ジャン・ギャバンと映画人たち

Jean Gabin et ses partenaires au cinéma

霧の波止場(2) Le Quai des brumes

2015-07-26 | 1930年代の映画


 『霧の波止場』は、孤独に生きる人間のさびしさを、滲みるほど感じさせる悲しい映画である。

 クレジット・タイトルのあと、「ル・アーブル20キロ」の道路標識が出る。雨に濡れた夜の道路を大型トラックが走っている。中年の運転手(マルセル・ペレ)がハンドルを握っている。ヘッドライトが、軍服の男の後ろ姿を照らし出す。道路をとぼとぼ歩いていた男は振り向いて手を上げ、トラックを止める。ジャン・ギャバンである。運転手はギャバンをトラックに乗せてやる。
 トラックの中での二人の会話。
「疲れたか?」
「ああ」
「休暇中か?」
「……」
 ギャバンはむっつりとして何も答えない。
「無口だな」
「まあな」
 ギャバンは脱走兵らしい。
 野良犬が道路を横切り、助手席のギャバンがハンドルを切って、トラックを急停車させる。轢きかかった野良犬を助けてやったのだ。運転手が怒り出す。二人はトラックを降りて、殴り合いの喧嘩になりそうになる。が、ギャバンがタバコをもらって冷静になり、喧嘩はおさまる。
「撃たれるかと思ったよ」と運転手が言ったのに対し、ギャバンはトンキン(北ベトナム)で射殺した人間の様子を思い出しながら語る。
 植民地軍にいたギャバンが兵隊に嫌気がさして脱走してきたことが分かる。
 別れ際、運転手はこの脱走兵に同情して、タバコを箱ごと渡す。ギャバンは、運転手の好意を一度は断る。
「もう一箱、持ってるから」
「じゃあ、もらっていくよ。メルスィ」
 最後に運転手が言う。
「幸運を祈ってるよBonne chance!」
 単刀直入式の見事なファースト・シーンである。脱走兵のギャバンの心理と人間性を実に簡潔に描き出している。映画を見始めた人は、もうここで、ギャバンに惹きつけられ、期待感を抱く。
 
 深夜、港町ル・アーブルの街路をギャバンが歩いている。と、さっき助けてやった野良犬が後ろから付いてくる。白と黒のぶちの可愛い小犬で、ギャバンが何度追い払っても追いかけてくる。そのうち、ギャバンは「おれに似て、頑固だな」と言って、仕方なくこの野良犬を自分の道連れにする。腹を空かせてさまよっている犬が自分の分身のように思えたからなのだろう。
 実は、この小犬が最後まで影法師のようにギャバンに付き従い、この映画で重要な役を務めるのだが、行きずりに出会った野良犬にこれほど愛情を注ぎ、象徴的な意味を込めて描いた映画はほかに見当たらないかもしれない。この犬は、恋のキュービットでもあり、人間の観察者でもあり、作者の目でもあり、またこの暗くて悲しい映画に慰みと微笑みと明るさをもたらす役割も果たしていた。

 港町ル・アーブルはフランス北部にあり、その波止場からは遠い外国へ向かう船が出ている。フランスを捨て、新天地を求めて外国へ渡る人たちもここから船に乗る。デュヴィヴィエが映画化した名作『商船テナシチー』(1934年)の舞台になった港町でもある。この町には、もはやフランスには自分の居場所がないボヘミアンたちも集まっている。ギャバンが演じる脱走兵は、外国へ逃げようとしてこの港町へやって来たのだ。
 
 『霧の波止場』の登場人物の男たちは、誰もが孤独に生きている。彼らには家族も妻も恋人も親友もいない。
 ジャンが街で出会ったホームレスの酔っ払い(エモス)は、ベッドで真っ白なシーツに包まれて寝ることだけを夢見る男で、ジャンを海辺にあるパナマ亭という避難所へ連れて行く。パナマ亭の主人(デルモン)も変わった男で、1906年にパナマへ行った思い出だけを大切にして、このバラック小屋でギターを弾いている。常連客のミシェル・クラウスという画家(ル・ヴィガン)はニヒリストで半ば狂人のようである。彼は人生に絶望し、自殺を考えている。彼の独白がなかなか意味深である。「ぼくは何を描いてもその裏側にある罪悪を描いてしまう」「人は激情に駆られて罪を犯し、時には自殺をし、時には他人を殺す」
 ボヘミアンたちの吹きだまりであるパナマ亭でのシーンは、実に印象深い。登場する三人の人物はみな人生の漂流民である。
 この三人を当時のフランス映画界の名優が演じている。エモス、デルモン、ル・ヴィガンである。ギャバンがエモス、ル・ヴィガンの二人と共演した映画では、『地の果てを行く』が第一に挙げられるが、ギャバンはエモスとは『我等の仲間』で、ル・ヴィガン(キリスト役)とは『ゴルゴダの丘』でも共演している。
 剽軽な喜劇役者レイモン・エモス(1889~1944)は、戦時中パリ解放のバリケードで惨死し、二枚目の個性派俳優ロベール・ル・ヴィガン(1900~1972)は、大戦でナチに協力したという嫌疑で戦後フランスを追放され、スペインからアルゼンチンに渡り、俳優業を続けたが、現地で不遇のうちに客死している。
 エドゥアール・デルモン(1883~1955)はマルセーユ出身で、劇作家で映画監督のマルセル・パニョールが好んで使った役者だが、ギャバンとの共演はこれ一本のようだ。デルモンは戦後、デュヴィヴィエの『ドン・カミロ頑張る』(1953年)でフェルナンデルと共演し、当たりをとった後、間もなく亡くなっている。

 このパナマ亭の小さな食堂で、脱走兵のギャバンは美しい娘に出会う。ミシェール・モルガンである。彼女の登場の仕方が鮮やかだ。ギャバンと同じく、後ろ姿から登場する。パナマ亭の主人が腹ペコのギャバンと野良犬を台所へ案内すると、窓辺に女が佇んで外を眺めている。ビニール製の透明なレインコートを着て、黒いベレー帽を斜めにかぶり、ネッカチーフを首に巻いている。振り返った彼女が若くてあまりにも美しいので、ギャバンは唖然とする。ギャバンだけでない。映画を見ている観客も唖然としたにちがいない。
 テーブルについてパンを食べ始めたギャバンが声を掛ける。
「黙ってないで、召し上がれとか何とか言ったらどうなんだ」
 モルガンはギャバンのそばにいる犬を見て、
「あなたの犬?」
「ああ」
「可愛い顔ね」
「あんたもな」
 今まで無口で、人に「おれにかまわないでくれ」とか「うんざりだ」とか言っていたギャバンが急に饒舌になるのだが、ここからの二人の会話が面白い。恋愛なんか絵空事だと思っているギャバンと、恋愛に憧れているモルガンの噛み合わない会話である。
 ギャバンの言葉はあけすけで、モルガンを娼婦か何かと勘違いしたのか、初めから馴れ馴れしく、親称2人称の「チュtu」(あんた、おまえ)を使って話す。一方、モルガンは、丁寧な言葉遣いで、ギャバンに対して敬称2人称の「vous」(あなた)で話す。(モルガンがギャバンに対し親しくtuで話し始めるのは、ホテルで一夜を共にしてからである。フランスの恋愛映画では男と女のこの2人称の使い分けが重要なポイントなのだが、日本語の訳ではその違いが表せない。)

「おれのタイプっていうか、一目惚れしちゃうな。映画みたいなラブロマンスさ。天使が弓を引いて始まる恋だよ。木にあいあい傘を彫って、最後は涙を流すんだ。恋とか愛とか言ったって、あれは映画の中だけの出来事だよ。男と女なんて絶対分かり合えない。言葉だって違うしな」
「分かり合えなくても、愛し合えると思うわ」
 銃声がして、パナマ亭に街の与太者がやって来る。主人がピストルを取り出し、威嚇射撃をする。食堂の明かりを消した暗がりで、ギャバンはモルガンに名前を尋ね、初めて自分の名前を言う。モルガンはネリー、ギャバンはその名と同じジャンである。

 パナマ亭でジャンとネリーの二つの孤独な魂が触れ合い、その後二人は熱烈に愛し始めるのだが、二人が並んで窓から海を眺めながら交わす言葉も印象的だ。
ジャン「さっきの話だけど、本気でそう思っているのか?」
ネリー「何?」
ジャン「愛のことだよ」
ネリー「ええ」
ジャン「客相手のでたらめかと思ったよ」
 ギャバンはパリの男っぽい下町言葉を話すのだが、フランス語を教科書で学んだだけの日本人には大変分かりにくい。フランス人でも、パリジャンでないと、そのニュアンスは理解しがたいのかもしれない。ギャバンが娼婦と間違えていたことなど分からないモルガンは怪訝な顔をして聞き返す。
ネリー「客って?」
   
 これはあとで分かることだが、ネリーは孤児で、土産物屋を営む独身の中年男ザベル(ミシェル・シモン)に養われている。ザベルは少女から美しい娘に育ったネリーを偏執的に愛していて、ネリーは嫉妬深い保護者のザベルを嫌い、家出を願望している。ネリーはモーリスという男(映画では名前だけで人物は登場しない)に誘われ、家出を実行しようとするが、ザベルはそれを知り、密かにモーリスを殺していた。
 ネリーはパナマ亭でモーリスを待っていたのだ。
 話は前後するが、与太者が退散し、パナマ亭の主人がドアを開けると、入口の陰にザベルが隠れている。手に血が付いているが、それはモーリスを殺した血だった。
 このザベルという嫌な役を演じたミシェル・シモン(1895~1975)は、フランス映画では主演級の男優で、ここで紹介するまでもないが、愚鈍なお人好し役を得意にしていた。デュヴィヴィエの『旅路の果て』(1939年)がシモンの代表作である。
 また、リュシアンという与太者のボス(と言っても手下は二人だけだが)を演じたピエール・ブラッスール(1905~1972)は、この映画で一躍有名になったそうだが、それはこの映画の中でギャバンに強烈なビンタを三度も食らったからだという。アクの強い個性派俳優だが、ブラッスールの代表作は何といっても同じマルセル・カルネ監督の『天井桟敷の人々』であろう。ルネ・クレールの戦後の名作『リラの門』のブラッスールも忘れがたい。

 『霧の波止場』は、恋愛映画の名作である。霧深い港町でジャンとネリーの愛が燃え上がるのも、ほんの束の間の出来事にすぎず、二人には永遠の別離という宿命が待っている。ありふれた悲劇的なメロドラマに思われるかもしれないが、凡百の恋愛映画では得られない感動をこの映画は与えてくれる。
 ラスト・シーンで、銃で撃たれたジャンがネリーに「口づけしてくれEmbrasse-moi! 早くVite!」と言う。ネリーがキスをしてやり、ジャンは息を引き取る。ネリーが泣きながら大声で叫ぶ。
「ジャーン!」
 そのとき、船の汽笛が鳴る。波止場から南米行きの船は出航し、汽笛の音と白煙が二人の見果てぬ夢をかき消す。船で待っていた野良犬が飼い主を求め、船から降り、町へ向かって駆け出していく……。(了)


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