二年くらい前でしょうか。「品格」という言葉が流行語になるほど藤原正彦氏著の「国家の品格」という本が話題になりました。つい最近になって、やっと私も読みました。これまでの書物は、とかく欧米文化を礼賛し、自国文化を卑下する傾向にあったのですが、日本の文化や日本人の習性に誇りを持つことが、真に品格ある国家を建て上げるのであるという発想の転換を促そうとする書だと思いました。
特に面白いと感じたのは、「国際人を育てるというなら、小学生に英語を習わせるのは止めて、国語をもっとしっかり教えるべきだ。」という主張です。国際人というのは自分の考えをきっちりと表現できなくてはいけない。つまり、人間は頭の中で言語によって考えるのであるから、自国語の言語をしっかりマスターしなければ物事を論理的に語ることができないというのです。また、「どうしても必要な自由は、権力を批判する自由だけである。」という主張もなるほどと思いました。自由がなかった時代の反動として自由ということが叫ばれてきたのですが、自由ということを悪意にとらえるならば、身勝手であるというのです。確かに自由だからといって、世の中に身勝手なことばかりが横行したら誰も平穏に暮らしていけないでしょう。
そのほかにも、共感を覚える独創的な記事がありましたが、全体的に武士道精神と仏教と神道を支持し、どちらかというとキリスト教に対しては批判的な印象を受けました。記事の中でイスラム教原理主義とキリスト教原理主義を同列に置いて、「原理主義は危険思想である」とありました。アメリカにおいてはキリスト教原理主義という言葉がアメリカの世論に大きな影響を及ぼす政治的な集団を意味して使われているようですが、本来、キリスト教は原理主義(あるいは根本主義)でなければキリスト教ではありません。ただ、聖書=キリスト教原理主義者とは言えません。天地の創造主である神は完全であっても人間は不完全であり、当然、キリスト教原理主義者も間違ったことをしてしまうのです。
確かに藤原氏が言うように、日本独自の文化や日本人としての独特な習性や感性に対して誇りを持つべきであることはよく分かりますが、キリスト教、すなわち聖書の教えが今日まで世界と日本にどれほどの貢献をしてきたかについては極力言及を避けているようです。私は直接的に武士道を教わったことはありませんが、日本人ですから自然に武士道の影響は受けてきたと思います。しかしあるとき、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:44)」と書いてある聖書の一節に出会い、直感的に、地球上にこれ以上に高い倫理観はないと思いました。
そして藤原氏は、「死んだ後どうなるか分からない。人類の究極の目標は真理の解明である。」と言っています。死後のことをまるで見てきたように語る霊能者や霊媒師よりも正直で良いとは思うのですが、初めから死の解決を人類に与え続けている聖書の教え、その救いに藤原氏もたどり着いてほしいと願っています。