卒寿からの思い出2022/11月  (大阪歴史散歩) 

大阪近郊の歴史 2003年9月例会より
卒寿からの思い出 2022年11月より

7月-3 温山記念会館

2012年07月10日 | Weblog
西宮市にある松山大学・温山記念会館は、
創立者・新田長次郎温山翁が娘婿の建築家・木子七郎氏に
設計を依頼した広大な庭園内に佇むスペイン風洋館です。
1989年10月、本学創立の祖新田家から寄贈を受け、
本学教育研究の関西での拠点として、
学生のゼミナール活動や研究会議などに利用されています。

7月-7 広い庭園の隅に 防空壕が 

2012年07月10日 | Weblog
昭和初期に防空壕 不思議なので検索
敷地東端に建ち,南北5.7m,東西3.9mの規模で,
西面南端及び南面東端に2重耐爆扉の出入口を設け,
全体の壁厚を30cmとする。内部は1室で,
室内の天井をドーム状として,鉄製の換気設備2箇所を設ける。
防空壕の遺構として貴重。・・・・と言うことです。

7月-8 甲子園会館の歴史 1980年~

2012年07月10日 | Weblog
甲子園会館は、昭和5年(1930年)「甲子園ホテル」として竣工。
このホテルは、フランク・ロイド・ライトをアメリカより招聘して
帝国ホテルを設計させた帝国ホテルの元支配人、林 愛作の企画と、
フランク・ロイド・ライトの愛弟子 遠藤 新の設計。

第二次世界大戦中の1944年、海軍病院として接収されたため、
ホテルとして使用されたのはわずか14年間でした。
1945年の終戦後は、アメリカ進駐軍に接収、将校の宿舎とクラブ。
1957年の進駐軍引き上げ後は国有財産となり大蔵省の管理下に

名建築の芸術性を見抜いていた本学院の校祖 公江喜市郎先生は、
国に対して熱心な払い下げ運動を行いました。

その熱意が実って、1965年、武庫川学院が払い下げを受けました。
その後周辺敷地の買収を進めて上甲子園キャンパスとするとともに、
2度にわたる大規模な改修により甲子園会館としてよみがえりました。
1990年、市民に対する生涯学習の場としてのオープンカレッジと、
生活美学研究所が設置されています。