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新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

貰ったらお返しを!

2019-05-30 11:21:17 | 想いのままに…



以下のコメントを貰った。
なのでお返しをする事にした。


・コメントが届いた記事
思いは実現する…

・コメントを書いた人
フロイト

・コメント
自由びとさんの「書きたいと思うのに書けない」理由は一言で言ったら「能力がないから」だと思いますね。
それで、どうして能力がないのかの理由を自由びとさんが敬愛する南郷さんの著述の中に探すなら幾らでも出てくるように思います。
南郷さんの著述の中には「何歳までにこれをやっておかなければ出来ない」といった記述が沢山ありますからね、還暦超えてる自由びとさんは若かりし必要な時期にやるべきことをやってなかったから出来なくて当然だと南郷本の愛読者としてスンナリ納得できるでしょう?
でも、そうした自由びとさんの書きたいことは自由びとさん以外の南郷さんのお弟子さん・論研の若人が?社会的分業としてやってくれるのでしょうから、書きたいことを書けない個人的な自由びとさんは他人に書いてもらうという社会的な自由びとさんに満足して済ませるわけでしょうからね。
それに私、自由びとさんは盛んに南郷愛を自己主張してるわりには南郷さんが書いているようにはやってないように感じてますよね。
何と言うか、面従腹背というか…。
でも、まあ、きっと今の南郷さんの指導が今の自由びとさん的なのだろうなと思います。今の南郷さんの関心事は『空手道綱要』のようなものでなくて『哲学・論理学原論新世紀編』のような形而上学への志向性なのでしょうからね。



このコメントは、文字の羅列である。
それでも、言葉・意味になっているから厄介である。

「南郷継正」の記述を知らない者にとっては、どうでもよいとなるだろう…。
また、知っている者にとっては、賛否両論となろうか?!

それは、
識っている者なら、『フロイトは分かっていないね!』…
知っている者なら、『フロイトの言う通りだ!』…


そもそも…
自由びとの書けない苦悩を書いた記事を理解したつもりで
その自由びとの苦悩の原因を分かったつもりで、
コメントを寄越せるフロイトは、如何なモノだろうか?

このフロイトがソクラテスなら、
自由びとの事も、
南郷継正の事も、
知り抜いているだろう…

もっとも…それら全ては文字から知り得たモノであり、
現実の自由びと・南郷継正を知り得てはいないだろう。
もっとも~南郷継正には、会った事があるようだが…

そんな現実のその人を知らず、
その当人が書いたモノを鵜呑みして、
どうして、ここまで書き切れるのだろう?

このフロイトの精神構造に非常なる興味関心が沸き起こっている。


しかし、そう~しかし…である。
私も現実のフロイトを知らず、ソクラテスを知らない!

なのに、フロイト・ソクラテスの事を書けるのだろうか?
その答えは、書ける場合と書けない場合がある。

このコメントは、
自由びとの記事に対してのモノであり、
それは、自由びとの書けない苦悩に対してのモノである。

自由びとの苦悩は、自由びとの個人的なモノであり、個性的なモノである。
自由びとが過去の己、現在の己を観つめ、そこから発生した苦悩である。

「自分である自由びと」の記事へ
「他人の自分勝手な思い込み」のコメントに対してなら、
苦悩の当人である自由びとは、コメントした他人に対して書ける。


ソ・ソ・ソクラテスか?
プラトンか?
みんな悩んで大きくなった!


悩む事は、成長への契機・原動力である。
人が悩める時、そこには解決がある。


フロイトは、何も分かっていない。
自由びとは、
書けない苦悩を書く事で、
書けない苦悩を解決している。


なので…
このフロイトコメントは、
自由びとの記事に対しては、
ピント外れである。


フロイトは、
自由びと記事の記述・文字は読めても、
自由びと記事の構造が読み取れない、

ナンでもカンでも、
表面的な理解で納得して分かったつもりになって、
自分勝手思い込みレベルの批判が自信タップリに、
思うがままに自由に書けてしまう精神構造~

私からすれば、羨ましい、主観的な幸せ者であろう。








コメント (2)
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