・ 【旅に出た時は朝早く目覚めます】
ユースの開門時刻は6時からです、僕は5時には起きているのです、6時まで室内でやり過ごし近くにあった龍安寺をひそかに訪問でした
仁和寺と金閣寺の間にある大きなお寺さんでした、地下鉄にも龍安寺前という駅があるそうです
駐車場には鎖が掛かっていましたが1台の小さな原付バイク名なら鎖と歩道の間で隅の方に停めたって迷惑ではありません
・ 【門は開いてますが拝観料の札が掛かっていました】
無人ですが門は開いてますので中を覗く事はできます、すると散歩の人が平気な顔で入って行くではありませんか
僕も恐れながら入場でした、正面に大きな池があって周りを散策できます、どうやら市民にとって散歩コースになっているようでした
(今はどちらの寺も八重桜のシーズンになっております)
何といっても京都の「わび・さび」を代表するお寺さんです
・ 【大きな山門からわび・さびの雰囲気が出ています】
拝観料の札は気になりますが、散歩の人たちと同様に無賃入場いたしました
(広い蓮池がどーんと横たわっています、右から回ろうか左から回ろうか迷いますが、散歩の人は反時計の左回りの方が多いです)
多くの人と合えるように右回りで進んで朝の挨拶を交わしながら進みましょう
道端の掲示板には「きぬかけの路」という洒落た名前がついていました
・ 【仁和寺から龍安寺を通って金閣へ通じる路でした】
途中には昨日ギターを演奏してくれた立命館大学の建物もあります、立命館大学は京都市内に多くの建物が点在しているマンモス大学なのですね
このお寺を有名にしたのは枯山水の庭園、石庭があるのですが、朝早く石庭は開門していません
・ 【石庭だけ門は閉じられていました】
龍安寺の石庭
「方丈庭園(石庭)
方丈庭園(史跡・特別名勝) - いわゆる「龍安寺の石庭」である。幅 25 メートル、奥行 10 メートルほどの
空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15の大小の石を配置する。
これらの石は3種類に大別できる。各所にある比較的大きな4石はチャートと呼ばれる龍安寺裏山から
西山一帯に多い山石の地石。塀ぎわの細長い石他2石は京都府丹波あたりの山石。その他の9石は
三波川変成帯で見られる緑色片岩である。 寺伝では、室町末期(1500年頃)特芳禅傑らの優れた禅僧によって
作庭されたと伝えられるが、作庭者、作庭時期、意図ともに諸説あって定かではない。
塀ぎわの細長い石には「小太郎・□二郎」と刻まれており、作庭に関わった人物と推測されるが、
憶測の域をでるものではない。」
石庭を取り囲む塀で今日の所は満足です
石庭も大事ですがお寺を飲み込むほど大きな池にははすが浮いています、時期ではないですがこれらが咲く時にも訪問してみたいね
・ 【池の周りでも十分「ワビ・サビ」に浸れました】
苔むした樹木と広い蓮池、寺の建物はそんな気分にしてくれます
石庭への順路がありました、池と比べてはるかに小さいです
・ 【観光客は迷わないと思います】
広い境内ですし、小さな石庭の建物は見つけ難いのかしら
石庭入り口の建物です
・ 【これまでに石庭だけは2回来ています】
禅の境地でしょうか、難しい顔して石庭に向かっている人を見ると「なんとキザな!」と思ってしまうのは「わび・さび」を理解できない証拠でした
はすの葉が広がる頃もう一度来てみたいです
・ 【ママは今度は一緒に来ましょう】
龍安寺は石庭で持っている寺ですが圧倒的に蓮池のほうが広いのです
「室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。
衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。
円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。
この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。
義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、
京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。」
ユースの開門時刻は6時からです、僕は5時には起きているのです、6時まで室内でやり過ごし近くにあった龍安寺をひそかに訪問でした
仁和寺と金閣寺の間にある大きなお寺さんでした、地下鉄にも龍安寺前という駅があるそうです
駐車場には鎖が掛かっていましたが1台の小さな原付バイク名なら鎖と歩道の間で隅の方に停めたって迷惑ではありません
・ 【門は開いてますが拝観料の札が掛かっていました】
無人ですが門は開いてますので中を覗く事はできます、すると散歩の人が平気な顔で入って行くではありませんか
僕も恐れながら入場でした、正面に大きな池があって周りを散策できます、どうやら市民にとって散歩コースになっているようでした
(今はどちらの寺も八重桜のシーズンになっております)
何といっても京都の「わび・さび」を代表するお寺さんです
・ 【大きな山門からわび・さびの雰囲気が出ています】
拝観料の札は気になりますが、散歩の人たちと同様に無賃入場いたしました
(広い蓮池がどーんと横たわっています、右から回ろうか左から回ろうか迷いますが、散歩の人は反時計の左回りの方が多いです)
多くの人と合えるように右回りで進んで朝の挨拶を交わしながら進みましょう
道端の掲示板には「きぬかけの路」という洒落た名前がついていました
・ 【仁和寺から龍安寺を通って金閣へ通じる路でした】
途中には昨日ギターを演奏してくれた立命館大学の建物もあります、立命館大学は京都市内に多くの建物が点在しているマンモス大学なのですね
このお寺を有名にしたのは枯山水の庭園、石庭があるのですが、朝早く石庭は開門していません
・ 【石庭だけ門は閉じられていました】
龍安寺の石庭
「方丈庭園(石庭)
方丈庭園(史跡・特別名勝) - いわゆる「龍安寺の石庭」である。幅 25 メートル、奥行 10 メートルほどの
空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15の大小の石を配置する。
これらの石は3種類に大別できる。各所にある比較的大きな4石はチャートと呼ばれる龍安寺裏山から
西山一帯に多い山石の地石。塀ぎわの細長い石他2石は京都府丹波あたりの山石。その他の9石は
三波川変成帯で見られる緑色片岩である。 寺伝では、室町末期(1500年頃)特芳禅傑らの優れた禅僧によって
作庭されたと伝えられるが、作庭者、作庭時期、意図ともに諸説あって定かではない。
塀ぎわの細長い石には「小太郎・□二郎」と刻まれており、作庭に関わった人物と推測されるが、
憶測の域をでるものではない。」
石庭を取り囲む塀で今日の所は満足です
石庭も大事ですがお寺を飲み込むほど大きな池にははすが浮いています、時期ではないですがこれらが咲く時にも訪問してみたいね
・ 【池の周りでも十分「ワビ・サビ」に浸れました】
苔むした樹木と広い蓮池、寺の建物はそんな気分にしてくれます
石庭への順路がありました、池と比べてはるかに小さいです
・ 【観光客は迷わないと思います】
広い境内ですし、小さな石庭の建物は見つけ難いのかしら
石庭入り口の建物です
・ 【これまでに石庭だけは2回来ています】
禅の境地でしょうか、難しい顔して石庭に向かっている人を見ると「なんとキザな!」と思ってしまうのは「わび・さび」を理解できない証拠でした
はすの葉が広がる頃もう一度来てみたいです
・ 【ママは今度は一緒に来ましょう】
龍安寺は石庭で持っている寺ですが圧倒的に蓮池のほうが広いのです
「室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥でもあった細川勝元が宝徳2年(1450年)に創建した禅寺である。
衣笠山山麓に位置する龍安寺一円は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。
円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実能が同地に山荘を建立した。
この山荘を細川勝元が譲り受け寺地とし、初代住職として妙心寺8世(5祖)住持の義天玄承(玄詔)を迎えた。
義天玄承は師の日峰宗舜を開山に勧請し、自らは創建開山となった。創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、
京福電鉄の線路の辺りまでが境内であったという。」
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