昨日の前説でも触れましたが、昨11日は東日本大震災から半年の節目の日でした。メディアで様々に取り上げられていましたが、新聞に載っていた被災者のコメントがちょっとチクリときました。「半年の区切りなんて思うのは、マスコミと外野だけさ。当事者はそんな感慨にひたる余裕はない。」
房総ワンデイハイク、我孫子市の続きです。前回ご覧いただいた志賀直哉書斎跡を後にし、かつて手賀沼沿いだったであろう道を更に進むと、高台から下ってくる道と合流します。その先にある藪の中に向かう坂を上っていくと、今回ご覧いただく「旧村川別荘」が現われます。
村川氏とは東京大学教授だった村川堅固氏のことで、氏とその息子堅太郎氏が過ごした別荘がこの地に建っています。
敷地内に建物は2棟あり、1棟は1921(大正10)年に旧我孫子本陣内にあった離れを購入・移築したもので、母屋となっています。もう1棟は新館と呼ばれています。こちらは堅固氏が朝鮮旅行をした際の印象を基に建てた物で、銅板葺きの屋根が特徴です。今回はこのうち「新館」をご覧いただきます。
当時の朝鮮にこのような造りの建物があったのかどうか、薄学の私には分かりませんが、屋根を見る限りは神社の造りに似ているように感じました。
(雨の中緑がきれいな村川別荘新館 -我孫子市寿 2011/08/03-)
それはさておき、雨に止んで欲しいものです。
2010/09/12の一品・・・788)八戸散歩(フェリー乗り場)
2009/09/12の一品・・・561)栃木散歩 大田原市(雲巌寺宿バス停)
2008/09/12の一品・・・356)盛岡散歩 旧釜石街道4(大慈清水)
2007/09/12の一品・・・029)前略 出張(たび)の空から2
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房総ワンデイハイク、我孫子市の続きです。前回ご覧いただいた志賀直哉書斎跡を後にし、かつて手賀沼沿いだったであろう道を更に進むと、高台から下ってくる道と合流します。その先にある藪の中に向かう坂を上っていくと、今回ご覧いただく「旧村川別荘」が現われます。
村川氏とは東京大学教授だった村川堅固氏のことで、氏とその息子堅太郎氏が過ごした別荘がこの地に建っています。
敷地内に建物は2棟あり、1棟は1921(大正10)年に旧我孫子本陣内にあった離れを購入・移築したもので、母屋となっています。もう1棟は新館と呼ばれています。こちらは堅固氏が朝鮮旅行をした際の印象を基に建てた物で、銅板葺きの屋根が特徴です。今回はこのうち「新館」をご覧いただきます。
当時の朝鮮にこのような造りの建物があったのかどうか、薄学の私には分かりませんが、屋根を見る限りは神社の造りに似ているように感じました。
(雨の中緑がきれいな村川別荘新館 -我孫子市寿 2011/08/03-)
それはさておき、雨に止んで欲しいものです。
2010/09/12の一品・・・788)八戸散歩(フェリー乗り場)
2009/09/12の一品・・・561)栃木散歩 大田原市(雲巌寺宿バス停)
2008/09/12の一品・・・356)盛岡散歩 旧釜石街道4(大慈清水)
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