生きてるだけでもうけもん♪Today is a Gift.

昨日は過ぎたこと、明日は未知のこと、今日はもうけもの、それらはみんな、神様の贈り物。
今日の想いを明日に繋げるために。

宮城に行きました・・・そして

2012年04月05日 | 地震
石巻についてからどう動いて何をしたかを書こうかと思いましたが、やめます

被災地の現実はそこに居ないと
つまりは住んでいないと解らないと強く思ったから
何もできない非力な自分を再確認したってこと

昨日会った某NPOの石田さんが
「被災地に必要なのは宗教や哲学、これからの日本に必要なのも哲学」
ってなことを図らずもおっしゃったのですが、
頷けるところを感じています

実は、今日友人の夫の葬式に行ってきた私ですが
亡くなられた方は、ちょっと前まで普通に仕事をしてお元気だったのに
くも膜下出血で、家族にとって青天の霹靂の如く、この世を去ってしまった
葬式をしたところで、彼の死は実感としてまだまだ受け止めていない友人の姿があり
突然の死を受け止めるというのには、それ相当の時間がかかると思う

交通事故やら不慮の事故、病などいろんな出来事で大切な誰かを
無くしている人が今の瞬間もいる
そんな方たちも、ずっと悲しみを抱えて生きている

被災地と違うのは、一度にたくさんの方が被害に遭われたこと
そして、ひとつの天災から起こったできごとなのに
被害状況はほんとうにまちまちであること
家はあるけど大切な家族が亡くなった
家族は大丈夫だったけど、仕事も家もない
離ればなれで暮らすことを余儀なくされた家族に亀裂が入る
自分のところは何とかやれてるけどお隣さんは大変な状況が続いている・・
ほんとに、昨日まで比喩でなく波風無く過ごしていたのに
あの日を境に何もかもが変わり、まったく考える必要もなかったことが
のしかかり、心を占拠し続けている

無くしたものの大きさが違って、引き合いにだすのも憚られるが
とっても哀しく自責の念に駆られた出来事が昔、私にもあって
そのことを人に話したり、自分で真っ直ぐ向き合えるようになるまでに十年近くの時間が必要だった
災害や夫の急死に遭ったのでもないのに、十年という月日である

人は何かを心から受け入れるのに時間が必要です

石巻の家財道具や家屋であったがれきの山、
そして動かなくなった自動車が積み重なっている
これが全て、誰かの生活だった
ここの人たちの日常生活をみんな呑み込んでグチャグチャにして山積み

がれき処理が問題になっているけれど
更地にして、ちゃんとしたコミュニティが育つ準備はできているんだろうか
がれきを無くしてしまうことで、そこにかつてあった生活も精算しようとしてはいまいか

目に見えるがれきは片づけることができても
それを共に暮らしてきた人たちの気持ちは何も救われない

信仰心というと語弊があるだろうけれど、心のよりどころ、
もっと言えばやはり、哲学が必要
生きていく力となり礎となるような自尊心を蘇らせるような

とても抽象的で、自分でもまどろっしく情けないけれど

帰りの仙石線で、息子と話しました、こんなのはどうだろうって

中高生の修学旅行を東北にして、仮設住宅の横に
仮設住宅の進化版「新コミュニティ住宅」を優秀な建築家の方と共に
修学旅行生とつくり、出来た後は今の仮設の方々も住むし、
修学旅行生の宿泊場所とする
そこを核として、職業体験で、被災住宅の再建をしたり、防災デザインを構築したり
被災した方のお話を聞いたり、また話しをしたい方のお話を傾聴したり、
若者それぞれができることを東北で学ぶ

少なくとも若者が被災地に定期的に継続的に入る、そしてものごとを考えられる人が
幾人かでも東北のために何かをしようと思うことがあれば、心の復興が進むのじゃないか
って


誤解を恐れずに言うと
東北大震災の悲劇をチャンスとして活かすことを考えねばならないと思う
何かしたいと思っている中高生は多い
そして、今の被災地から学ばねばならないことも多い
錆びた感性で保身しか考えない大人の硬直した頭からは出ることのない
新しい発想を引き出し、この閉塞感漂う(ろくでもない政治家ばかりの)
日本を救う人材を育てる機会なのではないか


石巻で話をしてくれた宿の主に言われた言葉
「もっと早くきて欲しかった。若い人にはぜひ来てもらいたい、被災地を見て欲しい」
がずっと心に残っている

私のできることは何だろうと
ずっと考えながら生きていく

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