・ 【倶知安は小樽と同様に大きな町なのです】
北海道新幹線のルートは決まっています、函館に着くのは来年の三月ですが、それ以後は函館本線に沿って進む予定です
北海道新幹線は2030年度末までに工事が終わって、新八雲、長万部、倶知安、小樽を経て札幌に着きます
駅も立派になる事でしょう
・ 【羊蹄山がてっぺんまで見えました】
羊蹄山を紹介しましょう
「富士山によく似たその整った姿から、郷土富士として蝦夷富士(えぞふじ)とも称される。
明治、大正から昭和にかけて後方羊蹄山(しりべしやま・こうほうようていざん)、マッカリヌプリ、蝦夷富士の呼び名が
併存していた。また一部の地図にはマッカリ山(真狩山)の表記も見られた。
陸地測量部の1920年(大正9年)発行の5万分の1地形図「留寿都」では後方羊蹄山(蝦夷富士)と記載されていた。
しかし難読であったことから地元の倶知安町が羊蹄山への変更を求め、国土地理院の1969年(昭和44年)11月発行の地形図から
羊蹄山と書き換えられた。このため現在の羊蹄山の名が定着することとなった。
旧名である後方羊蹄山は、斉明5年(659年)に阿倍比羅夫が郡領を置いたと日本書紀に記されている地名後方羊蹄(しりべし)に
由来する(実際に同じ場所を指すかどうかは不明)。なお、後方で「しりへ」と読み、植物のギシギシの漢名である羊蹄を
和名で「し」と読む。
アイヌの人々はマッカリヌプリもしくはマチネシリ(雌山)と呼び、南東にある尻別岳 (1,107m) をピンネシリ(雄山)と呼んだ。
なお尻別岳は後方羊蹄山に対して一部のファンの間では前方羊蹄山と呼ぶことがある。」
京極のパーク場で流した汗をニセコの温泉で流しましょう
・ 【京極で流した汗をニセコで洗い流しました】
倶知安に隣接しているニセコの山はスキー場ですから急斜面に町がありました、スキー場ではありますが夏場にも賑わっています、
(本州の夏場のスキー場はどこもうすら寂しい所ばかりです)
レストランは英語の文字が躍って中国の人が闊歩している軽井沢に似た賑わいがありました
ニセコに温泉は沢山ありますが、一番近いスキー場の中にある比羅夫の温泉に入りました
(後ほど居酒屋さんで聞くと倶知安の近くには羊蹄閣という温泉があったのです)
倶知安駅には早く新幹線よ来い!とプラカードが建っていました
・ 【新幹線誘致運動もルートが決まって停車駅も決まりました】
北海道新幹線札幌延伸工事について
「北海道新幹線は平成10年2月に「駅・ルート」が公表され、倶知安町に新幹線「倶知安駅」の設置が予定されております。
現在、北海道新幹線については、新青森~新函館(仮称)間の工事が平成17年5月に着工し、本格的な建設整備が進んでいます。
そして、平成24年6月29日、ついに北海道新幹線の新函館(仮称)~札幌間の着工が認可され、平成47年度に札幌延伸が
実現することとなり、倶知安町に新幹線駅ができることが決定しました。
倶知安町では今後、新幹線駅の開業効果を最大限発揮できるように、将来を見据えたまちづくりに取り組んでいきます。 」
倶知安駅の駅前広場に車を泊めて、繁華街へと出て行きました
・ 【倶知安の洋食屋さんは綺麗なお店でした】
バイクで来た時は感じの良いスナックがあって地元の人と盛り上がりました、最初の居酒屋で飲んでお客さんと盛り上がり
温泉の場所が近くある事を聞きだしました
2軒目に感じのよかったスナックを探しのですが、とうとう見つからず駅前の洋食屋さんに入ってスパゲッテイを頼んだら
結構いい感じの洋食屋さんでした
(海鮮たっぷり具もたっぷりで美味しく戴きました)
駅前の広場で眠りましたが、車はほとんどありませんでした
・ 【翌朝も朝もやの中に羊蹄山が浮かんでいました】
早朝の空に羊蹄山が浮かんでいました
倶知安には道の駅はありませんが、綺麗なトイレのある公園が国道に沿ってありました
・ 【倶知安には道の駅はありません】
倶知安には道の駅はありません、ある程度町が大きくなると道の駅は作らないような気がします、大きな町で町の中心部に
道の駅があるのは旭川位です
トイレも綺麗ですし、立派な噴水もありました
・ 【綺麗な公園がありました】
綺麗なトイレは気持ちがいいです
ニセコの山が見えています
・ 【反対側にニセコアンヌプリが見えています】
ニセコはスキーのメッカで何本ものリフトが走っていました
・ 【10月から5月までスキーができます】
春スキーまで可能です
公園の目の前に羊蹄山が迫っております
・ 【羊蹄山が見えています】
ここからも羊蹄山の登山口があるはずです
レルヒさんとは北海道にスキーを紹介した人の事だと思います
・ 【レルヒ記念公園と申します】
レルヒ少佐はハンガリー(オーストリア)の軍人でした
「日本で初めて、本格的なスキー指導をおこなった人物である。訪日時は少佐で、少佐の時にスキーを日本に伝えたため、
日本国内では一般的には「レルヒ少佐」と呼ばれる。後に中佐に昇格したあと日本各地を回ったため、北海道などでは
「レルヒ中佐」と呼ばれる。」
彼を記念して公園が作られました
・ 【綺麗な公園です、道の駅に準じて泊まって良いでしょう】
訪れる人は少ないですが綺麗な公園でした
・ 【手押し車で日本一周しているおじさんです】
余市手前のコンビニと余市の道の駅でお会いしました、日本一周を歩いている人と三度目の対面でした、彼はとおくの
水場で洗濯をして洗濯物を乾かしておりました、「おはようございます、またお会いできましたね」ギターを演奏していました
北海道新幹線のルートは決まっています、函館に着くのは来年の三月ですが、それ以後は函館本線に沿って進む予定です
北海道新幹線は2030年度末までに工事が終わって、新八雲、長万部、倶知安、小樽を経て札幌に着きます
駅も立派になる事でしょう
・ 【羊蹄山がてっぺんまで見えました】
羊蹄山を紹介しましょう
「富士山によく似たその整った姿から、郷土富士として蝦夷富士(えぞふじ)とも称される。
明治、大正から昭和にかけて後方羊蹄山(しりべしやま・こうほうようていざん)、マッカリヌプリ、蝦夷富士の呼び名が
併存していた。また一部の地図にはマッカリ山(真狩山)の表記も見られた。
陸地測量部の1920年(大正9年)発行の5万分の1地形図「留寿都」では後方羊蹄山(蝦夷富士)と記載されていた。
しかし難読であったことから地元の倶知安町が羊蹄山への変更を求め、国土地理院の1969年(昭和44年)11月発行の地形図から
羊蹄山と書き換えられた。このため現在の羊蹄山の名が定着することとなった。
旧名である後方羊蹄山は、斉明5年(659年)に阿倍比羅夫が郡領を置いたと日本書紀に記されている地名後方羊蹄(しりべし)に
由来する(実際に同じ場所を指すかどうかは不明)。なお、後方で「しりへ」と読み、植物のギシギシの漢名である羊蹄を
和名で「し」と読む。
アイヌの人々はマッカリヌプリもしくはマチネシリ(雌山)と呼び、南東にある尻別岳 (1,107m) をピンネシリ(雄山)と呼んだ。
なお尻別岳は後方羊蹄山に対して一部のファンの間では前方羊蹄山と呼ぶことがある。」
京極のパーク場で流した汗をニセコの温泉で流しましょう
・ 【京極で流した汗をニセコで洗い流しました】
倶知安に隣接しているニセコの山はスキー場ですから急斜面に町がありました、スキー場ではありますが夏場にも賑わっています、
(本州の夏場のスキー場はどこもうすら寂しい所ばかりです)
レストランは英語の文字が躍って中国の人が闊歩している軽井沢に似た賑わいがありました
ニセコに温泉は沢山ありますが、一番近いスキー場の中にある比羅夫の温泉に入りました
(後ほど居酒屋さんで聞くと倶知安の近くには羊蹄閣という温泉があったのです)
倶知安駅には早く新幹線よ来い!とプラカードが建っていました
・ 【新幹線誘致運動もルートが決まって停車駅も決まりました】
北海道新幹線札幌延伸工事について
「北海道新幹線は平成10年2月に「駅・ルート」が公表され、倶知安町に新幹線「倶知安駅」の設置が予定されております。
現在、北海道新幹線については、新青森~新函館(仮称)間の工事が平成17年5月に着工し、本格的な建設整備が進んでいます。
そして、平成24年6月29日、ついに北海道新幹線の新函館(仮称)~札幌間の着工が認可され、平成47年度に札幌延伸が
実現することとなり、倶知安町に新幹線駅ができることが決定しました。
倶知安町では今後、新幹線駅の開業効果を最大限発揮できるように、将来を見据えたまちづくりに取り組んでいきます。 」
倶知安駅の駅前広場に車を泊めて、繁華街へと出て行きました
・ 【倶知安の洋食屋さんは綺麗なお店でした】
バイクで来た時は感じの良いスナックがあって地元の人と盛り上がりました、最初の居酒屋で飲んでお客さんと盛り上がり
温泉の場所が近くある事を聞きだしました
2軒目に感じのよかったスナックを探しのですが、とうとう見つからず駅前の洋食屋さんに入ってスパゲッテイを頼んだら
結構いい感じの洋食屋さんでした
(海鮮たっぷり具もたっぷりで美味しく戴きました)
駅前の広場で眠りましたが、車はほとんどありませんでした
・ 【翌朝も朝もやの中に羊蹄山が浮かんでいました】
早朝の空に羊蹄山が浮かんでいました
倶知安には道の駅はありませんが、綺麗なトイレのある公園が国道に沿ってありました
・ 【倶知安には道の駅はありません】
倶知安には道の駅はありません、ある程度町が大きくなると道の駅は作らないような気がします、大きな町で町の中心部に
道の駅があるのは旭川位です
トイレも綺麗ですし、立派な噴水もありました
・ 【綺麗な公園がありました】
綺麗なトイレは気持ちがいいです
ニセコの山が見えています
・ 【反対側にニセコアンヌプリが見えています】
ニセコはスキーのメッカで何本ものリフトが走っていました
・ 【10月から5月までスキーができます】
春スキーまで可能です
公園の目の前に羊蹄山が迫っております
・ 【羊蹄山が見えています】
ここからも羊蹄山の登山口があるはずです
レルヒさんとは北海道にスキーを紹介した人の事だと思います
・ 【レルヒ記念公園と申します】
レルヒ少佐はハンガリー(オーストリア)の軍人でした
「日本で初めて、本格的なスキー指導をおこなった人物である。訪日時は少佐で、少佐の時にスキーを日本に伝えたため、
日本国内では一般的には「レルヒ少佐」と呼ばれる。後に中佐に昇格したあと日本各地を回ったため、北海道などでは
「レルヒ中佐」と呼ばれる。」
彼を記念して公園が作られました
・ 【綺麗な公園です、道の駅に準じて泊まって良いでしょう】
訪れる人は少ないですが綺麗な公園でした
・ 【手押し車で日本一周しているおじさんです】
余市手前のコンビニと余市の道の駅でお会いしました、日本一周を歩いている人と三度目の対面でした、彼はとおくの
水場で洗濯をして洗濯物を乾かしておりました、「おはようございます、またお会いできましたね」ギターを演奏していました
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