私の中国投資・出張・旅行日記

約30前に香港より当時広州への航空便が難しく、汽車にて中国本土広東省広州に入国し、光景にビックりしたのが始まりです。

寒山寺門前街⑤-97

2009-02-07 10:25:14 | Weblog

寒山寺門前⑤   その当時の寒山寺にはまだ日本人等の外国人の観光客は少なく多くは中国人でした。ちょっと古い記憶で正確さを欠いているかもの知れませんが、門前には多くの土産物屋が立ち並んでおりましたが、お客さんは少なかったので呼び込みが激しかった事を思い出します。その多くは掛け軸・硯等の習字道具などが多く販売されておりました。その一軒の土産物屋さんでは写真の如く長い筆を使用して、立って文字を書くという技を売り物にしておりました。この店に立ち寄り同行の役人が記念で進呈するので文字を書いて頂いては如何かと言われ、申し出を受け写真の如く私も写真に収まり掛け軸にする様な形態で書いて頂きました。その当時家族のおめでたがあったので文面は“大雁比翼飛万里 天要同心楽百年”とお目出度い詩だそうです。

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蘇州寒山寺 ④-96

2009-02-01 23:55:30 | Weblog

蘇州寒山寺 ④     日本では馴染み寒山寺、南北朝の天監年間(502~519)に建立された禅宗の古刹。寺名は唐代の高僧・寒山が住んだことに由来します。唐代の詩人・張継の7言絶句「楓橋夜泊」では「寒山寺から夜半を告げる鐘の音が、自分の寝ている船まで響いてきた」と詠まれ、詩に出てくる鐘を1回つくと10歳若返ると言い伝えられましたが、創建当時の寺は焼失し、清代末期に再建されたものです。大殿の側には日本からの寄贈の鐘があります。「楓橋夜泊」私などは学校で「月落鳥啼霧満天 江楓漁火対秋眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船」そもそもこの詩は拾得が日本へ布教に出た寒山の身を案じて鐘を突いた、その音を張継が聞き心中を読取ったと習いました。さぞ風光明媚な処かと訪ねてみてビックリ仰天、美しいのは写真に写る壁のみで川は汚く予期せぬ風景でした。日本人の訪問客が多い寺で、その当時訪れた人は私と同じ思いをしたかもしれません。      

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