4日の夕方ラ・フォル・ジュルネ3つ目のコンサートが終わったのは5時45分、急いで五反田へ行って中華料理屋でタンメン食べてからホテルにチェックイン!
でも、ホテルの前には川があり、その向こうには、ソープランドとラブホのネオンがピカピカ!(笑)
その後は、又会場に戻って、8時からコンサートを2つ聴いたよ。
NO.347 20:00-21:20
谷村由美子(ソプラノ)他、ローザンヌ声楽アンサンブル、ミシェル・コルボ指揮
ロッシーニ:小荘厳ミサ
ごめんなさい、コンサート4つ目でお尻や背中首まで痛いのと、寝不足の所に食後で眠くて半分寝てました!(^^ゞ
NO.348 22:15-23:00
樫本大進(ヴァイオリン)、フランス国立ロワール管弦楽団、ペーテル・チャバ指揮
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ短調作品64
シューベルト:「ロザムンデ」序曲D644
樫本大進君のヴァイオリンは去年も聴いたけど、やっぱり最高だね!
曲もシューベルトよりもメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が聴きたかったから、感激しました。
ここで、売り出し中の若手バイオリニスト樫本大進くんのプロフィールをちょっと
1979年3月27日に父の転勤先であったロンドンで生まれ、3歳からヴァイオリンを始め、恵藤久美子に師事した。再び父の転勤により、ニューヨークへ移り、7歳でジュリアード音楽院プレカレッジに入学し、田中直子に師事した。
1990年、11歳の時にリューベック音楽院で教鞭を執っていたザハール・ブロンに招かれ、リューベックへ移り、ドイツのギムナジウムに通いながら同音楽院の特待生としてブロンにヴァイオリンを師事した。同年、第4回バッハ・ジュニア音楽コンクールで第1位を獲得し、以後、リピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクール・ジュニア部門で第3位(1991年)、ユーディ・メニューイン国際コンクール・ジュニア部門で第1位(1993年)、第3回ケルン国際ヴァイオリン・コンクールで第1位(1994年)をそれぞれ獲得した。1995年、日本でアリオン賞を受賞した後も、1996年、フリッツ・クライスラー国際コンクールで第1位、ロン=ティボー国際コンクールでは、史上最年少で第1位を獲得した。1997年10月、ギムナジウム高校課程を修了し、リューベック音楽院に正式に入学した。1999年、19歳までブロンに師事したが、フライブルク音楽院に移り、ベルリン・フィルのコンサートマスターを務めていたライナー・クスマウルに師事する。また、同年、ニューヨークのソニー・クラシカルとレコーディング契約を結び、デビューアルバムが発売された。2002年、NHK大河ドラマ「利家とまつ」の音楽でヴァイオリンを担当した。2004年、パリとウィーンでメンデルスゾーンのもう一つのヴァイオリン協奏曲であるニ短調を演奏して話題となった。
1996年12月、フォーバルスカラシップ・ストラディヴァリウス・コンクールで優勝し、1697年製ストラディヴァリウス「レインヴィル」の2年間の貸与を受けた。1998年、日本音楽財団から1722年製ストラディヴァリウス「ジュピター」の貸与を受けた。
2005年春に音楽院を修了し、本格的なプロ活動に入った。同年、日本でリサイタル・ツアーを行い、チョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演した。日本でのマネージメントはジャパン・アーツと契約している。最近は1674年製アンドレア・グァルネリを主に使用しているようである。
ストラディヴァリウスやアンドレア・グァルネリっていったいどのくらいの値段なんだろう?
高嶋ちさ子が自分で5億円のストラディヴァリウスを買ったと言っていたらしいけど、諏訪内晶子なんて三大ストラディヴァリウスの一つを使っているとか!( ̄□ ̄;)!!
まあいいか、うまい人が良い楽器を使うのは当たり前だからね。。。(笑)
あ、私は音楽についてはまったく素人で、樫本大進のCDなんて一度も聞いた事はありませんので悪しからず。。。
ただ、去年聴いて、庄司沙耶香より良かったので、今年も聴いてみただけです。。。
コンサートを5つ聴いたら、もう午後11時!
イスに座り過ぎて、お尻から首まで痛くて痛くて大変だったよ!(^^ゞ
来年は聴きたいコンサートを選んで数を調節してのんびり聴くようにしたいな!(笑)
それと、五反田まで戻って飲み屋を探したけど、祭日の日曜日の夜だったので、土間土間と和民しか空いてなかった!( ̄□ ̄;)!!
しょうがないので、和民に入って生グレープフルーツサワーに和民サラダとシメサバを注文して、のんびり飲んで帰ったら1時過ぎ!( ̄□ ̄;)!!
次の日も朝からコンサートがあるので、シャワーも浴びずにおやすみなさい!(^^ゞ
つづく
でも、ホテルの前には川があり、その向こうには、ソープランドとラブホのネオンがピカピカ!(笑)
その後は、又会場に戻って、8時からコンサートを2つ聴いたよ。
NO.347 20:00-21:20
谷村由美子(ソプラノ)他、ローザンヌ声楽アンサンブル、ミシェル・コルボ指揮
ロッシーニ:小荘厳ミサ
ごめんなさい、コンサート4つ目でお尻や背中首まで痛いのと、寝不足の所に食後で眠くて半分寝てました!(^^ゞ
NO.348 22:15-23:00
樫本大進(ヴァイオリン)、フランス国立ロワール管弦楽団、ペーテル・チャバ指揮
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ短調作品64
シューベルト:「ロザムンデ」序曲D644
樫本大進君のヴァイオリンは去年も聴いたけど、やっぱり最高だね!
曲もシューベルトよりもメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が聴きたかったから、感激しました。
ここで、売り出し中の若手バイオリニスト樫本大進くんのプロフィールをちょっと
1979年3月27日に父の転勤先であったロンドンで生まれ、3歳からヴァイオリンを始め、恵藤久美子に師事した。再び父の転勤により、ニューヨークへ移り、7歳でジュリアード音楽院プレカレッジに入学し、田中直子に師事した。
1990年、11歳の時にリューベック音楽院で教鞭を執っていたザハール・ブロンに招かれ、リューベックへ移り、ドイツのギムナジウムに通いながら同音楽院の特待生としてブロンにヴァイオリンを師事した。同年、第4回バッハ・ジュニア音楽コンクールで第1位を獲得し、以後、リピンスキ・ヴィエニヤフスキ国際コンクール・ジュニア部門で第3位(1991年)、ユーディ・メニューイン国際コンクール・ジュニア部門で第1位(1993年)、第3回ケルン国際ヴァイオリン・コンクールで第1位(1994年)をそれぞれ獲得した。1995年、日本でアリオン賞を受賞した後も、1996年、フリッツ・クライスラー国際コンクールで第1位、ロン=ティボー国際コンクールでは、史上最年少で第1位を獲得した。1997年10月、ギムナジウム高校課程を修了し、リューベック音楽院に正式に入学した。1999年、19歳までブロンに師事したが、フライブルク音楽院に移り、ベルリン・フィルのコンサートマスターを務めていたライナー・クスマウルに師事する。また、同年、ニューヨークのソニー・クラシカルとレコーディング契約を結び、デビューアルバムが発売された。2002年、NHK大河ドラマ「利家とまつ」の音楽でヴァイオリンを担当した。2004年、パリとウィーンでメンデルスゾーンのもう一つのヴァイオリン協奏曲であるニ短調を演奏して話題となった。
1996年12月、フォーバルスカラシップ・ストラディヴァリウス・コンクールで優勝し、1697年製ストラディヴァリウス「レインヴィル」の2年間の貸与を受けた。1998年、日本音楽財団から1722年製ストラディヴァリウス「ジュピター」の貸与を受けた。
2005年春に音楽院を修了し、本格的なプロ活動に入った。同年、日本でリサイタル・ツアーを行い、チョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団と共演した。日本でのマネージメントはジャパン・アーツと契約している。最近は1674年製アンドレア・グァルネリを主に使用しているようである。
ストラディヴァリウスやアンドレア・グァルネリっていったいどのくらいの値段なんだろう?
高嶋ちさ子が自分で5億円のストラディヴァリウスを買ったと言っていたらしいけど、諏訪内晶子なんて三大ストラディヴァリウスの一つを使っているとか!( ̄□ ̄;)!!
まあいいか、うまい人が良い楽器を使うのは当たり前だからね。。。(笑)
あ、私は音楽についてはまったく素人で、樫本大進のCDなんて一度も聞いた事はありませんので悪しからず。。。
ただ、去年聴いて、庄司沙耶香より良かったので、今年も聴いてみただけです。。。
コンサートを5つ聴いたら、もう午後11時!
イスに座り過ぎて、お尻から首まで痛くて痛くて大変だったよ!(^^ゞ
来年は聴きたいコンサートを選んで数を調節してのんびり聴くようにしたいな!(笑)
それと、五反田まで戻って飲み屋を探したけど、祭日の日曜日の夜だったので、土間土間と和民しか空いてなかった!( ̄□ ̄;)!!
しょうがないので、和民に入って生グレープフルーツサワーに和民サラダとシメサバを注文して、のんびり飲んで帰ったら1時過ぎ!( ̄□ ̄;)!!
次の日も朝からコンサートがあるので、シャワーも浴びずにおやすみなさい!(^^ゞ
つづく