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日々日々日記

過去の事 現在の事織り交ぜて
淡々と綴ります。

思わぬ世界へ・・・

2017-06-03 08:13:32 | 自叙伝

母の連れ合いは昔からやくざ者で働かない男だったが

幼子がいて思うように働けない母の提案で

ボス(やくざやさんの親分)の家に行き

母が泣きながら今の窮状を訴えた。

実は暴力男だという事も暴露した。

母の連れ合いは外面が良く面倒見も良いので

ボス側の人間は誰もがビックリ仰天ってことだ。

私まで巻き込まれたくは無かったが

ボスの一人娘が嫁に行き寂しくなったので

私が住みこみでお手伝いさんに入る事

昼間は本業の土木会社で働く事を条件に

母の連れ合いを手元で働かせてやろうってことになった。

私にはこの流れを止める力は無かった。

そのために一家そろって引っ越しをして

私はボス宅、母たちはボス所有のアパートに住まう事になった。

私はそこから1時間もかけて学校に通うことになる。

 

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新しい生活へ・・・

2017-06-02 07:58:18 | 自叙伝

仕方ないけど

私とは折りあいの悪い母の連れ合いと

3人の異父きょうだいとの生活が 1年10カ月ぶりにまた始まった。

高校への通学は電車になった。

次の就職は高校の掲示板に張り出されていた小さな事務所

条件は 字のきれいな人

定時制高校に通学可

面接を受けて即採用された。

昔はコピー機もなかったしね。

お役所の情報を手書きで書き取り

それを清書してお客さんに渡すということをしていた。

聞く事成す事すべてが知らない事ばかりで

早く仕事を覚えようと

学校の勉強より熱心に勉強した(笑)

仕事は簡単なことから教えられて

少しずつ難解なものへと移行していくも

仕事はやりがいがあり、

天職というものに巡り合ったと自分では感じていた。

運命の人として3番目に挙げられるのは

この事務所の所長さんかな!

息子さん2人、娘婿さん、見習いさんに事務員さん

総勢10名ほどの所帯を

上手にまとめあげられていて

怒った様子など一度も見た事ない温厚な方だった。

 でもここも1年で辞めざるを得なくなった!

 

 

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会社を辞める時

2017-06-01 08:37:27 | 自叙伝

1年10か月前は旅行鞄1つで入寮したのに

退寮する時は軽四トラック一台分の物持ちになっていた。

今更ながら

円満退職じゃなかったのが心残り

どうしても辞めさせてくれないので

勝手に荷物を運び出して

あんなに良くしていただいた寮母さんに挨拶もせず

逃げるように会社を後にした。

私の人生で由一後悔の念にさいなまれる出来事やね。

何年か後にたまたま電車の中で寮母さんに出会って

無礼をお詫びできたことが救い!

 

会社を辞めたこと中学校の就職担当の先生に報告に行った。

なんで辞めた!?

あんな仕事私がやりたい仕事やなかった。

先生は激怒して、ロクな仕事もできんくせに

大きな口叩くなと かなり怒った。

次の年からは我が校から生徒を送り込めなくなるかもしれんやろって!

後に続く人の事なんか考える頭もなかった17歳の頃 

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続き 会社を辞めるまで

2017-05-30 12:44:27 | 自叙伝

会社を辞めたいと思ったのは 鼻の事もあるけど

毎日毎日同じ仕事で嫌気さしたのもある。

寮生活は楽しかった。

中にとても親切な先輩が居て

日曜日のお昼ご飯に呼ばれる事も・・・

ただそれが同じ部屋の人には不愉快らしく

何でアンタだけやの?

そんなこと言われてもね

先輩は 部屋の人の事は気にせんとき!って言うけど・・・

結局日曜日は出かける事が多くなったかな。

カメラも買ったんだし・・・

私が住んでいる所は京都にも大阪にも近くて

京都の、大阪の親戚巡りが多かった。

どこへ訪ねても よーきたな~!て歓迎してもらえたしね。

もちろん家へも帰って

まだ幼い妹弟を連れて 動物園に行ったり

デパートの屋上で遊んだりした。

 

会社を辞めるとなると私なりの問題も多く

そうそう簡単ではなかった!

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ひよっこを観ていて⑤

2017-05-29 12:39:17 | 自叙伝

自分の会社がいきなり倒産するなんて

これ以上の悲劇は無いように思うね。

これからの展開が気になる。

 

私が勤めてた会社はまだあるらしい。

本体が日本一の会社と合併収拾されたので

顔だけは似て非なるものとも言えるかな?

私もラジオを作っていた。

詳しい部品の名称などは

すっかり忘れてしまったが

ハンダ付けは

部品を差し込むだけの仕事と違って

作業中ハンダの煙を吸い込むので

体調を悪くする人もいた。

顔中に吹き出物が出て辞めた人も・・・

私の場合は

鼻の奥に吹き出物ができて 息がしにくくなると

仕事に使っているピンセットで

かさぶたを剥がし取るんだけど

取った跡に血が滲み 

それがまたかさぶたになるという悪循環に陥っていた。

かさぶたに厚みが出てきて鼻の穴が

だんだんと狭くなってきてるような気がして

息をするのもしんどいと思う時があり 仕事が辛くなってきた。

一度は会社の上司に現状を訴えたが

事務職になら空きがあるから代われると言われても

私に事務職が務まるわけもなく

その時は泣く泣く諦めた、が

ラジオ部が不況の波で減産体制に入り

私はテレビ部に回された。

ハンダづけではなかったのが嬉しかったが

一体どんな作業していたのか思い出せない。

タダ暇で暇で仕方なかったのは覚えている。

働き始めて1年10カ月で会社を辞めた!

続きはまた・・・

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前日の続き・・・

2017-05-27 19:33:10 | 自叙伝

生徒の誰にも一度や二度 

学校を辞めたくなる気持になるみたいね。

事情は人それぞれ・・・

私の場合は勉強に付いて行けない!

それに尽きた!(笑)

休みの日に寮で勉強すればよいのだろうけど

普段できない大物の洗濯とか

日曜日は会社の食堂も休みなので

ご飯も作らなきゃいけないし

寮に居たら居たで、同僚が遊びに来たり

他の部屋に呼び出されたり・・・

大体が勉強嫌いなので 当然行きつく先は成績不良!

 

担任が職員室に来るように・・・

言われることは分かっていた。

ずる休み長かったな、なにしてた?

何となく体調悪くて(嘘八百)

こんな成績じゃ進級でけへんな、勉強してるか?

忙しくてする間が無くて

あのなぁ、忙しいという人間ほど暇があってもせんもんやで

出席日数もギリギリやし、成績も伸びんし・・・

もうちょっと勉強せんとあかんやろ

私辞めようと思うてるんですけど

そういうと思った!本当は辞めたくないやろ?

僕たちも全生徒を卒業させたいと頑張ってるんや

ちゃんと卒業したいやろ?

残りの学期一日も休まず遅刻せず来たら進級させてやろう

3年生になったら勉強もするんやで

 

今も思い出す。

おじいちゃん先生の優しい言葉を・・・

私はこれで生まれ変わった、と思う。 

 運命で巡り合えた2番目がこの先生だった。

1番は私に定時制高校の事を教えてくれたイトコ。 

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運命の人との出会い

2017-05-26 20:55:53 | 自叙伝

私のように根っこがのほほんとしている人間にとって

寮生活に文句は無く

会社と学校を両立されるために

なにがしんどかったと言うと 勉強の事だったね。

なにしろ小学校を5回も転校して

勉強というか学問?の基本と言うのが

全く身についてなくて、それは自分でも自覚していた。

当然中学の成績も悪く、高校に進学できるなんて夢にも思わなかった。

寮生として受け入れてくれる会社がある町の高校は

公立の普通高校だけど

全日制ならば進学校として

上から2番目の偏差値の高い学校だった。

定時制と言え合格通知が来た時は本当にびっくりした。

勉強に付いて行けないかもしれないという不安は

すぐ現実になるんだけどね(^_^;)

 

今だから書けるけど

中学校で仲良しだった友達の一人が

全日制に進学していた。

定時制というコンプレックスがある私は

いつか学校で鉢合わせするんじゃないかと

内心ヒヤヒヤしていた。

活動時間が違うので出会う事は無かったんだけどね。

内心会えたらいいなと思った事もあったけど・・

友達は優秀な人で、大学も出て

教壇に立つ仕事をしてそうだと想像していたが

中学の同窓会で会って、まさしく!当たっていたのが嬉しかった。

 

定時制は4年制

1年から2年への進級はカツカツできたけど

3年への進級時には躓いて

もう学校辞めるかな~

今日こそ辞めると先生に言おう!と

一週間ぶりに登校したら「ずる休みしていた」

級友が お前が来たら職員室へ来いとさ!

 

つづく

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「ひよっこ」を観ていて④

2017-05-25 20:10:50 | 自叙伝

勤めていた電機会社は女性が多かったので

私が知らないだけで

社員の為の習いごととかあったのかも知れないね。

たとえばお花とかお茶とか・・・

定時制高校に通う者は終業時間になると

大急ぎで着替えをし「高校の制服」で走るように登校した。

学校に着くと

生徒に支給されている牛乳とコッペパンを食べ

小腹を満たし、午後9時ごろまで学校にいた。

牛乳が時々コーヒー牛乳になることもあり

とても楽しみだったのを覚えている。

定時制なのにちゃんと部活もあったのよ。

コーラス部もあったし、バレー部、手芸部もあったような?

夏は水泳部もあったね~

私は一切部活動はしなかった!

ずーと帰宅部だったね(笑)

男性寮には寮長、女性寮には寮母さんがいた。

寮母さんが毎日学校に通う社員の為に

夕食を会社から寮まで持ち帰り

寒い日は温めておいて待ってくれていて

その心遣いを無駄にしたくなかったというのもある。

当時は 会社も学校も日曜日しか休みが無くて

寮生活していると

日曜日に掃除当番とか何かと用事も多く

そんなに遊びに出かけることはなかった。

勉強もしなくちゃいけなかったしネ

会社のとか学校の友達とかで映画に行ったり

ウインドウショッピングなんてのも記憶にないなぁ。。。

とにかく毎日忙しかった。

 

続きはまた・・・

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「ひよっこ」を観ていて③

2017-05-12 17:49:28 | 自叙伝

今日は初月給の日

そういえば、私が勤めていた会社の斜め前に

郵便局があったのを思い出した。

そこから実家に仕送りした人も多いだろう。

高校卒で6千円!

中卒なら幾らだったのかな?全く記憶が無い(笑)

私は仕送りする必要もなかったので

私のお金は私のもの(笑)

多分一番にレコードプレーヤを買ったと思う。

近くに電気屋さんがあって

10回払いの月賦にしてもらっていた。

毎月千円だったと思う。

当時の大卒の初任給が2万幾らかだったらしいので

1万円のプレーヤそんなに安物ではなかったのね(^_^;)

カメラも月賦で買った!

でもお金が余るとか足りないとか全然覚えてないのが不思議!

服とかバッグ、靴には全く興味がなくて

レコードを買ったり、写真を撮りまくって

カメラ屋さんの常連になるくらい(^^)!

 

由一覚えているのが

初ボーナスが3千円だったこと!

当時は現金支給で

社員全員が社長のほうに倣って

将来の為にしっかり貯めて下さいとおっしゃったのだからと

期待して 封を開けてガッカリ!したのは覚えている(笑)

金の恨みは怖いよ~(爆)

 

でも少しは貯めてたみたい

結婚式の費用は自分で出したし

お金がなくて結婚指輪が買えない夫の分も

私が買ってあげたから(笑)

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「ひよっこ」を観ていて②

2017-05-10 18:34:19 | 自叙伝

お風呂屋さんに行くシーンがあったけど

私は全く記憶が無い!

寮にお風呂が付いてたような記憶も・・・

どうしてたんだろ!(笑)

コーラス部などの福利厚生が充実してたとも思えないし。

このブログでは初めて明かすけど

親が貧乏で高校も行かせてもらえなかった。

同い年で1学年上のなかよしイトコが

中学を出て就職したものの

これからの時代に中卒じゃだめだ!

アンタは今からでも間に合う。

夜間高校なるものがあると聞いたので先生に相談し!

勉強嫌いな私、別にいいよ~って感じだった(笑)

当時就職組がクラスに5人もいなかったと思う。

進学組が受験勉強している間

就職組は別室で仕事に役立つのかどうか

何かの工具を前に訳分からん事をやらされていた。

受験勉強をやるほどの頭は無いし

かと言って屈辱的な事をやらされるのにも嫌気がさし

やっぱり定時制高校を受けようかなと思い 先生に相談したら、

働きながら通える大手の電機会社を勧めてくれた。

母の連れ合いが

そんなに高校行きたかったら行かせてやるぞ!

その言葉で私の気持ちは固まった。

こんな男に高校行かせてやったと 将来大きな顔させるもんか!

先生にお願いして寮に入らせて貰った。

この会社からは沢山の金の卵たちが定時制高校に通っていた。

仕事は定時より少し早く終らせてくれて

学校に遅刻しないように走るようにして通学した。

毎日楽しかった!

そうそう、私もラジオを組み立ててたのよ~

会社では2階でラジオ、1階でテレビを作っていた。

ドラマよりもっと最新式のベルトコンベアーだったけど

私はハンダ付けの仕事を与えられていた。

けっこう手先は器用で怒られた事は全くなかった?忘れたけど(笑)

翌春新入社員の前でお手本を示す役を貰ったくらい。

せっかく一番隠しておきたい事を暴露したんだから

これからも私の青春をドラマに合わせて書いてみようか!な? 

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「ひよっこ」を観ていて

2017-05-08 20:47:19 | 自叙伝

朝ドラの「ひよっこ」

寮での生活が始まって

まるで自分の過去を振り返ってるような気がする。

今は合併収拾されて名前が無くなったけど

大電機会社の大きな下請工場で働いていた。

私は地元の者で寮に入る資格はなかったんだけど

家庭の事情を汲んでもらえて寮生活していた。

寮長が居て

何て言ってたか忘れたけど

室長なる人が居て

その人は5歳くらい上の人で

2.3歳上の人と2人の新人

布団4枚敷けばいっぱいになる畳の部屋で

4人が規則通り生活していた。

今思うと6畳の和室だったのかなぁ。。

布団の頭に当る所に布団と同じ幅の

押し入れダンスを1つ置いて

そこがマイスペース!

着替えなどはタンスに入れて

タンスの上は好きな人形や本、ぬいぐるみ

私の場合は小さなレコードプレーヤーを置いていた。

食事は会社の食堂で朝昼晩と食べた。

会社と寮は道路で向かい合ってるだけだった。

寮は女子寮と男子寮があり 寮同士は近かった。

ゆえに色んな恋愛事が起きても不思議じゃない。

ドラマでは

最初の日にでたカレーライスが美味しそうだったが

今も覚えている!

毎週木曜日の昼はカレーライスと決まっており

その不味いカレーライスを食べたくないものは

隣にある市場の肉屋さんから揚げたてのコロッケを自費で買っていた。

あのコロッケは頬がとろけるほど旨かった~(笑)

ただ空腹を満たすほどは買えないので

時々しか冒険はできなかったけど・・・

 

これからは寮生の生活ぶりがドラマで再現されると思う。

私にとっては青春時代を思い出す日々となりそうだ。

 

今朝は黄砂がひどかった。

昨日に続き 洗濯物は室内干しした。

 

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