関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

日本共産党最高得票~芳賀俊之さん信念の26年~

2007年02月12日 | 市政全般
 一昨日11日に投開票された鶴岡市議会議員櫛引選挙区補欠選挙で、日本共産党公認の芳賀俊之さんは、当選には至らなかったものの色んな面で過去最高の到達を築く善戦となりました。

 今回の選挙は、自民系の市議会議員が県議選出馬のために辞職したことから実施されたものですが、自民党が共産党の7倍の得票力を持つ強固な保守地盤があることに加えて、県議選との連動、候補者の年齢差(芳賀69才、相手56才)などなどの諸条件から、当初は「勝負にならない」と言われ、相手陣営は「勝ち負けは問題外、圧勝をめざす」などと豪語していました。

 しかし結果は、芳賀俊之2066・得票率43.4%、安野良明2699・56.6%で、
  ☆05年本選挙 653票→+1413票(3.16倍)
  ☆衆議院比例票288票→+1778票(7.17倍)
  ☆庄内12町村(合併前)の議員選挙で最高得票数・率
 などなど、めざましいものとなりました。
 
 私は、告示後ほぼ毎日応援弁士として選挙カーに乗りましたが、どこの集落でも沢山の住民の方々が出てきて、訴えに耳を傾け、芳賀さんに強い期待を述べる様子に、文字通り党派を超えた支持の広がりを目の当たりにした思いでした。

 この結果が示すものは、
 一つには、合併後、「負担は重い方に、サービスは低い方に」と市民に痛みを押しつけ、バイオ産業への巨額の投資など市民の声を聞かない富塚市政への批判と、市長の提案を何でも通してしまう与党議員への批判
 もう一つは、日本共産党の町議として、百回を超える質問、監査として行政全般を正すとともに、日ごろから住民の要求実現のために頑張ってきた芳賀さんの26年間の活動への評価
 ではないかと感じました。

 日本共産党にとって、定数1の議員選挙で当選するということは、今はまだ困難な仕事であり、当初は、「可能性はある」と思って取り組んだ選挙でしたが、終盤には「もしかしたら」の「夢」を見させてもらいました。

 
 芳賀さんは結果確定後、公民館に集まった住民の方々に対し、26年間の活動の集大成としてこれだけの支持を頂いたことに感謝したいこと、自分に寄せられた期待に応えるために、議員としてではなく頑張っていきたいことなどを述べました。
 信念を貫いた政治活動の集大成として、党派を超えて多くの住民の支持を集めた芳賀さんの姿は感動的でした。
 芳賀さんが現実的なものとして感じさせてくれた「夢」を引き継ぐために頑張っていきたいと決意を新たにしました。

 
 冷たい川の中で浅葱を洗うお父さん、おじいさんと、見守る子どもたち。
 櫛引の暮らしの一コマです。
 
  


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