2月例会(,2010年)東淀川区の歴史探訪 崇禅寺 2010年02月17日 | Weblog 崇禅寺 729年奈良時代に 法相宗の行基菩薩により創建 748年~ ~ その間 歴史がありまして~ ~1442年 室町幕府 足利義教公ならびに細川家の菩提寺として再建 その後も~ ~ 戦火にあい~ ~ 昭和20年6月大空襲にも、 ~昭和60年~復興工事~平成元年に完成
2月例会(その5) 中島惣社 「説明」 2010年02月17日 | Weblog 惣社と言うのは、総社の意味で中島郷48か村の親宮の事。 1909年(明治)の寺社統合で、多くの神社を合祀。 明治初年は、境内1万9千坪余りの壮大な神社でしたが、 空襲で全焼。現在は美しい神殿に再建されてます。
2月例会(その6) 永春寺 刀鍛冶師の菩提寺 2010年02月17日 | Weblog 刀鍛冶師 来国安(ライ・クニヤス)その一族の屋敷跡です。 1331年 国安。国長。国次達は、南北朝の戦乱を避けて 家族を引き連れ この地に移ってきました。 歴史 物語は多くありますが、 今は、無人の本堂と、広大な墓地になり、 僅かな遺品や井戸などが、片隅に集めてあるだけです。
2月例会(その7) 松山神社 鳥居 2010年02月17日 | Weblog 住宅街を抜けると昔風の家並み。公園を抜けて 立派な鳥居が・・・松山神社(天満宮)です。 阪急京都線の長岡天満宮。宝塚線の服部天満宮。 この三神社「三天神めぐり」合格祈願に・・・
2月例会(その8) 松山神社 広い境内でした 2010年02月17日 | Weblog 松山神社 901年菅原道真が太宰府に向かう時、この地に立ち寄り 景観に誘われ(小松の詩)を吟じ自画像も与えたそうです。 「小松村天満宮縁起」詩の解説が1852年。
2月例会(その11) 瑞松寺本堂で「お蔭様で~」 2010年02月17日 | Weblog 本堂でお話を 浄土真宗のお寺。戦国時代の話になります。 本願寺派。大谷派。それに繋がり織田。豊臣。徳川。 鎌倉時代 屋島の源平合戦。涙池山(るちざん)瑞松寺。
2月例会(その12) 瑞松寺 狸の恩返し 2010年02月17日 | Weblog 本堂で、若い住職さんから戦国時代の歴史。その他・・・ 最後に、江戸時代のお話 狸の恩返し「特効薬狸の吸出し薬」の由来も。 奥様には美味しいお茶もご馳走になりました。
2月例会(その13) 専念寺 見学だけ~ 2010年02月17日 | Weblog 専念寺は、浄土宗寺院です。 伝説「綿虫勘左」屏風屋勘左衛門 江戸時代。 本堂に 本尊阿弥陀如来は、専心の作 十一面観音は、聖徳太子の作 大日如来は、伝教大師の作
2月例会(その15) 瑞光寺 くじら橋 2010年02月17日 | Weblog 「東淀川歴史探訪」より抜粋 1334年火災で焼失。1643年臨済宗の僧が庵を結び。 1729年 寺名を天然山瑞光寺改称。1846年大寺院に発展 1945年6月空襲で塔堂・伽藍等焼失。雪鯨橋は残りました。 鯨橋について・・・・ 1756年 四代住職の知忍が 和歌山太地へ行脚。 太地は不漁が続き、村民は飢えで苦しんでました。 村長や網本から祈祷を頼まれ・・・・2週間の祈祷をした所 満願の日に、湾内に鯨の大群が、 殺生を目前に自責の念にかられ、こっそり瑞光寺へ戻りました。 村長達は、黄金と鯨骨18本を 無理やり寄進します 知忍は境内の池に鯨骨で橋をかけ、鯨の冥福を祈りました。