ジャン・ギャバンと映画人たち

Jean Gabin et ses partenaires au cinéma

霧の波止場(1) Le Quai des brumes

2015-07-26 | 1930年代の映画


 1938年 黒白(スタンダード)91分
〔監督〕マルセル・カルネ
〔原作〕ピエール・マッコーラン〔脚本・台詞〕ジャック・プレヴェール
〔撮影〕オイゲン・シュフタン〔撮影技師〕ルイ・パージュ
〔美術〕アレクサンドル・トローネル〔音楽〕モーリス・ジョベール
〔封切〕1938年5月(フランス)、日本公開は戦後の1949年

 1937年、ジャン・ギャバンは、ジュリアン・デュヴィヴィエの『望郷』、ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』の2作品によって、フランスだけでなくすでにヨーロッパで人気実力ともナンバーワンの男優になっていた。そのギャバンがベルリンでジャン・グレミヨン監督作品『愛慾』の撮影を終えてパリへ帰り、たまたま暇つぶしにシャンゼリゼの映画館で見た映画が、若き映画監督マルセル・カルネの第2作『おかしなドラマ』であった。カルネの監督デヴュー作『ジェニーの家』は好評で興行成績も良かったが、この第2作は不評で客入りも悪かった。にもかかわらず、ギャバンは『おかしなドラマ』を面白いと感じ、カルネの映画作りの手腕に感心し、ぜひ彼の映画に出てみたいと思ったのだ。ギャバンは早速、カルネに自分の主演作の監督を依頼し、企画の段階から自らも関わって、この映画の製作に力を注いだという。
 
 『霧の波止場』の原作は、当時フランスの人気作家ピエール・マッコーランの同名小説で、マッコーランは『地の果てを行く』の原作者でもあった。『地の果てを行く』(1935年)は、デュヴィヴィエが監督し、ギャバン主演で映画化され、ギャバンをスターダムにのし上げる作品となったが、そのときギャバンはマッコーランと親交を結んでいた。そこで、『霧の波止場』を映画化する際には、ギャバンが直接マッコーランに会って、承諾を得た。
 脚本を書いたジャック・プレヴェールは、原作を映画向きに大幅に変更した。原作は1910年頃のパリのモンマルトルが舞台になっていたが、それを現代(1930年代半ば)の港町(最終的にはル・アーブル)に移した。ギャバンが演じる主役のジャンは、原作の二人の登場人物を一人の人物にまとめて作り上げた。また、ヒロイン役のネリーは、原作ではパリのやくざの情婦だったが、純真で愛に飢えた薄幸の娘に変えた。プレヴェールは、1ヶ月ほどで脚本の第1稿を書き上げたという。
 監督マルセル・カルネ、脚本ジャック・プレヴェールという名コンビによる第3作『霧の波止場』は、製作会社の変更で一時期頓挫しかかったが、1938年1月に撮影が始まり、春に完成した。それはカルネの執念とスタッフの団結力の賜物であったが、ギャバンの積極的な後押しも大きかった。
 『霧の波止場』は、公開されるやフランスで大ヒットした。一般の観客だけでなく、ほとんどの批評家から絶賛されたが、この映画の完成度はそれだけ並外れて高いものだった。
 詩人プレヴェールの優れた脚本と含蓄のある台詞、カルネの計算された緻密な演出、オイゲン・シュフタンとルイ・パージュの陰影に富んだ撮影、アレクサンドル・トローネルの凝ったセットと野外ロケの絶妙な組み合わせ、モーリス・ジョベールの素晴らしい音楽、そして、ジャン・ギャバン、ミシェール・モルガンほか出演者たちの熱演。白い小犬のいじらしい姿も忘れがたい。

 『霧の波止場』は、1930年代フランス映画黄金期の名作中の名作となった。カルネ監督作品の現代劇の中では、戦後の『嘆きのテレーズ』と一、ニを争う傑作であり、ギャバン主演の恋愛映画ではおそらく最高の作品であろう。これまでギャバンは、相手役に恵まれているとは言えなかった。『どん底』の相手役ジュニー・アストールは素人同然で魅力に欠け、『望郷』の相手役ミレーユ・バランは、妖婦タイプであり、モデル上がりで演技力がなかった。『大いなる幻影』の相手役ディタ・パルロは、ドイツ人女優で子持ちの戦争未亡人役であった。
 『霧の波止場』でギャバンの相手役ネリーを務めミシェール・モルガンは、15歳で映画デヴューし、17歳のとき、マルク・アレグレ監督の『グリブイユ』(1937年)で名優レミュの相手役に抜擢され、脚光を浴びた。カルネはこの映画を見て、モルガンに注目し、『霧の波止場』のヒロインに選んだという。これが端役を含め彼女の9本目の映画出演であった。撮影開始時点では17歳、撮影中に18歳の誕生日を迎えたが、妖精のように美しく、演技も素晴らしかった。波止場の突端にあるパナマというバラック建ての食堂で、初めて登場したときのミシェール・モルガンは、目を疑うほど美しかった。レインコートを着てベレー帽をかぶり、窓の外をじっと眺めている姿が印象深い。そして、ギャバンと演じたラブ・シーンは真に迫り、出色の出来栄えであった。



 遊園地のデートのシーンで、ギャバンがモルガンを見つめて、「美しい目をしているね、君は」(T'as d'beaux yeux, tu sais!)と言う。モルガンの顔がクロース・アップで画面いっぱいに写る。そのあとモルガンが「口づけして」(Embrassez-moi.)と言い、ギャバンがキスすると、モルガンが「もう一度して」(Embrasse-moi encore.)と促して、また二人が熱いキスを交わす。この場面がセンセーションを巻き起こした。ギャバンの台詞は当時フランスで流行語となり、ギャバンとミシェール・モルガンは、「フランス映画最高のカップル」と呼ばれた。
 ミシェール・モルガンの回想記(「君のその瞳で」1977年刊)によると、二人は互いにこの映画で惹かれ合ったが、実際に愛し合うのは2年後、『曳き船』で三度目の共演をした時だった。しかし、大戦が始まって離れ離れになり、二人の熱愛関係はほんのわずかな期間で終わったという。(つづく)



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