内藤牧師のブログでコメンテーター

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。

第228回 「さっぱり動かない拉致問題」

2018-10-18 23:17:28 | 牧師のブログでコメンテーター
今年6月12日、シンガポールで米朝首脳会談が行われました。これにより、日本の北朝鮮による拉致被害者の家族の間には、大きな期待感がわき起こりましたが、それから四か月経過している今も、拉致問題は、少なくとも表向きには何らの進展もありません。

当ブログでは、11年前の2007年9月に第33回「拉致問題解決を求めて」という記事をアップしています。記事は、「制裁よりも融和を」という内容です。ご存じのように、これまで日本政府は、制裁一点張りでした。案の定、拉致問題は何の動きもありません。国内では、被害者家族が、解決を求めて集会を催したり、街頭でビラを配ったり、はたまた、アメリカに被害者家族が行って大統領に拉致解決を訴えるなどしてきましたが、私はそれらの動きを見ていて、歯がゆく思うばかりでした。

小泉純一郎首相時代に、数人の拉致被害者が日本に帰ってくることができたのは、日本と北朝鮮による水面下の交渉があったからです。本来なら、その交渉に尽力した人に対し、「よくやった」と評価すべきところなのですが、それどころか、ある人々は強く非難をしました。つまり、拉致という犯罪を行なった国に対して、こちらから頭を下げて和解を求めることは辻褄が合わないという論理です。もちろん、そういった論理も一理ありますが、それ以外にどんな解決方法があるでしょうか。目的は拉致問題解決であり、長く苦しみの中にある拉致被害者と被害者家族の願いを解決する、そこに焦点を合わせなければなりません。小泉首相時代に日朝交渉した人は、ひたすら、拉致問題解決という焦点を見失わなかったので、あの解放劇を見ることができたのです。

解決の道はただ一点、日朝交渉です。首脳同士でなくても水面下でも良いでしょう。アメリカ任せでは何も進展しません。日朝が交渉するしか道はありません。ただ、問題は今の日本政府が日朝交渉を行なう意欲があるかないかです。今年の6月12日に米朝首脳会談が行われたのならば、その翌日でなくても、その一週間以内には日朝交渉が行われ、そして、翌月の7月には、拉致被害者と日本にいる家族が面会するというようなビッグニュースがあっても不思議ではないでしょう。

日本政府が日朝交渉に消極的になっている理由は、表向きには北朝鮮の核問題かと思います。しかし、私には、日朝交渉をしない理由にしているとしか思えません。韓国のム・ジェイン大統領は南北会談を積極的に推進し、あの米朝会談にまで結びつけました。しかし、韓国国内には南北友好に賛成する人ばかりではありません。その点、日本の場合、日朝が友好的になることに反対する人は韓国よりも少ないかもしれません。  

1987年に起きた大韓航空機爆破事件の実行犯で、北朝鮮工作員だったキム・ヒョンヒ氏は死刑判決後に特赦され、後に、その著書の中で、「北朝鮮と交渉するには、北朝鮮のプライドを損ねるべきではない」と、元工作員としての提言をしています。その点、日本はメディアからして、北朝鮮に対して上から目線です。国家対国家は、個人対個人と違わないでしょう。相手に対して敵意を持ったり、見下げたりすれば、相手はそれを敏感に感じるでしょう。何はともあれ、あらゆる手を尽くして拉致問題を早期に解決すべきです。


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第226回 「教科書を信じてはいけない!?」

2018-10-04 22:43:42 | 牧師のブログでコメンテーター
 京都大学の本庶佑氏がノーベル医学生理学賞を受賞することが決まりました。医学関係者などの専門家の間では、よく知られていたことかもしれませんが、ガンに対しての免疫療法、そしてそのためのオプジーボという薬が存在するということを多くの人たちは知らなかったでしょう。少なくとも、私は全く知りませんでした。ノーベル賞という世界最高峰の賞が、それを明るみにしたということでしょう。

その本庶佑氏ですが、ノーベル賞受賞決定を受けての記者会見の席上で、驚くべきことを言われました。子どもたちに伝えたいこととして、「教科書に書いてあることを信じてはいけない。自分の目で確かめることが大事である。」と言ったことです。教科書を認可している文部科学省もびっくりしたことでしょう。しかし、ノーベル賞受賞者がそう言うのですから、いくら文部科学省でも、うかつに反論できません。

もちろん、本庶氏の発言の趣旨は、教科書に対する否定ということではなく、「何事も人から聞いたことを鵜のみにするのではなく、自分で納得するまで調べてみるという真に科学的態度を持つことが、有益な研究成果を生み出すことが出来る。」ということを言いたかったのではないかと思います。

私が、この本庶氏の発言に対して、誰よりも強く反応したのは、教科書で述べられている「進化論」は明らかな間違いであるということを常々思っているからです。教科書だけではありません。新聞もテレビも進化論一色です。NHKでは、非常に美しい映像によって自然と動物の世界を紹介する「ダーウィンが来た」という番組を放送してきましたが、映像が美しいだけに、番組のタイトルがあまりに残念です。動物たちが何億年もかけて進化してきたという証拠は全く無いし、進化の始まりであるはずの最初の生命がどうやって誕生したのかということを進化論では全く説明できていません。どこかの惑星から飛んできたという人もいますが、それならそれで、飛んできた生命体の説明をちゃんとしなければならないでしょう。

それは、進化論だけではありません。韓国のハンドン大学教授イ・ジェマン氏は、地質学の専門で、その著書「創世記の洪水コンサート」の中で「教科書に書かれている地質年代と全く同じ地層などは世界中のどこにもない。」と断言しています。うそだと思ったら、実際に掘って調べてみてはいかがでしょう。尤も、勝手にあちこちの土地を掘ってはいけませんが。

算数や国語などは、疑う部分は殆どないでしょう。一番、気を付けなくてはならないのは、理科と社会でしょう。理科は進化論と地質年代、社会は歴史でしょう。最近、自分の国に誇りが持てるようにとして、都合の悪い部分を修正しようと考える人が目立ってきましたが、歴史を曲げて伝えようとする国、そんな国に誇りを持つことはできません。昔から嘘は泥棒の始まりと言います。善も悪もそのまま、真実を伝える。その上に立って、反省すべきは反省して、真に正しい立派な国を建設することができるのではないでしょうか。また、そういう国こそ、本当に誇りを持つことが出来るのです。


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