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柔道家 古賀稔彦さんを偲んで(2021)・・講演会の内容及び新聞記事の紹介

2021-03-25 09:20:38 | 日記

3月24日、柔道家の古賀稔彦さんの訃報が報道され、3月25日の新聞に掲載された記事を読んで、改めてその偉大さを感じています。

2018年2月25日、平成29年度生涯学習フエアが姶良市文化会館(加音ホール)で開催された時に講師として、素晴らしい講演をされたので、私のブログで紹介したことを思い出し、古賀稔彦さんを偲んで改めて紹介することにしました。また、南日本新聞記事をスキャンして紹介します。

【古賀稔彦さん講演の概要】

〇講演・・10:30~12:00・・講師:柔道家 古賀稔彦 氏 演題:夢の実現 ~挑戦することの大切さ~

【講師プロフィール】・・柔道家/古賀塾塾長/医学博士/IPU環太平洋大学体育学科教授/IPU環太平洋大学女子柔道部総監督/日本健康医療専門学校校長 1967年福岡県生まれ  佐賀県出身 別名「平成の三四郎」 世界選手権2階級制覇 ソウル・バルセロナ・アトランタと3度のオリンピックに出場 バルセロナでは金メダル、アトランタでは銀メダルを獲得

【講演の概要】・・講演が始まる前に映像で、アトランタオリンピックでは試合前の練習で負傷した状態で出場した古賀稔彦氏が金メダルを獲得するまでの経過、引退後に開いた古賀塾(町道場)の様子、全日本女子柔道コーチとして「谷本歩実」選手が北京オリンピックで金メダルを獲得するまでの様子等が放映された後に講師が柔道着を着て登場しました。(講演中は撮影禁止)

講演は観客に質問したり、話かけたりしながら、生い立ちから柔道を習い始めた経緯、ソウルオリンピックでの挫折、アトランタオリンピックで試合前の怪我に苦しみながらも優勝した経験、引退後に開いた町道場の様子などを話ながら、「挑戦することの大切さ」について講演されたので、その中から一部を紹介します。

①柔道を始めた頃の話・・近所の遊び友達が柔道をしていたので、一緒に遊べると思って始めたが、負けてばかりで、悔しかったので、父親に相談して父が付き添って兄と共に近所の神社の階段を早朝に7往復する訓練をに続けた。・・両親の協力のおかげで心身が鍛えられ、目標に向かって努力することができるようになった。

②自らの目標に向かって挑戦する・・他人に「やらされている」と感じながら努力しても効果は期待できない。自分で決めてた目標に挑戦する気持ちを継続することが大切である。・・目標が大きくなれば努力も多くしなければならなくなる。

③ソウルオリンピックでの挫折からの学んだこと・・優勝を期待されながら、惨敗して挫折を味わい、人間不信に陥ったが、今まで支援してもらった、家族を初め多くの人達の協力のことを思い出して、再度挑戦する気持になり努力を続けて、バルセロナでは金メダルを獲得することができた。

④引退後・・自分の家の1階を町道場、2階を住居 屋上をバーべキュウなどができる交流の場として、柔道をとおして一般の人達を塾生として指導している。指導方針は当たり前のことができる人間を育てること。講道館柔道の創始者 嘉納治五郎先生の教え「精力善用」「自他共栄」の精神と共に道場では毎日「はいという素直なこころ」など5訓を唱和している。

⑤持論・・自分の子供は両親のDNAを受け継いでいることを認識して、過度な期待はせず、子供が自ら挑戦する目標を持ち、自分で解決するのを見守る姿勢が大切。

講演を終わって・・観客席に呼びかけて、一緒に数組の人達と舞台の上で写真撮影が行われました。また、昼休みも気軽にエントランスで記念撮影に応じられており、気さくな人柄に好感を持ちました。

講演会会場(講演中は撮影禁止)

講演会が終わって気軽に撮影に応じる古賀稔彦さん

花束贈呈の様子

【2021.3.25 南日本新聞記事の紹介】

※写真をクリックすると拡大し2回クリックすると更に拡大します。左上の←をクリックすると戻ります

   

【2021.3.30南日本新聞・・葬儀を追加】

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