おてんば珊瑚

我が家のおてんば娘(日本テリア)の日常を紹介したいと思います。

『けんたい』って知ってますか?

2005-12-10 19:49:03 | マジメな話
漢字で『献体』と書きます。
これから医師を目指す学生が、人間の体の構造を勉強する為に
死後、自分の体を解剖して医学に役立ててもらいたいと、提供するのです。
もちろん、生前(自分の意志をしっかり持っている時)に承諾書を書いて
本人が寄与したい病院が特にない場合は、居住地で何処の大学へ行くのか
決まるようです。

いくつになっても、親との別れは辛いものです(子が親を送るのは当然ですが)
私も平成15年の2月に父を送りました。ただ、父の意思で献体してましたので
葬儀の後、火葬をせずに大学の車が迎えに来ました。
今年の2月の命日に、亡くなって2年経って父に会ってきました。
こんな体験はそう出来るものではないでしょう・・・!
1年目は、区切りなのでお寺で1周忌法要をしました。2年目は3回忌になるのですが、
骨もないのに形だけなので納骨と併せてしましょうという事になりました。
ただ母が急に、何もしないけど今年がたぶん最後でしょうから、
父に会って来たいと言い出して・・・大学(歯科大)の先生に連絡をとり再会(?)しました。
癌だったのですっかり痩せてましたが、再会した父は防腐剤を注射するらしく
ふっくらして、胸板も厚くなって表情は穏やかなままでした。
(皮膚の色は変色していましたけど・・・)

10月になって、これから使わせて頂きますという通知が来て、
亡くなって3年。(終わるのが来年の2月なので)戻ってくるまでにまる3年
かかるわけです。

10月22日に本年度、献体する人達(50体)の追悼法要が行われました。
大学主催のもので、多くの学生さん達も御参りして下さいました。

どうして献体しようと思ったの?
という、私の問いに父が「もう、臓器移植できる年でもなし医学の向上に貢献できるなら、
死んだ後の体を提供する事なんか何とも思わないよ。」と・・・。
父の希望でしたから、私達も反対する理由もないので、その時は承諾しました。
でも、いまだったら分かりません?
頭では『死』を理解しているのに、感情が伴わないのです。
父の死を受け入れるのに半年以上かかりました。
人間亡くなって火葬するのは、きっとここで死んだ事を受け止めるのです。
だから火葬された骨を見て、泣いてる人ってまずいませんよね。

私が母にこの事を話すと、「でも、誰かそういう人がいなくちゃ困るでしょ。」
と、確かにそうだけど・・・なんで私の親なんだ。と思ってしまうのは
人間が出来てないんでしょうね。

ただ私は、もう一度同じ思いをしなくてはなりません。
母も父と同様に献体を希望していて、私達は承諾しているのですから・・・。
私もこの両親のDNAを貰っているのだから、同じくらいの年齢になれば
献体しようと思うだろうか?
いいえ、人間の出来てない私は・・・そう考えられないでしょう。

今は、お役目を終えて帰ってくる父を、少し家でゆっくりさせてから
収める所へ安置してあげようと思うだけです。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
のこちゃんへ (まこちゃん)
2005-12-13 18:22:09
のこちゃんのご両親は素直な方だと思いますよ。

ドナーカードを持ってると言われて誉める親は、そうそういないものです。娘もドナーカードを見せた事がありましたが、何も言えませんでした。

多分直面した時に、うろたえるのかもしれませんね。

人間ってそんなもんでしょう!?
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はーさんへ (まこちゃん)
2005-12-13 18:12:12
ほんとうです。厄介なもので、いい事だと理解しながら素直には喜べません。

当時、献体がどういう事かちゃんと分かっていたら、反対したかもしれません。

でも、もう一度同じ経験をするのは辛いものがありますけど、母の意志ですから受け止めるしかないでしょうね。

父の意思を勇気ある行動と認めて頂き、ありがとうございます。

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心に響くお話でした。 (のこちゃん)
2005-12-13 03:53:49
まこさんへ
まこさんのお父様は素晴らしい方ですね。ただ本当に頭では『人様のお役に立つことは素晴らしい事』とわかっても、実際に目の当りにした時の感情は、まったくもって別ですよね。学生の頃 良いことだと思い臓器提供のドナーカードを持っていた事があります。あるととき、何気に両親に話をしたら、悲しまれました。
ダメとは言いませんでしたが、今でも悲しい顔を覚えています。
大切な事だけど、深くいろんな事を考えるべき事ですね。
大切な人をなくした後の心のケアというのは、計り知れないものがあるのだと思います。無理をなさらずずゆっくり心を癒してくださいね。
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元気ですか? (はーさん)
2005-12-12 23:14:46
大変な経験をしてるのですね。話とか頭では「献体」とか「臓器提供」とかの大切さは解っているのですが、自分を含め自分の身内の者が実際に、自分の死を前にして、「献体」や「臓器提供」を言い出したら、素直に「素晴らしい事だね」とは言えないですね。

でも実際にお父様が「献体」された事は、いろんな意味で勇気のある行動で、生前のお父様の信念とか優しさが伝わって来る様です。

それを受け入れた、御家族も心の大きな、大きな優しさに包まれた家庭なのでしょうね。





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kaoさんへ (まこちゃん)
2005-12-11 18:27:05
ありがとうございます!

話の内容がちょっと重いのですが、

死んでまでメスを入れたくない、と考えるのが普通なんでしょうね。

献体する人がなかなか増えない理由の1つです。

両親の献体は、ある人の葬儀に出たのがきっかけですが・・・何故そうしようと思ったのかは、今の私には理解出来ません。
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心に染みるお話です。 (kao)
2005-12-11 00:20:13
頭では理解していてもそう簡単に割り切れないですね。延命治療とかも自分はして欲しくない。

だけどそれが夫や子供だったら、無駄な延命はしなくていいですと言えるかどうか。



献体も残された人に大きな課題が残されますよね。



そうですね。火葬された骨を見て泣きません。

ホントにその時に改めて「その人の死」を実感した様な気がします。



どうぞおとうさまにおつかれさまと言ってあげてください。

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