ダイエットというと、一般的には痩せることを目的にした運動や食事の改善などを言うようですが、元々の意味は、健康や美容を目的とした食事のコントロールとのことで、少し本来の意味とは、ずれているようです。もっとも、痩せることが健康と美容に結びつく場合が多いので自然にそのような意味に変化したものと思われます。
つい最近では、バナナにダイエット効果があるとテレビで紹介されると、スーパーなどの食品売り場でバナナが品切れになるという現象が起こりました。私は以前からバナナをよく買っていました。もちろん、ダイエットのためではなく、比較的安くて栄養がありそうで、しかも美味しくて食べやすいからです。先日のことですが、いつものようにいつものスーパーで買おうとしたら、完全に売り切れていました。常連のバナナ愛好者にとってはいい迷惑というところです。現在はもう元の平常の状態に戻ったと思いますが、それ以前は寒天、納豆もダイエット効果があるとテレビで紹介されると、瞬く間にスーパーなどから姿を消したようです。それだけ痩せたい、願望の人が多いということでしょう。そして、それらの食品が一時的に品切れになるものの再び回復するのは、それらの食品を試したけれども、結局、ダイエット効果が特に現れるということはないので、前と同じ食事パターンに戻ったということなのでしょう。
ところで、自慢ではありませんが、私の体はおよそダイエットとは関係ありません。ダイエットどころか太りたいと思っているのですが太れないのです。ダイエットと言うとき、たいていは、体質的に太る人たちの間で問題にされていることだと思います。食べれば食べただけ体が栄養を吸収して太ってしまう人(私にとっては羨ましい)は、確かに食べる量に注意が必要でしょうし、栄養バランスもよく考えるべきです。これは、どんな人に当てはまるでしょう。ダイエットの元々の意味のように、美容はともかくとして少なくとも健康を第一に考えるべきです。時々、短期間で大幅な減量に成功した人の体験談などを見聞きしますが、体にかなりの無理をさせるので、健康面から見ると疑問です。どうしても体重を落としたい場合は、徐々にゆっくり無理なく痩せるようにしたらと思います。
結論として、痩せたいとか太りたいとか、不必要に考えるべきではないと私は思います。天の神様が、一人一人に対して、その人にふさわしい体型を与えているのです。大事なことは、それぞれに与えられた体を管理することです。適度な運動、栄養バランスの良い食事、そして暴飲暴食を避け、与えられた食事に対して天の神様への感謝を忘れないようにしたいものです。少々太っていても、それはその人に与えられた特徴ですし、それがその人の魅力でもあります。健康でありさえすれば自分の体型に自信をもって過ごすことです。聖書に「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。(ヨハネ第三の手紙2節)」と、あります。体型よりは健康です。そして、もっと大事なことはたましいの幸いを得るということです。