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再掲) 白拍子橋、大川橋は吊橋。その先は奈良県山添村、そこから「大川の摩崖仏」(伊賀市治田)を見る。

2025-04-28 20:41:17 | つれづれ思うまま
ふと思い出したことがあって、今日は過去ログの再掲に相成ります。

予野川で「白拍子(シラビョウシ)橋」、その先に「大川(オオコ)橋」、ここは県境。

頼朝と義経の諸事情は→「頼朝は、なぜ弟の義経を討ったのか

続編
続・二つ目の吊り橋渡るとそこは山添、大川(オオコ)遺跡とキャンプ場、そして大川地蔵(魔崖仏)

今日2025年4月28日には「花垣の八重桜」が満開!という情報を得ました。
  知人FBより拝借。
が、残念ながら所用と雨にたたられて見に行くこと叶わず。
そこで、これは2年前の4/22の「花垣の八重桜」が満開を…これまた過去ログです。

そして桜絡みで自分のblogを検索していたら先の2題も出てきたわけです。
しかも日付を見れば3年前の4/28と4/29。
行き方は↓
 

この時期の思い出としては丁度いいなぁと…ちょっと手抜きblogになります💦💦

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大滝峡キャンプ場 (moni5187)
2025-04-29 12:15:56
に、その昔、行ったのを思い出しました。水たたえたると歌われた小学校前というバス停から、諏訪方面からのバスに乗って、産業会館で治田方面行のバスに乗り換えると満席になってしまい、途中から乗って来たおばさんが座れず、これは治田への通勤バスですねん。とぼやいていました。天理行の名阪バスだったかは覚えておらず、治田ICから歩いて行きました。
キャンプファイヤーを囲んで「例の歌」を合唱して、エリザベス女王のをくださいという余興をして、板張りで予め設営されたテントに泊まって、翌朝は飯盒炊飯してボンカレーを食べました。飯盒をこびり付かせてしまい適当に洗って返しておくと、帰りにせっせと洗ってる子がいて、これは誰が?。と聞かれましたが、知らんふりしてしまいました(^^;)。そして、治田ICまで歩くさい体操服についたカレーの匂いがしたのを覚えています。

過去記事では予野川に架かる黄色い「白拍子橋」の先にキャンプ場があったとのことで、当方の記憶と一致しました。名張川に架かる赤い「大川橋」の先のカントリーパーク大川は、まだ出来ていなかったようです。

以下2011年と1974年~1978年の空中写真を重ね合わせた地理院地図です。+のところだと思います。左下の選択中の地図の2011年を押すと2011年が最上部に、もう一度押すと消えて、1974年~1978年も同様に表示非表示できます。
https://maps.gsi.go.jp/#16/34.700356/136.076321/&base=std&ls=std%7Cgazo1%7Cnendophoto2011&blend=0&disp=110&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m

例の歌とはキャンプファイヤーの歌で、フランス民謡が原曲で以下「星影さやかに(一日の終わり)」と「燃えろよ燃えろ」の日本語歌詞が付いたとのこと。アメリカ民謡からとの説もあり、最新鋭のAI技術を以ってしても作曲者は不明なのだそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=h762b3Cl_QU
返信する
聞いた話は… (kuro&hana)
2025-04-29 17:56:27
>moni5187 さんへ
>大滝峡キャンプ場... への返信
間違いでなかったことを証明していただき感謝
いたします✋
国土地理院の使い方が間違っていたら申し訳ないのですが
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/be/dc5dd6cedb54c4225ab75564a6240539.jpg
こんな感じになるのかなと思います。

その昔、「白拍子橋」「大川橋」という立派な吊橋がなぜこんな辺鄙なところに造られたのか?
moni5187様がキャンプされた頃、家人は役所に入り公民館に勤務していたそうで、夏の時期このキャンプ場で学生のアルバイト募集していたそうです。
だから、まさにキャンプ場の現場は仕事場でもあったのか!?という50年ほど前の話になります。
もう半世紀前の話ですね💦💦
この二つの「吊橋が出来たから『キャンプ場がオープンした』」という歴史があるそう、
そしてこの吊橋は「瀬戸大橋の巨大吊橋」を作るための「実験用の吊橋」だったということ。
おそらくこの1970年代には、辺鄙な川に似つかわしくないほどの立派な吊橋があちこちに出来ていたらしいです。
五月川(=名張川)沿いでいえば「高山橋大橋」(高山ダム近くの)や「八幡橋」(月ヶ瀬の)がそうだったと。
地方の小さな川でコツコツと実験を繰り返してだんだんと巨大化させ、ついには「瀬戸大橋」へと発展していったのかと思うと感慨深いものがありますね。

moni5187さま、国土地理院の地図を教えていただき、再び冒険していました。
また本日の様子は写真が整理出来次第書こうかと思案中です。
ありがとうございました。
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