらがそこには待っていた。ここで見せる笑顔って言うのは本当の笑顔なんだって毎年思わされる。

そして、会場には「翼をください」が流れ始め、会場内は一気にヒートアップ!「このおーぞらに つばさをひろーげ とんでいきたいよー♪」とみんなで大合唱。まさにこの歌の気持ちをさっきまで体現してたやつらだから、最高の気分だった。

そして、会場が暗くなり・・・、

昂揚会がかなり力を入れてつくったと思われるフラッシュが上映された・・・。

泣いた。かなり泣いた。

まわりも泣いていた。

「何回自分と向き合った?」

という言葉にかなりやられてしまった。

就活のことも思い出してしまった。

不安で不安で仕方がない、でも、その先に希望があると信じてるから頑張れる。

頑張ったやつには絶対いい結果がついてくるんだ。

今までの人生で、このことは強く学んできた。

そして、あのフラッシュを見て、

笑われるかもしれないけど、

「自分、よくやったよ、最高じゃねーか!」

って思ったんだ。

そしたら涙が自然とこぼれ落ちた。

このフラッシュが終わった後も俺は感傷的だった。

これまで一回も泣いたことのなかった白井総長の話で泣いてしまった。

「君たちこそ真の早大生と言っていいだろう。」

と言われたときのことだった。こんな無茶なイベントに4年間出続けたこと、すべては早稲田魂の体現のためだったと言っても過言ではなかった。この精神を総長に認めてもらえたことが、うれしくてたまらなかった。俺が1年のときはビールの一気飲みを拒否していた白井総長が、今年はついに缶ビールを一気してくれた、その姿に、白井も成長したもんだと感動した。



そして、そのあとは岩井先生と古賀先生のあいさつがあり、メインの紺碧の空と校歌の斉唱にうつる。

このとき、俺は左足に尋常じゃない痛みを感じており、前を向くことができない状況になっていた。刺すような痛みと歌いたいという欲求、とてもつらい時間だった。

校歌を歌っているとき、俺の左にいるやつが、「東西古今の文化の潮♪」と号泣しながら歌っていた。その姿を見て俺もうつむいて泣いてしまった。「集まり散じて♪」の部分ではたまらないくらい泣いていたと思う。実は、入学式の校歌でも泣いていたのだけれど、閉会式の校歌はそれとは比べ物にならないくらい感動的だった。

100ハイは最高のイベントだとつくづく思った。



閉会式が終わったあと、俺の足は動かなかった。明らかに骨と分かるその痛みに支配されてしまった。おそろしいくらいのゆっくりとしたスピードで大隈講堂を目指した。途中、ナイトハイクを一緒に歩いたKに肩を貸してもらった。

そして、大隈講堂前で倒れこみ、無言。

無心で、空を見上げた。

大隈講堂が見えた。

うわぁ、最高だよ、これ、とまた思った。

疲労で動けなくて、目に入るものといえば大隈講堂の明かりしかないというシチュエーション、100ハイ中ずっと思い描いて、追い求めたものが手に入ったという満足感からだった。

そして、しばらくして、ほんの少しだけ回復した足を引きずって俺は帰路についた。

たくさんの感動と多くの仲間に支えられた完歩という勲章を抱きながら・・・。