昨日は終業後、意見交換会がありました。と申せば「要は一献だべ?」と言われそうですが、集った面々は私以外は下戸。喫茶店に入り、気づけば珈琲1杯で1時間半以上も過ごしましたが、最期まで全員シラフでしたのでみんなが冷静なのは良かったです。もっとも喫茶店側にすれば割りの合わない客だったことでしょう。
茂原という街は、藻の原だった湿原を平安時代に藤原南家が開墾し荘園を作ったことに始まり、「藻原」がその語源だそうです。その藻原の名を今に残すのが、茂原公園の南に建つ「藻原寺(そうげんじ)」です。
藻原寺は日蓮宗の寺で、1253(建長5)年に日蓮が1ヶ月滞在した際に当時ここに住んでいた斉藤兼綱(さいとうかねつな)の居館を布教のために開放したことに始まり、後に妙高寺(みょうこうじ)と称し、江戸時代に藻原寺となりました。
(青空に映える山門 -茂原市茂原 2011/07/18-)
この奇抜?な山門は1933(昭和8)年に建てられました。藻原寺では本堂よりもインパクトがあり、「千葉の歴史散歩(山川出版)」に載っていた写真は本堂ではなく山門でした。
藻原寺は江戸時代、静岡県身延町の久遠寺(日蓮宗の総本山)に対して「東身延」と呼ばれ重要視されていたそうです。前出の本に載っていなかった本堂は大きく、山門が奇抜でなければ本の中に写真が紹介されていてもおかしくありません。
(重厚な造りの藻原寺本堂 -茂原市もバラ 2011/07/18-)
「東身延」は今回初めて詣でましたが、身延山久遠寺は四半世紀前に行きました。記憶にほとんど残っていないのですが、行ってみたくなりました。
2010/08/10の一品・・・767)私的岩手通史の旅 第39回
2009/08/10の一品・・・お休みでした
2008/08/10の一品・・・330)岩手散歩 川井村(JR区界駅)
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茂原という街は、藻の原だった湿原を平安時代に藤原南家が開墾し荘園を作ったことに始まり、「藻原」がその語源だそうです。その藻原の名を今に残すのが、茂原公園の南に建つ「藻原寺(そうげんじ)」です。
藻原寺は日蓮宗の寺で、1253(建長5)年に日蓮が1ヶ月滞在した際に当時ここに住んでいた斉藤兼綱(さいとうかねつな)の居館を布教のために開放したことに始まり、後に妙高寺(みょうこうじ)と称し、江戸時代に藻原寺となりました。
(青空に映える山門 -茂原市茂原 2011/07/18-)
この奇抜?な山門は1933(昭和8)年に建てられました。藻原寺では本堂よりもインパクトがあり、「千葉の歴史散歩(山川出版)」に載っていた写真は本堂ではなく山門でした。
藻原寺は江戸時代、静岡県身延町の久遠寺(日蓮宗の総本山)に対して「東身延」と呼ばれ重要視されていたそうです。前出の本に載っていなかった本堂は大きく、山門が奇抜でなければ本の中に写真が紹介されていてもおかしくありません。
(重厚な造りの藻原寺本堂 -茂原市もバラ 2011/07/18-)
「東身延」は今回初めて詣でましたが、身延山久遠寺は四半世紀前に行きました。記憶にほとんど残っていないのですが、行ってみたくなりました。
2010/08/10の一品・・・767)私的岩手通史の旅 第39回
2009/08/10の一品・・・お休みでした
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残暑お見舞い申し上げます。そちらもさぞかし暑いべね。
チーバ君はこちらに来て知りましたが、人気者みたいです。グッズも売っていますし、駅のトイレにもステッカーが貼ってありますよ。
若気の至りというのでしょうか・・・今はもう出来ません(笑)。
ところで我が職場には千葉出身の方が居まして、千葉のキャラクター「チーバ君」について熱く語っておりました。
私も千葉は久しく訪れていませんが、またいずれゆっくり巡ってみたいものです。