遼寧省大連203高地 この地は日露戦争最大の攻防の地として歴史に残しております。1894年に勃発した日清戦争に翌年日本は勝利し遼東半島を手にいれ、其れによりフランス・ドイツ・ロシア等の干渉により返還する事を予定しました。其処にロシアが触手を伸ばしこの地を租借地とし、遼東半島先端の旅順に要塞を築き遼東半島以北の支配権を巡って対立をしていました。1904年に戦争に突入しここは訪れた人は理解出来るでしょうが戦略的(大戦後長く立ち入り禁止地域でした)には大変重要な地点です。それ故に日本はこの高地を落とすために多くの人命を犠牲に占領したものです。この高地は最初標高206メートルあったそうですが砲撃により203メートルになり203高地とゆわれるようになったそうです。写真の背後にある記念碑は砲弾をかたどっています。又、人物の横に一部写(写真は3年前)るものは人力で下より二人で前後を担ぎ急な坂を運んでくれる駕籠です。私は幾度か訪れていますが、因みに一緒に写る友人は戦中の霊が多く漂うている故、早く山を下りようと急ぎ下山しました。
http://www.obea.or.jp/ryugaku 大阪ビューティプラザアカデミー
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます