生きてるだけでもうけもん♪Today is a Gift.

昨日は過ぎたこと、明日は未知のこと、今日はもうけもの、それらはみんな、神様の贈り物。
今日の想いを明日に繋げるために。

死んだ兄に電報を打つ

2014年04月21日 | father
「今朝、父の兄(私の叔父)が亡くなった」
と昨晩、縁者から連絡があった

村八分という言葉は
絶縁状態で付き合いがなくても
死人が出た場合には助け合うという二分を残した八分の意味だと聞いたことがある
が、父は父の姉妹からは村十分になってしまっているようで
叔父の訃報は入ってこない

父は
父の兄弟姉妹と親戚づきあいをしていない

父が自分の会社を倒産させた頃から
父の人生の横糸が切れて
もともと兄弟姉妹間が希薄だったのを
追い討ちをかけた形となった

叔母たち(父の妹たち)とは
もともと気性が合わなかったので
誰とも会いたいとは思っていなかったようだし
まだ子どもと呼ばれる年頃のころから身を粉にして働いてきた父にとっては
自分が親兄妹に対してやらねばならないと感じていた責任のようなものは
とうに果たしていると思っているようだった

脳梗塞で一段と認知症が進んだ父に
昨晩から何度も「あなたの兄さんが死んだ」と伝えている
その都度
「そうか、死んでしまったか」と
遠くを眺めるように空を見つめる

父はその兄とふたりで
戦後の本当に食べるものがなかった時代に
小さなパンのような菓子を仕入れて
橋のたもとで売っていた頃がある
10個売ると1個余分にもらえて
その1つを二人で分けて食べる

お互いの友だちや同級生が通りかかると
そんなことをしているのを見られるのは恥ずかしかったから隠れて
残ったひとりが売ることになる


そんな話を何度も聞いたことがある

子どもの頃に一緒にいたっきり、兄には会ってないと
父は言う

自分の結婚式だって
祖父や祖母の葬式にだって会っているんだけれど
もう、人生のゴタゴタした時代のことはみんな
父の記憶にはない
きれいさっぱり忘れている
父の中の兄は、今でも少年のままである

実の妹との確執があるので葬儀にはいかないだろうというのが
父の妻である、母の考えであり
母もまた、“いろいろあった”ので行かないという様子である

いずれにしても
父を通夜や葬儀に連れて行くというのも
父の今の状態では、現状把握がしにくくて難しいだろう
しかも呼ばれてもいないのだから

父の兄の死は直接知らせられてはいないけれど
知ってしまった

どうしようかと
少し考えた


叔父は離婚をしてしまっていて喪主が誰か分からない
確執の源となっている妹たちへ何かを知らせるという気もないであろう
そこで
父から、亡くなった兄宛に電報を打つことにした

生きてる間に会いたかったと父が思っているようなので
弟として兄を懐かしんでいた想いだけでも
伝えておこうと思った
私のセンチメンタリズムに過ぎないだろうけれど・・・

「兄さんへ 
 一緒にパンを売ったのが昨日のことのようだ。
 いろいろと苦労はあっただろうが、したいことはしてきたのだろうと思っている。
 さようなら」

父はこんな気持ちだろうと
私か勝手に思っているだけだが簡単な文字にした

また、叔父の死は忘れているだろうけれど
アルバムでも開いて
父とその兄が大人になっている姿を
父と一緒に眺めようと思っている
 






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