【どんな人間として、後世に名を残すか】「稼ぐ思考術」 No.022
<<< ~「稼ぐ思考術」 小谷川拳次 365日語録 ~ >>>
■今日のコトバ:
「どんな人間として、後世に自らの名を残すか」
この言葉を意識した瞬間、人生の質が変わる。
■解説:
いつの日か、この生も終わりを迎える決定的瞬間が来る。
本当に後悔しない人生を歩みたいなら、終焉から現在を俯瞰してみるプロセスが重要。
自らの墓碑を囲む人々、そして後世に対して、どんな人間として名を残していきたいのか。
そのイメージを明確に持てれば、今、この瞬間を無駄にすることは無い。
■実践:
「自分はこの分野で、後世に名を残す程の活躍をする」と宣言できるような、S(私)さんにとっての究極的なゴール(Ultimate Goal)を設定してみよう。
私が何故仕事にこだわるか?
弟に対する見栄
妹に対する見栄
若さに対する見栄
母に対する見栄
兄に対する見栄
世間に対する見栄
父に対する見栄
ひたすら、見栄で動いているようなものかも知れない。
おそらく 私は世間体を気にしているだけだ。
今のままじゃ、このままじゃ、世間体が悪い・・・ということなんだろうな。
せめて、動いていなければ、死んだも同然だという気がしている。
パソコン依存ゾンビだ。 依存尊媚 金銭依存媚、金銭依ゾンビ
はっきり言えば、動いて、「金が欲しい」ということだ。
現状では、いくら動き回っても、稼ぐ手立てがない・・・そういう事だ。
どんな食材も、味付け次第。
旬の食材も、飾っておけば、ただのゴミ。
これは、弟との共同生活で学んだ事だ。
生きていくことも、「食材」と同じだと言えば、少々こじつけに過ぎるだろうか。
生活を続けていくのに、「食」を無視するわけにはいかない。
一人なら、断食、パワーダウン・・・その辺は気分次第、自己責任ということで、どうとでもなる。
しかし、共同生活となるとそうも行かない。
満足していない。
周囲も満足していない。
飢餓感ばかりが募る。
味のない人生。
気持ちの共有。
他人と、何らかの「関わり」を持ちたい。
何にせよ、自分の眼で確認しなければ、何も解決しない。
逆に、新たなトラブルを招くのかも知れないが、それを恐れていては何も進展しない。
だんだん、記事が自分本位になっていくが、これもまた私だということだ。
何、慌てることもない。
この先、何年生きるやら・・・。
どの道、この道、どこの道。
やがて来る道、帰り道。
道を忘れた惚け爺さん。
行く道忘れて、迷い道。
風に任せて、歩く道。
どこまでこの道続くやら。
歩き疲れて、日が暮れて、手を取り連れ添う人もない。
戻る家ない一人旅。
いつまでこの道往くのやら。
一人生きるとはそういう事かもしれない。
(・・・そういう事だ。・・・と、断定してから、やはりと、書き直した。)
ただ目の前の道を、ひたすら歩き続けるのみ。
67、・・・余すところ、53年+α。
何とはかない人生なんだろう!!
光陰矢のごとし 一寸の光陰軽んずべからず
私に許されたのは、歩いて行く道を選ぶ自由のみなのかもしれない。
それと、ちょっとした味付け・・・。
もっとも、それすらも、すでにどこかで決定済みなのかも知れないが。
・・・などと・・・。
まっ、それならそれで充分ではないか。
実現しようとするまいと、惚け爺さんの独り言。
言っておく分には、何ら問題はあるまい。
思うに任せず、ちょっと、弱気になっている・・・かな。
私の「ゴール」・・・か?
世界中の同胞諸君、
アメリカが諸君のために何をなし得るかを問うのではなく、
我々が、共に人類の自由のために何をなし得るかを考えよ。
J・F・ケネディ (1960年、大統領就任演説)
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■今日のコトバ:
「どんな人間として、後世に自らの名を残すか」
この言葉を意識した瞬間、人生の質が変わる。
■解説:
いつの日か、この生も終わりを迎える決定的瞬間が来る。
本当に後悔しない人生を歩みたいなら、終焉から現在を俯瞰してみるプロセスが重要。
自らの墓碑を囲む人々、そして後世に対して、どんな人間として名を残していきたいのか。
そのイメージを明確に持てれば、今、この瞬間を無駄にすることは無い。
■実践:
「自分はこの分野で、後世に名を残す程の活躍をする」と宣言できるような、S(私)さんにとっての究極的なゴール(Ultimate Goal)を設定してみよう。
私が何故仕事にこだわるか?
弟に対する見栄
妹に対する見栄
若さに対する見栄
母に対する見栄
兄に対する見栄
世間に対する見栄
父に対する見栄
ひたすら、見栄で動いているようなものかも知れない。
おそらく 私は世間体を気にしているだけだ。
今のままじゃ、このままじゃ、世間体が悪い・・・ということなんだろうな。
せめて、動いていなければ、死んだも同然だという気がしている。
パソコン依存ゾンビだ。 依存尊媚 金銭依存媚、金銭依ゾンビ
はっきり言えば、動いて、「金が欲しい」ということだ。
現状では、いくら動き回っても、稼ぐ手立てがない・・・そういう事だ。
どんな食材も、味付け次第。
旬の食材も、飾っておけば、ただのゴミ。
これは、弟との共同生活で学んだ事だ。
生きていくことも、「食材」と同じだと言えば、少々こじつけに過ぎるだろうか。
生活を続けていくのに、「食」を無視するわけにはいかない。
一人なら、断食、パワーダウン・・・その辺は気分次第、自己責任ということで、どうとでもなる。
しかし、共同生活となるとそうも行かない。
満足していない。
周囲も満足していない。
飢餓感ばかりが募る。
味のない人生。
気持ちの共有。
他人と、何らかの「関わり」を持ちたい。
何にせよ、自分の眼で確認しなければ、何も解決しない。
逆に、新たなトラブルを招くのかも知れないが、それを恐れていては何も進展しない。
だんだん、記事が自分本位になっていくが、これもまた私だということだ。
何、慌てることもない。
この先、何年生きるやら・・・。
どの道、この道、どこの道。
やがて来る道、帰り道。
道を忘れた惚け爺さん。
行く道忘れて、迷い道。
風に任せて、歩く道。
どこまでこの道続くやら。
歩き疲れて、日が暮れて、手を取り連れ添う人もない。
戻る家ない一人旅。
いつまでこの道往くのやら。
一人生きるとはそういう事かもしれない。
(・・・そういう事だ。・・・と、断定してから、やはりと、書き直した。)
ただ目の前の道を、ひたすら歩き続けるのみ。
67、・・・余すところ、53年+α。
何とはかない人生なんだろう!!
光陰矢のごとし 一寸の光陰軽んずべからず
私に許されたのは、歩いて行く道を選ぶ自由のみなのかもしれない。
それと、ちょっとした味付け・・・。
もっとも、それすらも、すでにどこかで決定済みなのかも知れないが。
・・・などと・・・。
まっ、それならそれで充分ではないか。
実現しようとするまいと、惚け爺さんの独り言。
言っておく分には、何ら問題はあるまい。
思うに任せず、ちょっと、弱気になっている・・・かな。
私の「ゴール」・・・か?
世界中の同胞諸君、
アメリカが諸君のために何をなし得るかを問うのではなく、
我々が、共に人類の自由のために何をなし得るかを考えよ。
J・F・ケネディ (1960年、大統領就任演説)