風景居酒屋 ごじゃ満開

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1585)日本探見二泊三日(宮脇俊三氏没後10年)

2013年02月26日 | 各地彷徨
 紀行作家の宮脇俊三氏が没してから、本日で10年が経ちました。区切りの年ということもあり、鉄道雑誌では増刊号も発刊されていました。

 当店でも在栃木県民時代の没後5年の2008(平成20)年に、「宮脇氏の見た栃木県」という小じゃれた品をご用意しました。没後10年となればまた特別の一品を、と思いましたが仕込みの時間も無いので、故人も眺めたであろう風景をご用意しました。

 氏は冬になると日本海側に行きたくなったそうで、冬の日本海側への旅行を綴った作品が多いですが、1989(平成元)年12月10日には新潟県糸魚川市の親不知(おやしらず)を訪れ、その道中を「親不知の険から山姥の里へ(「日本探見二泊三日」角川文庫)」に記しています(探「見」は誤字ではありません)。


(風波展望台からの親不知海岸 -新潟県糸魚川市 1985/12/30-)

 親不知は飛騨山脈が日本海にストンと落ちる北陸道の難所で、旅人は断崖の下を命がけで通り抜けたといいます。その時親は子を振り返る余裕も無く、平頼盛の妻が「親知らず 子はこの浦の波まくら 越路の磯のあわと消えゆく」と詠んだことが親不知という名の由来と伝えられています。

 宮脇氏は宿の主人の車で展望台へ行き、その後遊歩道を降りて海岸へ降りました。

「遊歩道を下りきった海岸は石がゴロゴロしているが、わずかな平地がある。しかし右も左も断崖で、どちらへも行きようがない(中略)。今日は波が静かそうだが、やはり冬の日本海で、ドンと打ち寄せれば崖を洗う。」


(親不知海岸 -同上-)

 私が初めて訪れたのは1986(昭和61)年12月、氏が訪れる3年前のことです。曇天ながら幸か不幸か穏やかな親不知でしたが、今にして思えば冬の日本海を舐めた旅行でしたね。

 写真を眺めていると、数十年ぶりに訪れたくなりました。




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