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しいたけの伊豆高原情報と放浪旅

(伊豆をバイクで回って10年、伊豆高原に住んで26年目に突入、いろんな事がおこりますねえ!)

早朝の富戸の港です

2016年03月27日 | 遊び場
・                         【晴れ渡った空の向こうに千葉の陸地が見えます】

今日は冷たい雨降りでしたが、快晴で見通しが良い日もありました、同じ晴れでも見通しが悪い場合もあります、本日は遠くまで見通せます、
千葉には高い山はありません、ところどころで丘になっている所が航行する船か島影のように見えます、
伊豆から房総半島の先端まで直線で100kmでしょうか、以外と近いのです

(昔から房総の漁師は海路を伝って伊豆と行き来がありました、赤沢のお寿司屋さん:「伊豆汐」の親方は千葉にいると言ってました)



頼朝と八重姫の間に生まれた千鶴丸の悲しい伝説が伝わる産着石がこの半島の根っこに鎮座しているのです


・                         【あの半島には頼朝の歴史が刻まれています】

頼朝は14歳で島流しにあっても早熟でした

「『曽我物語』によれば、14歳で伊豆国へ流罪となり、在地豪族の伊東祐親の監視下で日々を送っていた頼朝は、
 祐親が大番役で上洛している間に祐親の三女・八重姫と通じ、やがて男子を一人もうけて千鶴御前と名付けた。
 千鶴御前が3歳になった時、大番役を終えて京から戻った祐親は激怒し、
 「親の知らない婿があろうか。今の世に源氏の流人を婿に取るくらいなら、娘を乞食に取らせる方がましだ。
 平家の咎めを受けたらなんとするのか」と平家への聞こえを恐れ、家人に命じて千鶴を轟ヶ淵に柴漬にして殺害し、
 娘を取り返して同国の住人・江間の小四郎に嫁がせた。さらに頼朝を討つべく郎党を差し向けたが、
 頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた祐親の次男・祐清が頼朝に身の危険を知らせ、頼朝は祐清の烏帽子親である
 北条時政の邸に逃れたという。時政の下で暮らすようになった頼朝は、やがて時政の長女・政子と結ばれることになる。
 その後の八重姫については、入水自殺したとも、北条氏や千葉氏と縁を結んだなど、様々に伝えられる」

豪族の伊東祐親って残酷な仕打ちをする人ですね



大島も見えますし、見えている半島の根元の方が城ケ崎海岸になります


・                         【富戸海岸から我が家の方向を振り向きます】

正式に城ケ崎海岸という地名はありません、50年前に伊豆急行が開業した時は伊東市から分離されていた富戸村の断崖一帯を先人が
三浦半島の城ケ島の先にあるので城ケ崎と俺たち名付けたんだよと赤沢の人と一緒にお風呂に入った時お聞きいたしました

(伊豆高原や城ケ崎海岸は駅名であって地名ではないのです)

したがって我が家の住所は伊東市富戸○○になります、タクシーを呼ぶとき別荘地○○次の○と言わねば来てくれません
病気で救急車を呼ぶときは救急車側も混乱してピーポーの音は聞こえますが、なかなか我が家に到着してくれません



今日(3月11日)の伊豆は冷たい雨が1日中降り続いました、予定していたパークゴルフも中止ですので誘われるままに体育館で行われている
ビーチボールバレーに参加してきました、ボールはビーチボールを使用して4人でチームを組んでバトミントンのコートとネットを利用して行います
ルールはバレーボールとほぼ同じなので、判りやすいですが、メンバーはその都度抽選してチームを作ります、戦う以上は皆さん真剣にプレーしてます
老人のコミニューケーションスポーツなのですが、ビーチボールは軽くて変化に飛んでます、まっすぐ向かって来るかと思うと
微妙に変化してきます、僕は初心者ですから変化についていきません、ミスを連発しては皆さんに多大な迷惑をかけてしまいました

(ママさんバレーの影響でしょうか、圧倒的に女性が多いスポーツなので皆さんミスしても優しくフォローしてくれます)

久しぶりに運動靴を履いてたっぷり汗を流しましたから筋肉痛がでました、やって見ると瞬間的な反応ができない不甲斐ない自分に気が付きました


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