パロディ『石泥集』(短歌・エッセイ・対談集)

百人一首や近現代の名歌を本歌どりしながら、パロディ短歌を披露するのが本来のブログ。最近はエッセイと対談が主になっている。

2019年エッセイ・雲8 日韓の深い淵

2019-02-23 12:14:45 | 雲エッセイ

(地図は、第1次世界大戦後の領土。日本と朝鮮、台湾は一体である=図解世界史・成美堂出版から)
(一部、書き加えました。前半と後半の藍色部分です)
                 朝鮮人になってみる

 前々回のブログで、韓国の文喜相・議長の暴言について論評した。彼はその後も、アメリカで「謝罪すべき相手が謝罪を求めるのは言語道断」という意味の発言をして、発言をエスカレートさせている。天皇に対する認識も間違っており、筆者は「侮辱罪で告発せよ」と説いた。
 ただ、このような経験は過去に何度も繰り返されている。いつまでたっても、日本に突っかかってくる韓国は一体何を考えているのか? 私は逆に興味を覚え、この際、朝鮮人になってみることにした。

 忘れてならないことは、朝鮮人が1910年から1945年まで「日本人」だった事実である。日露戦争に勝った5年後の、1910年は朝鮮併合の時期であり、1945年は言わずと知れた大日本帝国が負けた年である。彼らの言い分を1人称(つまり私)で語ると…。

 …私たちは日本人として戦争を戦った。昭和19年5月に京城(ソウル)で結成された大日本帝国陸軍「狼」師団は多数の朝鮮人で構成され、北ビルマでの戦いに奮戦し、「狼」兵団の威名を上げた。伊藤桂一『兵隊たちの陸軍史』にあきらかである。山本七平氏は、陸軍士官学校を優秀な成績で卒業し、最後は南方軍総軍兵站監として絞首された洪思翊中将の「一言も弁解しないが朝鮮人としてたどった」清冽な人生を1冊の長編に描いている。

 …そういえば、オリンピックマラソンで金メダルをとった選手もいた。1936年のベルリンオリンピックで、孫基禎選手が金メダル、南昇竜選手が銅メダルである。「日本人」のマラソン金メダル第1号は高橋尚子選手ではなく、我々の同胞、孫基禎選手なのである。

 …われわれ朝鮮民族は、当時「日本人」として共に戦った仲間である。私が言いたいのは、その事実である。慰安婦の問題も徴用工の問題も、ここにかかってくる。同じ日本人として戦ったのに、戦争には負けてしまった。その責任を日本政府はとっていない。ねぎらいの言葉を聞いていない。敗戦の責任を、実際にその地位にいた人から直接詫びてもらったことはない。われわれを「日本人」として動員したのなら、謝罪の責任を果たすべきではないのか? 賠償をした、慰安婦にもお詫びの声明をした、などと言っているが、それは枝葉末節だ。

と、こんなところであろうか。朝鮮人になってみると、恨みつらみが湧きだしてくるのが分かる。しかも、敗戦の本家本元の日本が、その後、惨めな境遇に落ちたならともかく、朝鮮戦争を利用した戦争景気で経済を浮揚させ、世界第2位、第3位の大国になったことも、朝鮮民族のプライドを逆なでする要因になっているだろう。

 ただ、「日本人」のところであげた孫基禎選手、南昇竜選手、洪思翊中将、陸軍「狼」師団の将兵たちは、今や親日朝鮮人として、完全に抹殺された存在である。この辺の狭量さは朝鮮人独特のもので、世界標準から見ても異例だ。なにしろ、オリンピックのマラソン金メダルと銅メダルだもの、普通「あれはわれわれ朝鮮人だったのだよ」と自慢するだろう。その英雄を抹殺してしまうのは、自己免疫機能が自らを攻撃する「自己免疫不全」にも似て、なにか病的なものを思わせる。それだけ「日本統治36年」は朝鮮を決定的に変え、近代国家に変貌させたのだが、それが気に入らないということだろう。冷静にプラスマイナスを計算すれば、分かるはずのものが、頭に血が上って見えなくなっている。

 朝鮮人になってみて、分かったことが二つある。

 一つは、彼らの言っている戦争責任が、たしかに明らかではないという事実。アメリカの起こした極東軍事裁判(東京裁判)が噴飯もののフィクションであることは、何度もこのブログで指摘してきた。A級戦犯はフィクションであり、彼らは無実である。しかし、それじゃ、代わりの責任を日本が追及したか…といえばNOである。終戦時「1億総懺悔」という言葉が流行したが、これは「1億無責任」を宣言したようなものでもある。昭和天皇の終戦の詔勅「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び…」で日本人は納得したが、これは日本人独特の感性である。異民族には通用しない。当り前のことである。

 サンフランシスコ平和条約を結ぶとき、当時の日本政府は、東京裁判を認めてしまったからだ。「あれはフィクションでした。われわれは当時、アメリカの圧力があって、それを言いだせなかった。あらためて東京裁判の無効を宣言します」。このような声明を出すのが、唯一正しい道である。そして、我々の手で「大東亜戦争」から「太平洋戦争」にいたる道筋の検証を行うべきである。あの戦争は避けられたのか、不可避だったのか? 終戦の判断は、遅くなかったか? アメリカと日本の交渉の中で、真意が通じず誤解をしてしまった部分はないのか?総体的に誰がどの程度の責任を負うべきか?
 
 責任という時、黒か白かという決め方をすべきではない。それではまとまるものも、まとまらなくなってしまう。アメリカ式の黒白思考(これは一神教独自の考え方である)ではなく、関与の割合は70%だったり、40%だったり、人によって、状況によって様々だということを受け入れながら、真実に近づかなければならない。真実は指し示せるものではなく、近づくことができる程度のものである…と、皆が了承していなければならない。その了承がなければ、誰もが主張し、誰もが納得しないだろう。

 「朝鮮人になって」みて、私が思ったことは、日本人の責任は相応にある、ということであった。ただ、東京裁判は無効、もう一度第2次世界大戦を検証する…と宣言すれば、連合軍の戦後秩序に真っ向から挑戦することになる。世界が日本を非難し、CHINAや朝鮮は日本に攻めてくるかもしれない。なにしろ、国連では、まだ「敵国条項」が生きていて、日本(やドイツ)には、宣戦布告なしで攻撃できるからである。日本の国力は、まだまだその圧力に耐えうるものではない。

それどころか、未だにアメリカの半植民地憲法すら改正できていない劣等民族である。国に戦争が起きれば、半数以上が逃げ出す…そうした国民を抱えている国である。道は遠い。あと100年近くは敗戦国として呻吟しなければなるまい。敗戦という事実が意味するところを、日本人は知らなさすぎる。ロシアの言うことが、世界基準である。

 「朝鮮人になって」みて、もう一つ分かったことがある。1万分の1より低い確率のイフであるが、大日本帝国が勝利していたら、朝鮮人は反日にはならない。それどころか、「日本人」として、世界に闊歩していた公算が強い。なにも朝鮮民族が特別にこすからいわけではない。世界の諸民族とは、そうしたものである。どこも五十歩百歩。日本だって、アメリカにおもねって慰安婦狩りの噓を連ねた吉田清治という人物がおり、朝日新聞社が(確信犯的に)広めた、という苦い経験をしてきたばかりではないか。

 更にいうなら、朝鮮はまだ儒教の国であること。年上の人物の前で、絶対に煙草を吸わない、膝を崩さない…とか、儒教はまだ生きているというのが定説。(儒教からすれば)弟分の日本が繫栄しているのであるから、朝鮮が苦境にあれば助けるべき…という反射的な感情もあるのだろう。

 文在寅大統領が、慰安婦へ異常な親愛感を見せるのは、朝鮮の風土に慰安婦をいやしむ風潮が底流にあるからだろう。日本は朝鮮の身分制度を壊したが、身分制度が悪いと教えられた者は、かえって過激な平等主義を唱える。真似する者は、より過激にしないと目立たないからである。

 日本人の慰安婦への受け取り方は違う。飢饉で娘を売る…という風潮に同情を禁じえなかったのが日本人で、慰安婦にはむしろ同情と共感を感じていたというのが実情である。伊藤桂一の著書(『兵隊たちの陸軍史』『若き世代に語る日中戦争』)にはそのことが繰り返し出てくる。

 今になって(というか敗戦直後から)、朝鮮人は日本にずっと抵抗していたかのような言辞を弄する。大国に挟まれ常に圧迫を受けていた国が、大日本帝国臣民となり、国際社会での地位が上昇したのを機会に、自らも新しい人生を切り開こうとした人々が大勢いた。身分制度を廃止し、産業のインフラを整え、教育にも力を注ぎ、近代国家としての基礎を固めるやり方に、一部の保守的な人は抗ったかもしれない。そもそも指導されるのが気に食わなかった人もいるかも知れない。

 しかし、朝鮮民族だけで近代への離陸を果たせたかといえば、清帝国の属邦として、中世の姿から一歩も抜け出せずにいた朝鮮半島にはむりである。王族・両班から奴隷まで固定していた身分制度、文盲率90%をこえる無知と不衛生、貨幣制度への不信…など近代国家への障害は多々あった。朝鮮も自らの歴史に向き合わなければならないし、日本も半植民地状態から脱するため、真実の歴史を明らかにしなければならないだろう。

 同じように日本に併合された台湾が親日的なことと、朝鮮の反日姿勢とは興味の湧く問題である。一つは国柄のこと。台湾の高砂族は「武」の種族であった。日本の「武」の文化を理解しえた。一方、朝鮮は身体を使うことを極端に卑しむ儒教の国である。日本の「武」は理解されるどころか、蛮族のような受け取り方をされた危険すらある。そこへ加えて、粘着的な気質があるかも知れない。「日本人」として戦ったのに、戦争に負けたら「元に戻ってよ」だけでは済まされてたまるものか、という感情がいつまでも消えない。

 日本人がまた、あっさりし過ぎた民族で、過去にこだわらず、さっさと切り替えてしまうので、かえって誤解を招きやすい。あいつらは時をみてカメレオンのように変わる…というわけだ。事実、CHINAや朝鮮で日本人のイメージを聞くと「ずるい」が一番。日本人にとっては、心外だろうが、彼らがそういうのだから仕方がない。


 台湾が日本を懐かしむのは、日本の次に占領した蔣介石軍の弾圧があまりにすさまじかったので、CHINAに対する反感が増し、日本が浮上したといういきさつもある。現地の軍政の差に理由を求める向きもあるが、日本は資金を持ちだしてまで、朝鮮でも民生の向上に努めている。文化の差からくる国民性の差の方が大きいだろう。

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