内藤牧師のブログでコメンテーター

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。

第192回「東日本大震災と大津波を体験して」

2011-03-23 15:30:11 | 牧師のブログでコメンテーター

 私たちの教会は仙台港に近く、海岸線から700メートル地点にあります。今回の大津波では、直撃を受け、建物の土台のみが残るということになりました。被災した者の一人として、今の心境を述べてみます。

 今回の大津波で危機一髪のところで内陸に避難した私は、避難所の小学校で避難生活をすることになりました。電気、水のない生活が始まりました。しかし、反面、これまでの生活がいかに恵まれたものであったかということを知ることもできました。また、避難所生活は、新たな人々との交わり、また、かつて関わりを持たせていただいた人たちからの励ましを受け、人と人との絆の大切さを改めて知ることになりました。
 今回、大津波に見舞われた地に教会の場所を5年前に移転したことの意味は何だったのか、主の導きに従ってそこに行ったつもりでしたが、そうではなかったのか、自分勝手な思いだったのか、特に、被災後、2日目の夜は、そのようなことを悶々と考え、眠られぬ苦しい夜をすごしました。

 しかし、そういう中で、ローマ8:28「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神はすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。」というみことばの特に「神のご計画」ということを覚えました。
 被災後3日目くらいになると、私はずいぶん元気になりました。というのも、ヨハネ16:33「~あなたがたは世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」というみことばの「勇敢でありなさい。」という部分から力を得ました。世に打ち勝ったイエス様が共におられるから、勇敢でいようと思いました。その後、聖書を失ってしまった私は、教会のメンバーから聖書を一冊届けてもらい、無意識に最初に開いたのがイザヤ54章でした。そこには、全能の神の憐れみ、また、厳しさ、そして、祝福が語られ、自分に対する神のみ計らいを強く感じました。

  今、私は、神の憐れみのゆえに命が保たれ、残された生涯を主の栄光のためだけに生きたいと、心新たにしています。私に与えられた使命は福音を届けることです。でも、どのようにして届けるのか、その届け方が意外に重要だと考えています。この大震災によって、人々の心が神に近づいていることは確かなようです。私は主の導きを的確にとらえて、ただ、主と共に仕えていきたいと願っています。(2011.3.23)

コメント (7)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする