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新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

続・言語が先か?認識が先か?

2023-11-16 19:16:29 | 言語と認識

続・言語が先か?認識が先か?


現代社会では、現実的は、「その人」の認識誕生以前に言葉は存在している。
それでも、認識・誕生(頭脳活動開始)後の「その人」の頭脳内に「言葉はない」。
誕生時には、言葉もなく、言葉を発音可能な声帯もない、のが人類であろう。


現代社会・外界と「その人」の内界を並べた時には、「言葉が先で認識が後」。
それでも、「その人」の内界だけなら、「認識が先で言葉が後」。

現実の生活の中で、集団の中で、「ある人」が「ある感情」を体験して、
それを大勢の人々が「楽しい」と表現していたから、「楽しい」という言葉を修得。

仮に如何なる時も、全く感情変化のない人物がいたなら、
その人は、周囲の感情表現変化から言語を修得するだろうか?

その時の修得法は、自分の感情変化・様子ではなく、
周囲の人々の顔色・表情・変化・様子から感情表現を修得するのだろう。

ここで大発見!

感情が未熟の赤子・乳幼児は、周囲の人々の顔色・表情・言動…から言語の修得?
母親が楽しいと感じての身体変化を見て彼らは「楽しい」(感情自覚はないが…楽しい感)
これが、師範の説いている「認識の原風景」なのだろうか?



う~ん!それは言葉以前の感情表現さえも、周囲の人々の変化から修得…なのだろう…

周囲が笑うから、赤子・乳幼児は、笑顔を修得!
親が、愛情を込めて子供を叩くから、子供も友達を愛情込めて「叩く」。

認識は誕生しても、
その表現様式が未修得の赤子・乳幼児は、
相手の行動様式を修得していくのだろう。


大人の一般社会では、一般的に「愛情を込めて相手を叩く」という行動様式はない。
それでも…周囲から、愛情込めて叩かれた子供なら、ありえるだろう…
また、そのような子供なら、先生から愛情を込めて叩かれた時、その先生の愛情が分かる、のだろう。


「愛情から叩く」事と、「叱る為に叩く」の違いとは?

いつも忘れ物をしてばかり子供、いくら口で注意しても忘れる子供。
忘れ物は、「当人が困れば、なくなる」と言われている」…
しかし、幼過ぎて「忘れ物で困る!とは感じない場合…
昔なら、廊下でバケツ、手を定規で叩く…
「体罰」が嫌!痛いのが嫌!」(困る)…
家に帰っても痛みを想い出し「忘れ物しない注意」…
この時、この体罰に子供が、愛情を感じられれば…


「忘れ物で叱る」とは、
忘れ物は先生が困る。
その子に教えられない!
忘れ物は精神が弛んでいる…


子供の忘れ物が、先生の不都合だから、
バケツ・定・規体罰…ここに愛情はない!のだろう…








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言語先か?認識が先か?改めて「言語と認識」について…

2023-11-16 18:11:28 | 言語と認識
改めて「言語と認識」について…

言語先か?認識が先か?


進化の過程では、言葉で表現が必要な認識が発生する事で、人類は「言葉」を創出した。
しかし、現代では、赤子の認識誕生以前に、既に「言葉」は存在している。

本来は、言葉より認識が先であるにも関わらず、認識以前に既に言葉は存在している。
個人としての人間は、周囲の他人の書物…の言葉を通して、自己の認識の言語化をしている。

さて、先週の事である。
私が、指パッチンをしながら階段を上っていると…
横を通り過ぎた五年生の男子が、「指パッチンして楽しい?」と声をかけてきた。
間髪入れずに私は「面白いよ!」即答した。




その後…ふと…私は考えた『何故に私は、「楽しい」と聞かれたのに、敢えて「面白い」と答えたのか?』
「うん!楽しいよ!」で、何が拙いのか?」

多分、小学一年生の児童達と一緒に指パッチンをしていたなら「楽しい」と表現しただろう。
でも、その時は、横を一緒に教室へ向かっていた小3の 男子児童に聞かせる目的もあった…から?

その児童は特別支援学級生であり、二年生の頃から私の前でよく指パッチンを聞かせてくれていた。
そんな彼から私が子供時代に練習した指パッチンを想い出させてもらった…のである「感謝」。

その日は一階で、彼が指パッチンを見せてくれたので、私も鳴らしたら、今までにない程の大きい音が出た。
その音の大きさから、不思議?嬉しい?珍しい?驚き?…の入り混じった感情だったのだろうか…

そこで考え調べた「楽しいと面白い」の違いを~

「楽しい」と「面白い」の違いは次のようになります1234:
• 「楽しい」は心が満ち足りて、愉快な気持ちであることを表します。自分が好きなことをしているときや、自分が好きな人と一緒にいるときに感じる感情です。
• 「面白い」は興味や好奇心を表す感情で、滑稽で笑いたくなる、気分が晴れ晴れする、一風変わっていて珍しい、心が惹かれる、趣深いなどの感情を表します。
• 「楽しい」は持続的な感情で、「面白い」は一過性の感情です。
• 「楽しい」は自分自身の気分や感情の状態を表現した言葉で、「面白い」はある物事の性質や本質を表現した言葉です。


私が「面白い」と言った時、上記の言葉は浮かんでこなかった。
それでも、この意味・解説を読んだら、
「成る程…確かに『楽しいてはなく面白い』が正しい私の認識だった…」。


私は、「楽しい」の意味も「面白い」の意味も説明・解説できない。
それでも、私は、あの時の私の感情・認識を「面白い」と正しく表現していた。


その理由は、生まれてから現在までに、
多くの「楽しい・面白い」の表現を、多くの人達や多くの書物から、
自然・成長的に、学習・修得してきた、からであろう。


自然・成長的である理由は、
「面白いとは?楽しいとは?」なんて、考える事無く、その時々の集団生活の中で、
「楽しい・面白い」という現実・事実の反映・五感情情報と共に、学び・学ばされてきた、から…

因みに「指パッチン」という言葉は、子供達が使っているのを最近聞いて初めて知った。
児童が「指パッチンできる?」と指を鳴らしながら聞いて来たから、「これって指パッチンだ!」だと認識した。



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