老中の市井日記

理想を失うことなく老いの中を楽しみながら、日々発見、日々刺激、日々出会いを大切にしていきたいと思っています

田舎

2014-06-15 08:46:21 | 休憩
昨日のブログの記事で思い出しました。小さい頃、柏原を通っている近鉄大阪線に
乗って伊勢志摩の浜島へ行っていたことを。私の田舎は浜島でした。

小学校に上がるまで母方の祖父母の住む英虞湾の遠洋漁業港、浜島町に
預けられていました。祖母は浜島で料理屋「一福」を営んでいました。
伊勢海老料理が売りでした。

小学校に入ってから休みになると浜島へ行きたかったのですが、中々、
連れて行ってもらえず我慢していました。やっと小学校4年生の夏、
一人で行く許可をもらいました。もちろん祖母は時々大阪へ来ていましたが。

当時は不便で、5つの交通機関を乗り継いで行きます。
市電  大正警察前-上六
近鉄  上六-宇治山田
バス  宇治山田-鳥羽
志摩電 鳥羽-賢島
巡航船 賢島-浜島

船着場から勝手知ったる道を洋々と歩き、店の戸をたたいてお土産をスーと出すと
住み込みの仲居さんが出てきて驚いて中に入りました。すぐに祖母が出てきて
温かく迎えてくれました。後から聞きますと「玄関に子供の押し売りが来ています」
小学校の子供が一人で大阪から来るとは思っても見なかったようです。

それから毎年の夏休みの盆までは田舎暮らしでした。しかし祖母も店を体力的に
やっていけなくなり、私が中3のときに店を閉めて大阪で同居しました。

祖母が「元気なうちに浜島へ行きたい」と言って来たので、勤めてすぐに買った
車に乗せて、2泊3日の短い夏休みを取って旅行をしました。泊まるところは、
昔からお付き合いのあった大工の棟梁のSさんの家に甘えました。

祖母はびっくりするほど元気に歩き回りました。あちこちに挨拶しています。
一緒について回りますと、年寄りの漁師から「ほぉ!あのボンか?」
駄菓子屋のおばあちゃんから「鼻垂れが大きなりよって!」それを祖母が
嬉しそうに見ています。

それからしばらくして祖母は入院して帰らぬ人となりました。

もう浜島へ行くことがないと思っていたのですが、ある時、家族が車を置いて
2日いないことがあり、駅に送った後、急に思いつき伊勢へ出かけました。
ここまできたなら浜島へと足を伸ばしました。

昔と変わらない船着場、細い道、卸市場、車を置いてみて回りました。
さてと帰ろうと思いましたが、まだ昼過ぎ。よーしと紀伊半島一周を
思い立ちました。

やっぱり遠かった。尾鷲、熊野、串本、白浜、御坊、和歌山、ただただ走るだけ。
夜中の1時過ぎに家に辿り着きました。これで田舎を封印できました。


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