先の、7月7日に投票が行われた東京都知事選挙。当初は立憲民主党の蓮肪さんが立候補表明した時点で、それまで現職の小池百合子さんと蓮肪さんの一騎打ちになると見られていました。そこに割り込む形で登場したのが石丸伸二さんでした。石丸さんは、YouTube動画で広島県の安芸高田市長として、市政改革の先頭に立っているのか、それとも、何か市議会を混乱させているのか、半信半疑で、果たしてどういう人物だろうと、思っていました。その後、都知事選の有力候補者4人に絞っての共同声明がありました。その席で、石丸氏の第一声は「政治屋の一掃」という大胆なものでした。政治屋というのは、国民や都民、住民のための政治ではなく、自分の欲得のための政治をする人のことでしょう。それを聞いた私は、なるほど、それなら期待できると思い、選挙戦を注視していました。しかし、全体の投票率が5%ほど上昇したものの、残念な結果に終わりました。
都知事選挙の選挙戦の期間中、地上波におけるテレビのニュースを見ていると、都知事選挙の真っ只中であるというのに、さっぱり都知事選挙に関するニュースがありません。ある意味、異常な空気感がありました。選挙は公平に行われなければなりません。その意味で、ある特定の候補を取り上げると、それは不公平になります。いやいや、そうではなく、「都知事選挙まであと何日」というような投票を促すためのニュースなら問題ないはずなのに全く取り上げないということは、逆に特定の候補を助けるために、あえてそうしているのではないかという気がしました。
前々から、日本の経済は一流、政治は三流と言われています。そもそも企業が三流だと、企業として成り立ちません。政治は三流であっても公共放送のNHKとマスメディアがフォローすれば、選挙で当選して政治家としての地位は確保されます。しかし、そこに住む国民、住民には恩恵がもたらされることはありません。もちろん、政治は経済の上に位置していますから、政治が三流ならば、やがて経済もその悪影響を受けるでしょう。さて、その一流、三流、その実体とは何でしょうか。個々人が持つ能力も大事ではあるのですが、その能力を生かすための「心」、誠実さを持ち、言行一致で行動し、人に信頼されるようでなければなりません。突き詰めたところの実体、つまり、国力低下の原因は何か?それは「誠実さの欠如」ではないでしょうか。法の下に、正しいことは正しいとされ、悪いことは悪いとされる。「権力者だから裏金に課税しない。小物の政治家だから起訴する。」では独裁国家と変わりません。これでは、国内のみならず国外からも信用を失います。
人間社会の在り方として、大抵のことは約束事の上に、それが成り立っています。例えば、「何月何日の何時に何々を何処そこに運搬します。」と約束します。そして約束した通りに、そこにそれを運搬する。そういった約束事の上に社会が成り立っていくのです。「マイナンバーカードを作るのは任意です。」と言っておいて「健康保険証廃止するのでマイナンバーカードに紐づけしてね。」と言えば、マイナカード作成は事実上の強制になり、それをさせようとする組織と関係者は信用を失います。しかし、常に誠実であるリーダーは人々からの信頼を得、また、そのリーダーが司る組織及び国全体にその良い影響が及んで行き、他国からも信頼され、国力が増していくでしょう。