生きてるだけでもうけもん♪Today is a Gift.

昨日は過ぎたこと、明日は未知のこと、今日はもうけもの、それらはみんな、神様の贈り物。
今日の想いを明日に繋げるために。

宮城に行きました・・その1の1

2012年04月03日 | 地震
羽田まで飛行機に乗り、モノレールと山手線で東京駅に移動
東京駅のエキナカには本当にたくさんの人がいて
田舎モノにとっては、既にため息・・はぁ~

江戸そばを食べ、東北新幹線に乗り仙台で下車
そこから在来線、仙石線(“せんごくせん”かと思いきや“せんせきせん”と読む)
仙台は大都会だから、学生さんとか奥様とか
お仕事での移動ってサラリーマンが普通に乗って
地震の“じ”の字も感じなかった

のは
ここまで・・・

仙石線からの風景もだんだん田舎らしさを増してきたころ
松島海岸駅に到着
その途中にも車窓から痛んだ住宅などが目につくようになっていた

松島海岸駅・・・夕方のせいか淋しい雰囲気



ここで殆どの乗客が下車し、その殆どがそのまま、JRの代行バスに乗車していく
本来であれば、仙石線はその名の通り、仙台と石巻を結ぶ線
今は、その途中の矢本から石巻間は復興しているが、それまでの間は代行バスが走っている

で、
多くの人は、駅前で乗客を待つ三台の代行バスに分乗して行く
もう一台バスが待っていて、それは観光旅館への人を乗せて行った

今夜の宿のお迎えの車を待ちながら、そんな風景を眺めていた私と息子

泊まったのは、温泉宿
高台にあったので津波は免れて営業されている
津波にあってなくても大きな地震やらその後の余震やら
地震の被害があったことには変わりはない

必要なことしか言葉を発しない宿の従業員の方の対応に
関西の、常に冗談やらダジャレが混じる会話に慣れた私は
ちょっと身構え、かなり戸惑う

東北人は感情を表に決して出さないとは聴いていたけれど
そうなると
こちらももの静かに(こんなこと珍しいけど)
旅は始まった・・

宿泊した部屋の海に面した大きな窓からは
町並とそしてその向こうに松島海岸の海が見渡せる



息子はいつもどおりテレビのスイッチを入れ笑いに興じる



私は、温泉の大浴場で汗を流し
早々と寝ることにした

住宅と街頭の灯りがぽつりぽつりと松島の温泉街に灯り
何ら変わりない生活が送られているように思わされる

決してそんなはずはないんだろうとは知りつつも

つづく・・・・・・


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。