・ 【大きいと言ってもクインエリザベス迄しか入港できません】
今や世界のクルーズ船は20万トン以上の大きさです、横浜港を横断する横浜ベイブリッジの高さはクインメリー号の煙突の高さと決められました
当時では妥当な高さだったのでしょうが、現在のクルーズ船は20万トンを超えていますのでベイブリッジを潜れません
(来航した時は隣の本牧貨物埠頭に接岸するそうです)
・ 【熊さんのように大きい犬が歩いてました】
熊さんみたいに大きな犬が歩いていました、思わず大きさにたじろぎ後ずさりするのでした
(飼い主さんには従順のようですが抱きつかれたら僕は支えられません、犬連れで散歩を楽しむ方が多いです)
・ 【皆さんも散歩で歩きます】
象の鼻というカフェで一休み、今日は芸術展をやっていますので手作り作品にママは僕を顧みずに堪能ですが
いつまで経っても戻ってきません、僕の座っている椅子にも手作りの絵が描かれていますが、僕には何の変哲も
ないペンキで図柄を描いているのように思えました
(芸術鑑賞も良いですが、コーヒーが冷めます、ホットドックも固くなります、早く戻って食べて貰いたいね)
・ 【近代的な高層ビル街に挟まれた空間です】
芝生広場は憩いの広場です、高層ビル群に囲まれると人は緑のいこい場が欲しくなります
(芝生広場でテントを張ってる人がいました、ペグや焚火は出来ないけれど24時間いてもよろしいそうです)
・ 【横浜は貿易港でした】
今はコンテナ輸送中心です、船済み荷物を荷揚げするのはバナナボートが接岸する出田町ふ頭ぐらいですが
昔は大きな船から沖でダルマ船に運ぶ沖仲士が中心の荷揚げ作業が中心でした、僕の部屋の先輩もアルバイトで
日銭欲しさから行きまししたが、重労働についていけず1日と持ちませんでした、後で聞いたら新入生の
僕らを伊勢佐木町の根岸屋に連れて行くためで、我々の大人感を払拭させるためのイベントだったそうで
申し訳ない気持ちになりました
(根岸屋、愛知屋、武蔵屋という昔からの文化人が募った居酒屋があったのです)
今の伊勢佐木町はマンション街になってしまいましたが、まだ当時の伊勢佐木町はピンクや赤やブルーのネオン街が華やかな時代でした
横浜に来たからには根岸屋によって、文士達が遊んだという昔のカフェーに思いをはせんとしたものです、何も知らずに
連れていかれた所が有名な根岸屋と言われても変てこなエプロンしたおばさんの姿に何も感動しなかった思い出があります
(根岸屋さんが火事で焼けたと聞いたのは2,3年後だったような気がします、横浜ローズさんという厚化粧の立ちんぼおばさんが
若葉町界隈や親不幸通りに出没した隠微な時代でもありました)
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