生きてるだけでもうけもん♪Today is a Gift.

昨日は過ぎたこと、明日は未知のこと、今日はもうけもの、それらはみんな、神様の贈り物。
今日の想いを明日に繋げるために。

不自由な体に自由な気持ちを抱えて生きる

2016年05月11日 | father
認知症、脳梗塞後遺症の父は元気だけど健康ではない
がんばって歩こうとしているけれど
三ヶ月くらい毎にその運動能力は低下している気がしてきた

3メートル歩いてトイレまで行くときもあるけれど
何かにつかまっていないと歩行ができなくなってきている

こどもの日に、父と海を見に出かけた
海風に吹かれながら海岸で遊ぶ小さい子どもを眺めて
目を細めていたが
ぽつりと左目が見えないと言う

私は父の左目が見えていないとは知らなかったし気づかなかった
体のバランスが悪いのは目のせいなのだろうか

姉に電話でそう言うと、眼科で診てもらったらと簡単に言う
眼科での待ち時間が待てるような父ではないのに

かかりつけ医から大きい病院の眼科に予約をいれてもらおうかと
少し迷っている

父は元気だけど五体満足ではなく
腰も痛い、歩くこともままならない、歯もない、目も見えない
しゃべる呂律も回らない、右半身は不自由で
まっすぐひとりで歩くこともできない

それでも生きている

長生きすること
寿命についてよくよく考えてしまう

認知症だから
自分の不自由な体のことはしょっちゅう忘れてしまう
それで一歩踏み出そうとして
気持ちとは大きな乖離のある体に戸惑う

そしてがっかりして、悲しくなり、落ち込む
それを繰り返す
どうしてしまったのだろう、と思う

そんな父が見て取れる

精神は自由であるのに
体は限りなく不自由なのである

息をすることが生きていることだろうか
と疑問に思う

本当はもう生きていたくないのではないかと思うときがある
けれど、ご飯はしっかり食べる
無い歯では噛めないけれど しっかり食べる

食べる行為は生きる行為であろう

では生きたいのか
死にたくはないのか
死が怖いのか

安楽死というのは悪くないのじゃないか

自由な精神を体から切り離して自由になることが
本当に生きることではないかと
思うことがある


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。