内藤牧師のブログでコメンテーター

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。

207回 「マンションにトイレがない?」

2013-02-27 18:57:10 | 牧師のブログでコメンテーター

 2月24日(日)の午後、私たちの教会で元某大学の大学院で教えておられ、現在牧師のT先生に「聖書の創造論の視点から考える原子力エネルギー利用の本質」という少々長いテーマでの講演をしていただきました。特に、T先生は東日本大震災で起こった福島第1原発事故の収束のために、聖書の第二歴代誌7:14~15に基づいて祈るということを示され、24時間の連鎖祈祷を内外の教会に呼びかけて実行しておられます。さて、T先生の語ったことを全てここで述べることはできませんが、私の記憶と印象に残っていることなどをまとめつつ、私見を交えながら語ってみたいと思います。

 まず、日本の国がなぜ原子力発電に進んでいったのか。当然、エネルギー資源問題があります。しかし、1933年当時世界の石化エネルギー資源があと18年分しかないと言われていたのが、その後、年々年数が加算され、現在、あと50年分があるということです。今後あちらこちらでエネルギー資源が地中や海底から発見され、枯渇に至る年数がさらに伸びる可能性は大です。もちろん、一国家として、自国の使用分を確保できるかどうかという点については、また別の問題があるでしょう。いずれにしても、原子力の元になるウランの量は乏しいということですので、原子力に頼らなければならないという根拠がなくなってしまうということに変わりはありません。

 さて、その講演の中で中心的なメッセージとして、語られたことですが、原子力というのは創造主である神の創造の秩序を汚してしまったということです。原子とはドイツ語でアトムと言い、ギリシャ語のアトモスから来ていて、そのアトモスの意味は「分割できないもの」ということですが、それに対して核分裂を起こして、不安定な状態を作り出し、そこから出るエネルギーを利用するという人間の知恵も中々のものです。しかし、本来は92までしかなかった原子の種類が核分裂によって112まで増えてしまった。つまり、この地球上に存在すべきものでないものが存在してしまった。便利なものを作ろうとした反面、危険と汚染はもっと深刻なものになってしまった。ちょうど、アダムとエバがエデンの園で中央の木の実を食べてしまったことと似ています。彼らは、それによって死ぬ者となり、エデンの園から追い出されてしまいました。

 原子力政策の結果、現在、日本では広島に投下された原爆の110万発分の放射能汚染を放出させているとのことです。よく、「除染」という言葉を聞きますが、正確には「移染」であって、除染して放射能が地球上から無くなるのではなく、別の場所に移されるだけということです。T先生の表現を借りると、ちょうどトイレの無いマンションのようなもので、マンションを地球全体と見立てると、糞尿を入れた密閉した容器をマンションの部屋のどこかに仕舞い込んでおいたとしても、やがて、寝る所さえもなくなってしまうということに似ています。強度でない放射能の場合はなんとなく、その危険度が分かりにくいのですが、何年か前の東海村JCO臨界事故で亡くなった方の亡くなり方は、通常の死のイメージとは異なり、非常に過酷なものです。原子力、それは危険と汚染、そして創造主の創造の秩序に反するもので、収束と原発ゼロをただちに推進していくべきです。


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