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清流を見ながら

川面に映る自然を見ながら時々に思うこと

複数の報道が必要

2012年12月27日 | 報道
 インフルエンザーの予防注射、90分待って注射は3秒で終わった、と面白く書かれている。本当は熱を計ったり問診があった後の3秒と思うが、書き方によっては面白くなるが、誤解を招くこともあろう。もし、問診などが抜けているとしたら大きな問題だ。

 新政権について報道はいろんな角度から記事にしたり解説を載せたり工夫されている。インパクトを感じるのはTVだろう。それは見て聞いているだけで、新聞のように読むことなく情報を得た気分になる。そこには視覚で報せる工夫がされている。それだけに落とし穴が怖い。そこには口を挟む余地がない。

 安倍政権の評価、組閣のいきさつから「総理の指導力に疑問」と投げかけたもの、反対に「指導力調整力が備わった」とある。記事はそれに添っているからどちらの書き方も筋が通っている。今すぐ素人には判断できない。しかし、組閣準備前段と最後では何人か変わった。疑問を書いた記事ではそこの背景が詳しく書いてある。調整力を評価した記事は実力内閣を作ったことがメインになっている。

 情報の怖さはよく言われるが、何をどう報道されるかでガラリと変わる。原発なんて「再稼動ありき」の変わっているよな気がする。ここは公明党に大きな期待をする。今日も株価上昇、輸入品の価格上昇もこれに連鎖する。夕方のニュース、ガソリンの価格上昇はとまらない、そんな内容だった。

 難しい経済のやりくりは理解できないがデフレ脱却と物価上昇、これに伴う年金や賃金のあり方についても報道は力を入れて欲しい。

映像で証明を

2012年11月23日 | 報道
 政界と報道関係はすっかり選挙モード。出演する前議員の皆さんがここぞとばかり非難合戦。聞いていて面白くない。国政の責任は与党にある。が、野党に全く責任無しとはいえない。そして非難に使う言葉が「汚い」。非難だから自然そうなるのかも知れないが、議員になろうという人、党の幹部ならば少しは品位がほしい。子どもの罵りあいのような言葉は避けてはどうか。

 幹部の発言は大きく取り上げられる、国民は関心を持つ。その発言に対する世論の風が強いと釈明が入る。時には言っていないという。そこで報道、特にTVは取材した「音と映像」を持っている。それを最大限に活用して欲しい。

 先日、TV討論の前にあるレポートがあった。その内容は複数の報道で流されていて目新しいものではなかった。ところが取り上げられた党の前議員は「幹部はそんな発言をしていない。今のレポートは間違っている」と立腹していた。

 それに対して司会者は一言も発言がなかった。ということは否定発言を認めたことになる。間違い、と言われっぱなしでは視聴者は何を信用して討論を聞けばいいのか。

 言った言わないをつつきあってはどうにもならない。そんなとき、取材した音と映像を資料として提示して報道側の姿勢を示して欲しい。放送用レポートを間違いと言い切られているのだから。このことに何か問題があるだろうか、素人考えでは思いつかない。

 あのときのレポートが間違いなら謝罪訂正が必要だし、番組自体もなかったことにしなければならないのではないか、と思う。

交通事故の報道

2012年10月30日 | 報道
 県内で高齢者の交通死亡事故が多発し注意警報が出された。亡くなられた方のご冥福をお祈りします。

 事故の様子は報道でしか知りえない。そこに報道の原則5W1Hを徹底して欲しい。事故発生の地域を知らない者には、分かりづらいことがある。その一例。

 「片側2車線の道路を横断中の高齢者がはねられ死亡した。警察は運転していた・・・。現場は直線で見通しがよく横断歩道はない」。よほどのことがない限り、ローカル放送の内容はこの程度でNHKも民放も同じ。
 
 片側2車線といえばかなり広い。歩道のないそれを渡るということは危険である事は分かる。が、事故を起こした車は横断者の左・右どちらから来たのかくらいは報道して欲しい。右からなら横断を始めてまもなく、左側なら道路中央を越えていることが分かる。

 報道は、事故の状況をもう少し詳しくすることで運転者にも歩行者に反省や自覚を促し、事故減少に寄与できると思う。

 広い道路の中央を越えて、夜間で、横断歩道でないところの死亡事故、事故は事故であるが、このようなときどう避けるか考える。「走行はハイビーム」で歩行者を早期に発見する、これしかないのだろうか。対向車との関係を思うとき、悩む。

 夜間、どうしても歩いて外出のときは「反射タスキ」を使用する。これは夜間運転の経験から有用であると感じ実践している。ひき逃げされた経験があるので、事故のつらさはよく分かる。加害は勿論だが被害にもあわない安全対策を考え実践しよう。

マスコミ倫理懇談会

2012年10月08日 | 報道
 マスコミ倫理懇談会とは「メディアの倫理向上と言論・表現の自由の確保を目的に55年に東京で創設。全国10地区の懇談会と、新聞、放送、雑誌、広告など9団体とで構成され、224社が加盟。マスコミ各界を横断的に結ぶ唯一の組織」とある。毎年、全国大会を開いているという。

 今年の懇談会の記者レポートの「基地・原発」を読んで、いいところが突かれている、と思った。そして、レポートにあることを今後の報道姿勢に取り込んで欲しい、そう感じた。

 基地について「沖縄と本土、認識に違い」とある。基地の町に住む者としてよく言って貰った、と沖縄の関係者に感謝したい。同じことは基地の町の実情は事件や事故が起きない限り日本の皆さんに知って貰えないことから、沖縄の皆さんの気持ちがよく伝わる。認識に違いの表現は「大違い」が実情と思う。

 原発につては「情報隠し見抜く力必要」。福島原発事故直後の報道、とくにTVはお粗末だった。映像は真実だが、解説や原発の構造などは私ら素人以下だった。原発ですと言いながら示された図は原子炉、発生した蒸気の行きの先発電機も無ければ復水器も無い。そんな図面で説明を始めていた。しゃべりながら疑問と思わなかったことが不思議でならない。知らないから無理はないかも。

 原発安全の大本営発表だけで報道してきたことが如実に分かるお粗末だった。ベントすればすべて安全になります、といった解説員もいた。ベントは何かを調べ学習してから解説すれば、原発のそれがどれだけ危険かはすぐに分かったはずだ。分からなければそれを正直に言うべきだ。

 霞が関・永田町・産業界だけに偏った情報はこれからチェックされ、公正で公明な報道を願いたい。報道は世論の喚起剤でもある。倫理懇の生かされることを願っている。

政治番組に一考を

2012年10月07日 | 報道
 政治はTV局から始まる、そんな感じがする。土・日には各局が政治関係の放送内容が増える。出演?する政治家はそこでいろいろ発言する。自己PRも兼ねた発言は聞き苦しいこともあるが、それまでなかった新しい提案や内容が出る。悲しいかな、こうした番組では「言いっ放し」で結論は出ない。

 こうした番組で時には大きな関心をもたせる発言も聞くが、所詮それは画面からの話となっている。決まった放送枠のなかで、出演議員らに与えられた時間だけ順番に「話す」のでは、今回も尻切れトンボで終わったか、そんな虚脱感を覚える。
 
 政局、経済、外交、教育、社会問題などなどを網羅しすぎる。出演者が各項目についてエキスパートならいざ知らず、聞いていて広く浅い議論しかできない出演者も多い。もう少し的を絞った討論にして欲しい。

 野党の数がものすごく多い。均一な時間制では与党はかなりの損をこうむっている感じがする。この辺にも考慮して、TVの政治討論番組を局の看板にする、そのくらいの意気込みで制作して欲しい。

おかしな話

2012年10月03日 | 報道
 尖閣の国有化で日中関係がこじれている。歴史的に日本の領土という政府の発表を受け入れるしかない。竹島も同じ。このこじれを様々な角度から論じ解決策を見出すのは国の力である。力というと武力を持って向かうという考えの人もあるようだが、ここでいう力は知である。

 ところで、この問題による論じ方で首を傾げる番組があった。尖閣以後に発生した経済摩擦だけに論拠おいた意見。貿易で、観光で何百億円の損失が生まれた。確かに事実だろう。しかし、それを論拠にして尖閣に対する中国の意見を受けるなどできる話ではない。面白おかしく取り上げるのは芸能界の話だけに願いたい。

 






CMの合間にニュース

2012年09月12日 | 報道
 夕方のTVニュース。あまりCMが多く長いので計ってみた。ニュース105秒、CM150秒、このパターンを何度か繰り返す。ニュース番組ではなくCM放送の間にニュースを流す、そんな感じだ。

 ある高名な男優が「最近の民放ドラマはCMの間に放送する」と発言されたそうだが、ニュースも同じ範疇に入るのか。たまに見るドラマ、昔に比べるとCMの本数が多く、その時間が長い。CMが終わって本番かと思いきや5秒ほどで又VCMが入る。そして後半に入るとCMと本番が同等かと思うときもある。

 民放だからCMの入ることは承知している。そこで制作側に考えて欲しい。視聴率が取れない番組制作をするからCM料が下がるのでは、素人なのでそんなことを思いつく。確かな上昇が見通せない日本経済、そんな中で光る番組をたまには放って欲しい。

 番組紹介で知る、食べ物を粗末にするなど、とうてい子どもに見習わせることの出来ない内容などが多すぎる。全てではないが年々、番組の質が下がっていくようだ。我が家に小さな子がいたら見せないだろう。

 高いCM料が稼げる番組、それを期待しています。

コメンテーター

2012年07月28日 | 報道
ある教育関係者の大津の中学生自殺に絡めたこんな寄稿が載っていった。TVのコメンテーターが「全国の先生や学校は何もしていない」という表現を謹んで欲しい、というもの。コメンテーターの言質の不快さは何度も書いた。今度は専門化からのクレーム。

コメンテーターはどこから前述の発言が出されたのか、と問う。その寄稿者は、多くの学校でいじめへの対応をとられている。全てとする表現にはそれなりの論拠が必要だろう。思うにコメンテーターが自ら取材をしたと言うものなら、その旨を教えて欲しい。報道に載ったいくつかを組み合わせたコメント、そう感じることはよくある。

 TVのニュース原稿で先日ミスがあった。オスプレイが陸揚げされる日の朝のニュース。オスプレイを積んだ船の接岸直前の映像にあわせ「ばらばらにされたオスプレイがこの船に積まれている」と流した。オスプレイの積載方法は米軍の提供写真などから「ばらばら」でないことは関心ある人なら誰でも知っている。

 その放送から2時間あまり過ぎたころ、翼を折りたたんだ姿のオスプレイが姿を現した。小さなことの発言、小さな間違いの報道、そうしたことが報道への信頼を失い、時には大きな間違いに連なる。

 オリンピックが開幕した。サッカーは男女とも嬉しい1勝でスタートし、日本選手団への期待は高まる。ここでコメンテーターにお願いがある。勝負や試合の内容について発言するとき、「自分らはコメンテーターであってプロではない」という自覚で話して欲しい。日本人として本当に嬉しい、残念だった、そんな気持ちを発して欲しい。

 個々の技術や見通しなどの解説はプロの人にお願いしたい。

溜飲を下げるだけ

2012年03月06日 | 報道
東日本大震災から間もなく1年。報道はいろんな視点から検証した特集を組んでいる。災害発生時の恐ろしい映像は小さな子供に良くない、という意見があるとか。災害を忘れない、次への教訓とするためには、あの時の状況を正確に伝え残さねばいけない。何とか関係する人たちで知恵を出してほしい。私的には子どもも見て欲しい。

報道の中、特にワイドショーのとらえ方に首を傾げる時がある。それは被災事実や復興復旧事業などのある一点だけをとらえて国や県などを批判する。批判は仕方ないが単に溜飲を下げるだけの批判を見受ける。コメンテーターの質にも問題を感じるが、それでは井戸端会議の域を出ない。

検証といううからには、論理的に導き出した対応を求めたい。それでこそ検証に息を吹き込むことになるのではなかろうか。提言があってこそ批判や検証が生きる、そこを報道、特にTVは考えて欲しい。このことではTVは新聞に勝てない、大きく水をあけられている。

被災地を訪ねる女性レポーターにあきれている。マイクを持っていなかったら観光客かと見間違う服装に驚く。被災地を仕事でルポするのだか、それにふさわしい服装があろう。目立つコート、踵の高い靴などなど、仮設住宅を訪ねる服装ではない。事故災害現場からノーヘル、軽装の中継などもあるが、取材は何が飛び込むか分からいはずだ。






ドラマの工夫

2012年02月23日 | 報道
このところ体調をがすぐれず、TVを見る時間が多かった。GWに大笑いと大声をあげて騒ぎ回る番組の予告がある。予告を見ただけで本放送を見る気にはならない。キー局をはじめローカル局の収入減がそこにあると気づかないはずはないだろうに。

ドラマを少し見た。医者と刑事の多さに驚いた。高度な医術を駆使する中でのドラマ、その中に善悪憎悪が落ち込んである。刑事は一人の主役刑事が一人で事件を解決するという、これも同一パターン。

明るい街中で悪人に追われて逃げる人がいつの間にか暗い人通りのない通りへ入り込み被害にあう。これもワンパターン。決められた時間に解決するという制約はあるだろうが、視聴者のために一考を要するのではなかろうか。

鑑識の職員が犯人を捕える、鑑識の済んだ現場で単独行の刑事が新しい証拠品を簡単に見つけそれが事件を解決させる。そんな鑑識が本当にあるのだろうか。刑事と公安の対立、こうしたパターンでのドラマでなく、犯罪抑止になるドラマを期待したい。

携帯にコマーシャルを奪われて不況というTV界、真にいいものを放送して復活してほしい。高齢になり、スマホ等新しい機種にはなかなか切り替えられない。古くても使い慣れた携帯電話が味方だ。災害時にはTVが頼りだ。いろいろ注文したいことはあるが、先ずはTVの復活を期待したい。