3月11日の東北関東大震災後二週間以上経過しました。そこで、今一度整理し、192回記事に引き続き、その時の状況を改めてお伝えしたいと思います。
大きな地震には予震と余震があるようです。3月8日、本震の3日前に震度5前後の予震がありました。また、それだけではなく、本震の前二週間ほどに渡って静かながらも不気味な微震が昼夜連続して起きていました。
そういった背景のなかで、3.11の本震があったのです。これまで体験したことのない揺れで、ただごとではないと思いました。しかし、私の中で、即、それが大津波の襲来と結びつくまでにはいきませんでした。私は水と電気が止まったことを確認したり、建物破損状況を調べたり、二階から海と七北田川の水位を観察していました。もちろん、通説の通り、津波襲来前ですので低い水位でした。そんなこんなしているうちに、車で外に出ていた私の妻が帰ってきました。妻はテレビ付きの携帯電話で大津波警報を聞き、夫である私を救出して内陸に逃げようとしていたのです。このとき私は、屋根より高い大津波が近づいていることを全く知らずにいました。
とにかく、私の運転で妻と二人で、そこから3キロほど内陸の子供らがいる住居に向かいました。そこに着くと子供らは先に逃げていて、私たちは、さらにそこから内陸に車を走らせました。道路は車が渋滞しています。私は、渋滞を避けるために進路を北から西に変えて田んぼ道に出ました。その時です。正に信じられないことが起こっていました。海岸線から3~4キロも離れた田んぼにゴミを伴った海水がゆっくりと内陸に向かってくるのです。
ようやく、この時点で私のモードは注意から緊急事態に切り替わりました。エコ運転からカーレースのような運転に変わり、元の路線に戻りました。渋滞も確かにありましたが、運転手のいない車も多く、追い越していくと、意外に道路は空いていました。かなり内陸に入り、自分たちの身の安全だけは確保したような次第です。その後は、分散していた子供らと一緒になり、無事を確認しました。
誰も彼も携帯電話の不通、電池切れなどがあり、それまで当たり前のように使っていたライフラインも遮断されてしまいました。コンビニには売るものがありません。電車は動かず、ガソリンスタンドは長蛇の列です。その後は徐々に回復しつつありますが、現実に起こったことです。「大地震があり、方々に疫病やききんが起こり、恐ろしいことや天からのすさまじい前兆が現れます。(ルカ21:11)」という聖書のことばが実際的なものとなり、今後も予断を許さない状況です。しかし、恐れることはありません。イエス様は、世をさばくために来られたのではなく、私たちを救うために来られました。今こそ全ての人が救い主イエス様に立ち返るときです。また、すでにキリストにある人、私自身こそそれですが、やがて来たらんとしているそのとき、イエス様の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈って(ルカ21:36)いましょう。