平成22年(2010年)3月例会 堺市・七道界隈探訪 2010年03月18日 | Weblog 3月17日 七道駅集合。少し寒いけど快晴。37人参加。 七道駅→鉄砲鍛冶射的場跡→水野鍛練所→鉄砲鍛冶邸後 昼食(鳳翔館)→山口家住宅→覚応寺→西本願寺堺別院→ 妙国寺 解散 (阪堺線)妙国寺駅で乗車。初めて阪堺電車に乗りました。
3月例会 (その2) 鉄砲鍛冶射的場跡 2010年03月18日 | Weblog 地元のボランティアさんの案内で、出発 1543年頃にポルトガルから種子島に伝わった鉄砲の製造技術。 自由都市・堺は鉄砲づくりの町として全国に名を馳せます。 戦国大名と密接な関係に。戦国時代には年間1万挺以上製造。 先ず、鉄砲鍛冶射的場跡の石碑 見学から・・・・
3月例会 (その3) 鉄砲館 鉄砲の歴史 2010年03月18日 | Weblog 堺鉄砲館は大正期、木造二階建ての町屋を活かし、 市民の皆さんの手作りで再生した博物館です。 当時の鉄砲鍛冶を見事に再現し、木製のふいごや火箸などの用具、 そして江戸時代の火縄銃や製造過程の銃身などが展示されてます。 鉄砲の歴史を、楽しく話してくれました。
3月例会 (その4) 水野鍛練所 刃物の歴史 2010年03月18日 | Weblog 水野鍛練所は明治六年創業の老舗包丁メーカーです。 二代目は刀匠桜井正幸、森田正道の両氏に鍛刀を学び、 法隆寺「昭和の大修理(昭和九年)」小鍛冶に選ばれ、 五重塔九輪四方魔除け鎌を鍛え奉納 由緒ある鍛練所です。
3月例会 (その5) 水野鍛練所 五代目 2010年03月18日 | Weblog 法隆寺の塔 下の方に日本刀が使用されて、 当時 避雷針の役目をしてたのかも ? 「写真 塔の先端部」 水野鍛錬所は今、3代4代5代の三世代がご健在。 私達は、五代目さん(美男子)の説明を聞きました。有難うm(__)m 下は、水野鍛練所のブログより↓ 原文のまま そのため住吉大社の50年に一度の反り橋渡り初め式に選ばれ、 三世代三夫婦(渡女)のご奉仕をしてまいりました。 住吉大社さんには30年前に御神刀を納める奉奉納鍛練を行い それからは毎年しめ繩をいただき、刀の鍛錬の場所を守って・・・
3月例会 (その6) 昼食 鳳翔館で 2010年03月18日 | Weblog 平成19年オープンした施設。 古い町家を改造した展示室は土・日曜日、祝日のみの開館ですが、 私達の為 食事の場所提供してもらいました。 展示質には、火縄銃や与謝野晶子さんの歌等紹介されてました。
3月例会 (その7) 山口家住宅 町屋 2010年03月18日 | Weblog 大阪 夏の陣直後に創建された町屋。国の重要文化財 「京の着倒れ・大阪の喰倒れ・堺の建倒れ」と言う通り、 お金をかけた建築です。庭に樹齢200年のハゼの樹も。
3月例会 (その8) 西本願寺 堺別院 2010年03月18日 | Weblog 堺は、京都についでお寺の多い町です。 その堺で一番大きいお寺です。 建立 蓮如上人。1798年焼失後 1825年に建てられたものです。 本堂の前には、与謝野晶子さんの歌碑もありました。
3月例会 (その9)覚応寺・与謝野晶子歌碑 2010年03月18日 | Weblog 伊予の豪族河野道元が、帰依し覚応と改名 九州霧島山麓に1325年に寺を建立。後 数代を経て堺に。 晶子と文学仲間だった住職河野鉄南が、晶子を与謝野鉄幹に導いたと。 毎年5月29日(晶子の命日)には、白桜忌が営まれてます 晶子の歌 歌碑には その子二十歳 櫛に流るる 黒髪の 奢りの春の 美しきかな
3月例会(その10) 妙国寺 元皇室勅願寺 2010年03月18日 | Weblog 妙国寺は、開創(1558年)以来二度の大火で伽藍を焼失。 江戸末迄 勅願所として国土安泰と天皇家の長久を祈願。 1879年(明治12年)までは、寺域は三千百五十坪あったとか。 第二次大戦 昭和20年7月10日空襲でも伽藍等焼失。 戦国時代の歴史。大蘇鉄の伝説。明治維新の堺事件。 思えばも、長い鎖国時代から開国へ、 政策に翻弄された土佐藩の武士。悲しい堺事件です。
3月例会 (その11) 妙国寺の蘇鉄 2010年03月18日 | Weblog 大蘇鉄の伝説を聞きました。 大正13年に天然記念物に指定されてます。 一番太い株むの根元は周囲1メートル もっとも高いものは7メートルあるそうです。