内藤牧師のブログでコメンテーター

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。

209回 「半沢直樹最終回の終わり方」

2013-09-24 22:03:38 | 牧師のブログでコメンテーター

 NHKテレビ朝の連続ドラマの「あまちゃん」が高視聴率だということですが、それ以上に高視聴率で話題になっているのが民法テレビドラマの「半沢直樹」です。最終回の視聴率は42.2%を記録したようですが、主演の堺雅人さんの演技力、ドラマの展開のスピード感、そして、勧善懲悪の爽快感が視聴者の支持を得たのでしょう。

 ドラマの中では、二つのキーワードがあるということが一般のメディアで紹介されていました。一つは「倍返し」、もう一つは「土下座」です。最終回の後半部分で、取締役会における半沢と大和田常務の最終決戦とも言える場面で、倍返しと土下座が出てきます。自分の悪をもみ消そうとする大和田常務に対して、その悪を見事に暴いて、半沢が大和田常務に土下座をさせようとします。しかし、それを見ていた頭取は、「もうやめなさい。」と言うのですが、半沢は聞かず、常務に土下座をさせます。そして数日後という設定で、頭取から、半沢と大和田常務それぞれに裁定が下されます。大和田は常務から取締役へのわずかな降格に止まるだけですが、半沢は出向となります。最終回なので、頭取が半沢に「私の代わりに頭取になってくれ。」と言っても、ドラマですから許されるところですが、意外な展開になってしまって、「おやっ」と思ったわけです。ドラマの作者にどういう意図があったのか正確には知りませんが、見ていて首を傾げた人は多かったことでしょう。テレビドラマの最終回ですから、ハッピーエンドで終わってもよさそうなのに、ドラマの作者としては、視聴者にもっと深いところを考えさせようとしたのでしょうか。

 実は、「倍返し」と「土下座」、聖書の視点から言いますと、倍返しは復讐ということになり、復讐することを聖書は肯定していません。土下座は実際的には一つのパフォーマンスでもありますが、天地の創造主以外に平伏すことは偶像礼拝という罪に関わってきますから、土下座することも、土下座を誰かに強いるということも決して褒められることではありません。ドラマの中で、大和田が半沢に土下座したとき、爽快感を味わった視聴者もいたかもしれませんが、一方で、「そこまでしなくてもいいじゃない。」という感覚で見ていた人も多かったと思います。時代劇なら敵討ちというところなのですが、現代劇ですから土下座が使われたのでしょう。もちろん、それはドラマの設定上、父親を苦しめた人への復讐心が背景にあったということですが、復讐というものは、また新たな復讐心を生み出してしまうという問題点があり、結局、何の解決にもなっていないのです。ですから、頭取が半沢に対して出向を命じたのは、ドラマの作者が、そういった復讐心を決して是認せず、もっと高い倫理観を最後の場面で表現したかったからなのかもしれません。もっとも、続編のために含みを残したという説もあるようです。

 聖書のことばです。「復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12:19~20)」


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