goo blog サービス終了のお知らせ 

新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

初めに事実あり!

2019-06-18 10:17:19 | 言葉・概念


「事実」について思い考えていたら、
実体と機能について思うに至った。



昨日、喧嘩した。
昨日、私は、喧嘩した。
昨日、私は、友達と喧嘩した。
昨日、私は、友達の○○君と喧嘩した。
昨日、私は、友達の○○君と殴り合いの喧嘩をした。

「昨日」とは、令和元年六月十七日。
「私」とは、人から「××」と言う名前で呼ばれている人間の個体。
「○○君」とは、○○君と私が読んでいる人間の個体。
「喧嘩」とは、ここでは、手を対象に当てる行為。

「昨日」は、あるのか?・あったのか?
「昨日」は、五感で感覚可能なのか?

「昨日」とは「今日」からみた「昨日」であり、
それは具体的「時」の表現である。


「時・暦」とは何か?
「時・暦」は、あるのか?

私も友達も人間の個体として、感覚可能である。
喧嘩は、殴り合い。手の当て合いと言う状態として感覚可能である。

でも…「手を当てたから「喧嘩」とは限らない。
そこには、「相手に当てる」という意志・意識がある。

「意識がある」とは?
「意識」は五感で感覚可能か?

そんなこんな、問いを思っているうちに気付いた。
ここは、実体と機能で考えよう、と…


「昨日」は、具体的な「時」表現。
「私」は、特定の人間の個体の表現。
……


事実とは、
実体としてある。
機能としてある。


実体は、五感を通して感覚可能。
機能は、感覚した状態-実体の変化。運動を通して感覚可能。


結論として、
事実には、実体的な事実と状態・機能的事実とがある。


実体的事実を「モノ」、
状態的事実を「コト」、とも表現できる。


では、
事実を思い、
状態を思う、意味・意義とは?












コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自由と制限 | トップ | 何の為に仕事を選ぶか? »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

言葉・概念」カテゴリの最新記事