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御朱印と参拝のあしあと

参拝した神社・寺院でいただいた御朱印をここに足跡として残しておきます。

【番外:御城印】長岡城(新潟県長岡市)

2022-12-10 12:50:10 | 御城印
長岡城はJR長岡駅からアオーレ長岡のあたりにあったとのことです。1605年に堀直寄によって築城が始まり完成したのは1618年とのことです。御城印は河合継之助記念館でいただきました。

  

長岡城(ながおかじょう)
新潟県長岡市城内町2-7

【番外:御城印】蔵王堂城(新潟県長岡市)

2022-12-03 12:31:08 | 御城印
長岡市西蔵王にある蔵王堂城址は、明治時代に「金峰神社」と「安禅寺」に別れるまでは一つの「蔵王堂」と呼ばれていたそうです。そこに、長尾一族が築いた城が蔵王堂城とのことです。その「金峰神社」と「安禅寺」の間にはお濠が残っています。



蔵王堂城(ざおうどうじょう)(新潟県長岡市)
新潟県長岡市西蔵王3-2-13

【番外:御城印】新潟城(新潟県新潟市)

2022-02-19 14:00:01 | 御城印
白山神社へ参拝に行って御朱印をお願いしたら、この御城印があったのでいただきました。
新潟城は新発田重家によって建てられた戦国時代の城で、天正九年(1581)に築城され天正十三年に上杉景勝家臣の宮島三河守の計略によって落城されたとのことです。遺構は残っていませんが、今の白山神社と白山公園付近にあったとのことです。



新潟城(にいがたじょう)
新潟県新潟市中央区一番堀通町1-1

【番外:御城印】新発田城(新潟県新発田市)

2021-08-29 15:05:18 | 御城印
新発田城は、別名「あやめ城」とも呼ばれ、初代新発田藩主溝口秀勝(みぞぐちひでかつ)侯が慶長3年(1598年)に築城し、3代宣直(のぶなお)侯のときに完成しました。
新発田城は一般に多くある山城とちがって、政治・経済の中心として交通の便利さを考え、平地につくった平城です。石垣がすき間なくかみ合うようにきちんと積まれる「切込はぎ」と呼ばれる美観を重視した技法でつくられ、白と黒が美しい海鼠(なまこ)壁で仕上げられています。 春の桜の季節、真冬の雪をすっぽりかぶった様子、四季折々の風情があります。
城の表門前に、すっと立っているのが堀部安兵衛の像。赤穂義士の討ち入りで中心的な役割を果たした安兵衛。像の顔は、しっかりと江戸を見つめています。新発田城はかつて本丸、二の丸、三の丸からなり、堀や石垣に囲まれ、新発田川の水を巡らせた平城で、11棟の櫓と5棟の門が並び壮観な景観を呈していました。中でも、天守閣の代わりを果たしていたのが三階櫓です。3匹の鯱を配するという独特の櫓で、全国にも例がない大変珍しいものです。平成16年には、この三階櫓、辰巳櫓が復元されました。(「しばた観光ガイド」より引用)

  

新発田城(しばたじょう)
新潟県新発田市大手町6-4

【番外:御城印】高田城(新潟県上越市)

2020-09-10 18:55:20 | 御城印
高田城は桜の名所である高田城址公園の中にあります。御城印は公園内にある上越歴史博物館でいただきました。
高田城は徳川家康の六男・松平忠輝の居城として、天下普請(幕府の事業)により築城されました。築城にあたっては、仙台城主伊達政宗をはじめとした有力大名13名が総力をあげ取組み、わずか4か月足らずで越後一国と北信濃の一部をも治める巨大城郭が築かれました。(上越市HPより引用)

  

高田城(たかだじょう)
新潟県上越市本城町6-1

【御城印】鶴ヶ城

2019-02-09 16:50:50 | 御城印
以前、福島県会津若松市にある「鶴ヶ城」へ行った際に、売店で御朱印らしきものを買いました。どう見ても御朱印には思えなかったので、御朱印帳には貼らずにとっておきました。最近になって、「御城印」というものがあることを知りました。
日帰りできる範囲には、「御城印」があるようなお城や城址はあまりありませんが、旅行などでお城へ行った際には「御城印」を集めてみたいと思います。

  

鶴ヶ城(つるがじょう)
福島県会津若松市追手町1-1