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767) 私的岩手通史の旅 第39回

2010年08月10日 | 私的岩手通史の旅
 昨日、公務で再び青森まで出向きました。盛岡駅の窓口へ行くと、八戸~青森間の特急の指定券は完売していましたので、立ちん坊を覚悟で自由席券を買いましたが、いざ乗ってみると自由席は半分くらい空席でした。500円余計に払っても席を確保して安心したい人が多いということなのでしょう。

第39回 東北38年戦争26(超特急のぞみ133号)

 ちょっと間が空いてしまいましたが、私的岩手通史の旅を再開します。「東北38年戦争」も坂上田村麻呂が胆沢に城を築く等、終盤に入りました。

 802(延暦21)年4月、その胆沢城に阿弖流為が母禮と共にエミシ軍兵士500人を率いて、投降してきました。坂上田村麻呂は長い間朝廷に抵抗してきた将に対して敬意を表したのでしょう。彼は「胆沢を安定させるには彼らの協力が不可欠である」と考え、朝廷の役人に対して、国家反逆の罪を不問にするよう朝廷に訴えました。

 しかし朝廷は「二虜を縦(ほしい)ままに申請によりて奥地に放環せらば、所謂(いわゆる)虎を養いて患(わざわい)を遺すなり(日本紀略より)」として田村麻呂の申し出を却下しました。そして阿弖流為と母禮は同年8月、斬刑に処せられました。

 2人が処刑された地は河内国椙山(杜山・植山)とされています。どの地名も現存しておらず、正確な最後の地は分かっていません。しかし大阪府枚方(ひらかた)市にある片埜神社近くにある牧野公園内にある首塚が、阿弖流為・母禮のものだと伝えられています。

 ここまできたら、是非とも両者の最後の地を訪れてみたくなりました。阿弖流為や母禮は胆沢から大阪までどのような道を辿ったか分かりませんが、私は超特急「はやて」と「のぞみ」を乗り継いで大阪へ向かいました。


(発車を待つのぞみ133号 -東京駅にて-)


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 2年前の一品・・・330)岩手散歩 川井村(JR区界駅)

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