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「怒りをぶつける相手を常に探している」キレる高齢者に共通する特徴3つ

2021-07-14 15:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

キレる高齢者や暴走老人といった言葉をよく耳にする昨今。アンガーマネジメントの専門家、安藤俊介さんは「高齢者が怒りっぽくなるのは個人的な理由があり、キーワードは“執着”“孤独感”“自己顕示欲”の3つだ」と指摘する――。
※本稿は、安藤 俊介『怒れる老人 あなたにもある老害因子』(産業編集センター)の一部を再編集したものです。
高齢者が怒りっぽくなる個人的な理由①“執着”
まずは「執着」です。執着の強い人は怒りっぽくなります。特に過去の成功体験、愛着への執着は高齢者を怒りっぽくさせます。
執着を国語辞書で引くとこうあります。
“一つのことに心をとらわれて、そこから離れられないこと。”(デジタル大辞泉)
もともとは仏教からきている言葉とも言われていて、修行の障害になる悪い心の動きを指しています。
いろいろなことに執着がある人は、大切にしていることが多い人です。
それだけ大切にしていることが多ければ、その大切なものが脅威にあう機会も必然的に多くなります。となれば、怒りを使う機会も増えます。他の人からすればどうでもいいように思えることでも、本人にとってはなんとしてもしがみついていたい大切なものなのです。
それが攻撃されるようなことがあったり、否定されるようなことがあれば、怒りをもって全力で闘おうとするでしょう。
「実家の片づけ問題」の原因は“執着”にあり
年老いた両親の住む家は放っておけば、ゴミ屋敷とまではいかなくても、いつの間にか物で溢れます。それを片付けようとして、親と大喧嘩になるのが、よくある「実家の片付け問題」です。「実家の片付けほど大変なものはない」と言う人もいうくらいの問題です。
実家の片付けの時に喧嘩の種になるセリフが、「どうして勝手に捨てるの」です。片付けに行ったこちらからすれば、明らかにゴミと思えるようなものでも、親にとってはとても愛着のあるものだったりします。それはすでに使えなくなっているし、実用的な価値が見つけられなくても自分が楽しかった頃、苦しかった頃の人生をともに経験をしたということで愛着を感じています。それを捨てることには非常に大きな抵抗を感じるのです。
50歳になる子供の工作をとっておく親
50歳にもなる子供の幼稚園の頃の工作も実家には残っています。片付けをしていれば、一瞬は手を止めて懐かしさにひたることもあります。もしかすると本人にはその頃の記憶はないかもしれません。ほとんど壊れているその工作は確かに思い出の品ではありますが、とっておく程のものではないと思えます。でも、親からしてみれば、自分の子供が可愛くて仕方がなかった頃、一生懸命つくって家に持って帰ってきた頃のことを覚えています。
高齢者になると少し前のことは忘れても、昔のことはよく覚えているということがよくあります。
何かに執着することが悪いこととは思いません。執着があるからこそ、それを守るために生きる活力が生まれることもよくあります。ただし、行き過ぎた執着は無駄な怒りを生むことになり、その怒りによって余計な問題を起こしてしまうことを忘れないようにしたいものです。
高齢者が怒りっぽくなる個人的な理由②“孤独感”
次に「孤独感」です。孤独も高齢者を怒らせるものとして大きな理由です。
自分が孤独であることを好んでいる人は問題ないのですが、望んでいないのに孤独だと感じている人は怒りについて問題を抱えることになります。
孤独感は家族がいても、友人がいても、職場があっても関係ありません。たった一人でいても孤独感を感じないどころか、それを楽しい、居心地が良いと感じる人もいます。逆に周りに人が多くいればいるほど、孤独を感じることもあります。孤独とはその場にいて自分の居場所がないと感じることです。
なぜ孤独感がマイナス感情になるのかと言えば、次にあげる「自己顕示欲」にも関係してくるのですが、人は常に大なり小なり誰かに認められたいと思っています。人に認められることで自分の存在価値を確認しています。
孤独感の強い人は、誰かに認めて欲しい、受け入れて欲しいと思っているので、自分が認めてもらうために余計なことをしてしまうことがあります。
自粛警察は孤独を紛らわせる手段
孤独感の強い人にとって一番怖いのは無視されることです。無視されれば、より孤独感は強くなります。だから、いろいろなことに関わろうとします。ただ、誰しも負け戦はしたくないので、自分が正しい、反論をされないと思えるチャンスを探しています。
安藤 俊介『怒れる老人 あなたにもある老害因子』(産業編集センター)
コロナ禍になり登場した「○○警察」と呼ばれるような人達は、正義というわかりやすい大義名分の下に自分の孤独を紛らわせる手段として、誰かを攻撃しているように見えてなりません。
例えば自粛警察であれば、本当に自粛していないことが許せないのではなく、都合よく攻撃できる対象であれば誰でもいいのです。なので、次から次へと違う○○警察が生まれ、常に怒りをぶつける誰かを探し続けていくのです。
孤独感に対する一番の特効薬は「自分で自分のことを認められるようになること」です。
今の自分はこのままでOKと自然と思えれば、特に誰かから認めてもらえなくても、承認をしてもらえなくても問題とは思いません。
自分の評価は自分でする
ところが私達は自分で自分のことを評価することに慣れていません。物心ついた頃から誰かに評価してもらうことに慣れています。親から、先生から褒めてもらうことで自分が正しいということを実感してきました。会社に入れば、上司からの評価で自分がやっていることが正しいのかどうかを確認しています。
世間にはいろいろな物差しがあり、いつもそれらの物差しと比べて今の自分がどうであるかと比較をしています。学歴、年収、会社、友達の数、家族、住んでいる場所、持っている物等々、今のあなたであれば、これくらいのものを持っているのが普通ですよという物差しが社会のどこかにあって、何となくそういうものだと思っているので、その物差しにあった行動をしようとします。ところがそうした物差しを全て満たすことなど到底できるはずもありません。けれど世の中の物差しを意識すればするほど、評価に満たないことがわかり、自分は認められていないと孤独感を強めてしまうのです。
高齢者が怒りっぽくなる個人的な理由③“自己顕示欲”
そして「自己顕示欲」です。自己顕示欲は承認欲求の一つとして考えられています。自己顕示欲に明確な定義はありませんが、あえて定義するなら「自分のことを認めて欲しいがあまり、周りに対して、やや過剰とも思える自己主張をすること」です。
さらには自己主張するだけでなく「何かしらの行動を起こし、その見返りを欲しがること」です。
先程の「孤独感」とこの「自己顕示欲」はコインの裏表のような関係です。孤独感が強いから自己顕示欲により誰かに受け入れて欲しいと行動するとも言えますし、自己顕示欲が強いから周りから煙たがられ孤独感を強めているとも言えます。
孤独感の強い人にとって無視はとても怖いことと書きましたが、自己顕示欲の強い人にとっても怖いのは無関心の対象になることです。自分に関心を持って欲しいがために、必要のないことにまで首をつっこんだり、口出ししたりします。
誰でも誰かの役に立ちたいと思っていますし、いつまでも自分が必要な人でいたいと願っています。
“定年退職”や“免許返納” 社会的役割を失う恐怖
一般的に言えば、歳をとっていけば、それまで担っていた社会的な役割から外れることが多くなります。
会社の中にいれば役職定年があります。もう少し歳をとれば定年がやってきます。今は定年までいられるかもわからず、50歳ともなれば早期退職の対象になることも珍しくはありません。
今まで自分こそは会社の中で役に立つ存在、社会的にも認められる存在と思っていたところに厳しい現実を突きつけられます。
今はかなりの年齢まで肉体的には元気でいられるので、これまでと何ら変わらない働きができるはずなのに、役割を外されることに憤りを感じます。まだまだ若い世代には負けないという自負もありますし、その自分を役割から外すという仕組みに怒りを感じます。
社会的な役割を失うことへの怒りは高齢者の免許返納問題にも見ることができます。近年、高齢者による自動車事故が社会問題化していることもあり、免許の自主返納について警察庁はじめ啓発活動を行っていますが、なかなかそう簡単にはいきません。家族も高齢の親を説得し、なんとか免許の返納を促そうとしますが頑として譲りません。
免許を自主返納することで公的身分証明書として使える運転経歴証明書を交付してもらう制度やメリットなどを訴えますが、そうしたメリットでは補えないものがあります。
公共交通機関の発達していない田舎であれば物理的に難しいという理由もありますが、それ以上に社会的な立場を失うことへの疎外感、抵抗感の方が圧倒的に強いと言えるでしょう。
「自分の時代はこうだった」がいまだに根付いている
人は社会的な存在でありたいし、また自分が人生で得た知見を生かして誰かの役に立ちたいと思っています。
ところが今、若い世代に昔の話をしても、時代遅れの自慢話、時代が違ったから通用したやり方、時代錯誤の根性論と思われることが多く、どうかすれば老害扱いです。
動物は基本的には生殖機能がなくなれば寿命が尽きます。
ところが人間は、男性も女性も生殖機能を終えてからも長生きをします。これは歳を重ねることで得られる知見を年下に伝えたり、子育てに参加することで、より子孫を繁栄させやすくするためという説があります。
三世代同居が当たり前の時代であれば、おじいちゃん、おばあちゃんの役割は家族の中ではとても大切でした。ところが核家族化が進み、子育て情報などが充実してくると、親に子育てを頼らなくなります。
自己顕示欲が強く変化に疎い人は要注意
むしろ、昔ながらの子育ての間違いに気づいたり、時代遅れと一蹴する風潮さえもあります。となると、昔の子育て話をしても疎ましく思われるだけです。
自分達が作り上げてきた経験、知見を伝えたくても、伝えるチャンスに恵まれません。
自分が若かった頃は先輩を大事にし、アドバイスを聞いてきたのに、自分がいざその立場になったら、お払い箱のように扱われる始末です。
そこで「自分には自分の人生がある。マイペースでいこう」と思える人もいれば、認められない悔しさから、より認めて欲しいと行動に移す人もいます。
そうした人は自己顕示欲の強い人ですから、認められない、受け入れられないことで人と揉めることがあるのは想像に難くありません。
自己顕示欲の強い人にとって、自分の存在が小さくなることは許せず、怒りを持つ大きな理由になるのです。
安藤 俊介(あんどう・しゅんすけ)
日本アンガーマネジメント協会代表理事
アンガーマネジメントコンサルタント。怒りの感情と上手に付き合うための心理トレーニング「アンガーマネジメント」の日本の第一人者。


自分にマッサージをしてくれる父親に、お菓子を作ってあげる娘。父娘の密着ぶりに母親の心の中は……

2021-07-14 13:30:00 | 日記

下記の記事はヨミドクターオンラインからの借用(コピー)です

濃密すぎる父娘の関係
 ある日の診察で、父親がA子さんの家での様子を次のように話しました。
 A子さんは、時々、父親にアイスクリームやゼリーを手作りしているそうです。そして、それはマッサージをしてもらっていることへの「お礼」だというのです。
 以前に父親がマッサージをしてあげたら、A子さんは非常に喜んだそうで、以降、いつもそれを楽しみにしており、逆にA子さんが父親にマッサージをしてあげることもあるそうです。お互いをマッサージし合うというのは、中学生の女の子と父親の関係としては、あまりにも濃密な行動です。
 しかし、母親はそこではない部分を懸念していたようです。
 父親が「A子は料理が得意だから、私のためにお菓子を作ってくれている」と言ったときには、たまりかねたように母親が口を開きました。
 「私は料理があまりうまくなくて。A子は時々、私の代わりに夕飯を作りたいと言うんです。夫もA子の気持ちを大切にしてあげたいというのですが……」と表情を曇らせました。さらに、こうも付け加えました。
 「娘が料理をするときには、娘と夫が2人で買い物に行くんです」
 本来は「母親である自分の仕事」と考えている夕食づくりを娘がやることや、買い物までも娘と一緒に出かける自分の夫と娘の密着ぶりへの疑問や不満が伝わってきました。
 しかし、心の中の疑問や不満については、直接、父親には伝えていないことがわかりました。
 父親と娘は、夜中に2人でウォーキングに出ることもあるそうで、「まだA子は中学生なので、夜は早く寝かせたほうがいいと思っているんですが、それを止めるわけにもいかず……」と口ごもりながら言いました。
女性としての成熟に自らストップを
 表面上、母親とA子さんの関係は決して悪くはなく、けんかやもめごともありません。ただし、母親の側は夫だけではなく、娘に対しても心中に強い違和感を抱えているようなのです。父親は、それにまったく気づいていないようでした。
 A子さん本人はどうでしょうか。
 敬愛し、尊敬する父親からは、自分の姉、それに母親以上に愛情を受けているとの自覚があるのは間違いありません。お互いへのマッサージ、早朝テニスや深夜のウォーキングなど、父親離れが始まる中学生の女の子としては考えられないほど、A子さんと父親の関係は濃密なものです。姉が留学した後は、その傾向にさらに拍車がかかっています。
 とはいえ、いつまでもそんな自分をめぐる環境に、葛藤なく居続けることができるでしょうか? 児童期とは異なり、思春期はさまざまな理由から、不安が高まりやすい、難しい時期なのです。
 ピーター・ブロスは、児童期と成人期の橋渡しである思春期青年期の精神発達の理解に貢献した精神分析家です。思春期を初期思春期(中学生前後)、中期思春期(高校生前後)、後期思春期(大学生前後)に分類しました。とくに、中期思春期は、心の問題が起こりやすい時期です。
 精神分析の専門用語で「エディプス葛藤」と呼ばれますが、幼児期には異性の親への愛着、それと同時に同性の親への嫉妬や敵意が芽生えます。この感情は、小学校に入る頃にはいったんは影を潜めますが、中期思春期に再燃し、それが子どもの不安を高めやすいという精神分析的発達論の考え方があります。
 小学生の時代には、父親との関係はA子さんにとって問題になっていませんでした。しかし、思春期を迎えてエディプス葛藤が再燃したA子さんが、母親よりも自分のほうが父親と近しい関係にあることで、母親への潜在的な恐怖感を抱くようになったと考えることができるのです。
 同様に、自分が女性として成熟していく不安が、A子さんにとって「食事への恐怖感」として表れたと考えることもできました。
父親との関係が母親に対する恐怖に
 これらのことを伝えると、A子さんの両親もすんなりと理解してくれました。2人とも、内心思うところがあったのかもしれません。
 私の勧めに従って、以降、父親がA子さんにお菓子や夕食を作らせることはなくなりました。もちろん、マッサージや夜の散歩もやめました。学校の勉強では、過剰に父親が介入せずに、自分で計画して勉強する習慣をつけるように促しました。
 家庭内において、父親、母親、そして子どもの位置づけや役割、それに親離れの行動などは「本来あるべきもの」に修正されていきました。
 しばらくして、A子さんの姉が留学から帰国すると、家族の関係は、さらにA子さんの発達を妨げない健康なものへと改善していきました。
 それと共に、A子さんが抱えていた「食べることが怖い」という症状は、徐々に治まっていきました。
 当初から、体調に変化を与えるほどではなかったため、かかりつけ医からも医学的な病名での診断はありませんでした。A子さんの両親がクリニックに来た理由も、「問題はなさそうだが、念のため」だったのです。
 とはいえ、A子さんの内面には、思春期ならではの葛藤が存在し、それが「食べることが怖い」という症状で顕在化していたわけです。
 特に中期思春期は発達が滞りやすく、難しい時期です。身体的にも子どもから大人の体へと大きく変化し、それを受け入れていかなければなりません。この時期に不安が本人の許容量を超えて高まると、さまざまな心の問題が生じてきます。子ども自身一人では対処しきれない、もしくは、親として子どもを発達方向に導くのが難しいと感じたら、症状や病名にかかわらず、専門医へのご相談をお勧めします。(関谷秀子 精神科医)


「眞子を守れていない…」小室圭さん問題でご心痛の紀子さまから漏れ出た自責の肉声

2021-07-14 11:00:00 | 日記

下記は週間女性プライオンラインからの借用(コピー)です

「考えすぎなのでしょうか……。紀子さまは近ごろ、以前にも増して顔色は悪く、思いつめられているようなお姿が多く見受けられます。
 今は、各界の専門家から新型コロナの状況をオンラインでお聞きになっていますが、無理やり笑顔をつくっていらっしゃるようにも見えて、痛々しいというか……」
 そう紀子さまの近況を明かしてくれたのは、秋篠宮家関係者のひとり。
「先日の『母子手帳国際ウェビナー』へのご出席が“異変”のきっかけになったのかもしれません」(同・前)
 5月末、紀子さまは妊娠中の女性への支援をテーマにしたウェブセミナーに、オンラインでご出席。
 日本発で世界中でも使用されている母子手帳を、紀子さまも妊娠中に活用されていた。
「'18年にタイで開かれた『母子手帳国際会議』に出席された紀子さまは、日本から持参した眞子さまのときの母子手帳を取り出し“母子手帳は日本の多くの母親を助けてきました。私もその1人です”と、スピーチされていたのが印象的でした」(皇室担当記者)
12歳の眞子さまと8歳の佳子さまを連れて赤坂御苑をご散策('03年11月)
 このスピーチでは「私はいつも健診に母子手帳を持っていき、それに医師や看護師が記入していました。家では、成長の記録を自分で記入しながら、子どもたちの発達をたどることができました。母子手帳は私たちの家族にとって、とても大事なものです」とも述べられている。
 実際、眞子さまを妊娠中の紀子さまは母子手帳と向き合い、お腹の子に思いを馳せられていたという。
「妊娠中はつわりでつらいことも多いようでしたが、いっさい弱音は吐かれなかった。むしろ“今、とても貴重な体験をしています”と、笑顔で前向きにご出産を楽しみにされていたことを覚えています」(宮内庁OB)
“お子さまのお名前をどうするか”という点にも、とてもこだわっておられたとい
「紀子さまが妊娠されていたころ、ご夫妻での散歩中や食事の際は、いつもお名前の話題になっていましたね。
 最終的に“自然のまま、飾ることのない人生を歩むように”との願いを込められ、『眞子』と名づけられました。
 おふたりは名前の音にもこだわっており、『眞子』は“まさこ”とも読めますが、紀子さまにならって“まこ”と読むことにされたと当時お聞きしました」(同・前)
'91年12月、生後2か月の眞子さまを秋篠宮さまと紀子さまは幸せそうに見つめられて
【写真】ご結婚直後の'90年8月、秋篠宮様と楽しそうにテニスをする紀子さま
 ご自身の名前にちなんで名づけた眞子さまを愛情深く、礼儀正しく育ててこられた。
眞子さまの結婚も素直に幸せを願われていたが……
「まだ眞子さまが小学校高学年のころ、ご一家で私的旅行に行かれたときのことです。
 宿泊先の旅館で食事する際、従業員がご飯をよそおうとしたところ、眞子さまは“私がやります”とご家族分のご飯をよそわれたのです。普段もご家庭で手伝われていたから、自然とそうされたのでしょう。
 その旅行で訪れたお宅でも、眞子さまはお行儀よくずっと正座。おやつにスイカが出されたところ、紀子さまを見て“食べてもいいですか”といった表情を。お母さまが頷かれるのを見て、眞子さまは“いただきます”と言ってからスイカを召し上がられていました」(宮内庁関係者)
 眞子さまは、次女の佳子さまよりも厳しく育ててこられたといわれるが、その分、お母さまからの信頼は厚かった。
 '13年ごろに小室圭さんを紹介された際も、紀子さまはお相手を疑わず、素直に幸せを願われていたという。
 しかし、'17年末に発覚した小室家の金銭トラブルによって婚約は延期に……。
7月末にニューヨーク州の司法試験を控える小室さんと、金銭問題をまだ解決させていない佳代さん
「小室さん親子を宮邸に呼び、金銭問題の経緯などを問うも、“借金ではない”と繰り返すばかり。紀子さまは“借金自体が悪いのではなく、お金を工面してくれた相手に対する誠意が欠けている”ことで、小室さん親子に対する不信感を募らせていたのです。家同士の問題である婚約など、到底考えられないといったご様子でした」(皇嗣職関係者)
 小室家とは縁がなかった─。そうお考えになったのか、小室さんがアメリカ留学に旅立つ直前、紀子さまは“策”に打って出た。
「小室さんの留学先である『フォーダム大学』のHPに掲載された記事に“眞子さまの婚約者”と表記されたところ、宮内庁が大学側に“フィアンセではない”と通達しました。実は、このことを指示したのは紀子さまだったそう。
 妃殿下は当初、おふたりが日米の遠距離恋愛となるため、自然消滅を狙われていたようです。だからこそ、“小室さんはあくまで婚約内定者で、結婚すると決まったわけではない”と主張されたかったのだと思います」(同・前)
「フラワーギフト」を母娘で手づくり
 小室家の問題による国民からの批判がやまない中、紀子さまは眞子さまとの“意思疎通”を図られていたそうだ。
「『全日本ろうあ連盟』が配信した映画や、若手芸術家を支援するチャリティーコンサートを一緒に視聴され、週末には畑の草とりや野菜の収穫をご一緒になさっていました。
 コロナ禍では、医療団体におふたりで手づくりしたフラワーアレンジメントを贈られていました。そういった中で、結婚問題も含めた眞子さまとの“対話”を大切にされていたようです」(前出・宮内庁関係者)
'16年5月、悠仁さまが参加された運動会の応援に。紀子さまは今も変わらず眞子さまをご心配されているという
【写真】ご結婚直後の'90年8月、秋篠宮様と楽しそうにテニスをする紀子さま
 しかし、眞子さまのご意志は想像以上に固く、昨秋あたりから“結婚容認”のスタンスに傾かれてしまったという。
「昨年9月のお誕生日に公表された紀子さまの文書には“長女の気持ちをできる限り尊重したい”と綴られ、今はそのおことばどおりのスタンスです。とはいえ、眞子さまが小室さんと結婚した場合、これまで以上の誹謗中傷を受け、場合によっては身に危険が及ぶ可能性すらあります。母親として、非常に心を痛められているのです」(同・前)
 母としての苦悩を抱える中、冒頭のセミナーで母子手帳を手にしたことで、胸にしまわれていた“自責の念”がついこぼれてしまった─。
「セミナーに寄せるおことばを練られていたころだと思います。ごく近い関係者に“娘を守れていませんね……”と、漏らされたのです。
 いつも気丈に振る舞っておられる紀子さまが、弱音を吐かれるとは大変驚きました。多くの国民から祝福を受けて眞子さまが結婚することは、もう不可能だからでしょう。
 紀子さまは、大切に育ててきた眞子さまを幸せに送り出すことができず、その責任を強く感じていらっしゃるのです」(前出・皇嗣職関係者)
 30年前、母子手帳に込めた眞子さまへの気持ちを思い出した母のご心境は─。


緑茶をたくさん飲む習慣 脳卒中後の死亡リスク減少に関係

2021-07-14 08:30:00 | 日記

下記の記事は日経グッディオンラインからの借用(コピー)です   記事はテキストに変換していますから画像は出ません

緑茶とコーヒーの摂取量と死亡の関係を日本人のデータで分析
 緑茶はアジアで広く飲まれており、脳卒中や心筋梗塞などの心血管疾患を含む、慢性疾患を予防する効果を検討する研究が数多く行われてきました。世界中で飲まれているコーヒーについても、さまざまな健康利益と関連づける研究結果が相次いで報告されています。
 これまでに行われた研究では、例えば、1日に3~5杯の緑茶を飲む日本人は、緑茶を飲まない日本人に比べて心血管疾患のリスクが41%低い、という報告がありました。また、コーヒーについても、適度な摂取は死亡リスクの低下などに関係することが示唆されていました。
 今回、大阪大学公衆衛生学教室の寺本将行氏らは、既に脳卒中や心筋梗塞を経験した日本人の死亡リスクに、緑茶とコーヒーの摂取がどのように関係しているのかを調べました。
 分析に用いたのは、日本人の生活習慣とがんとの関連を明らかにするために、1988~1990年に全国で開始された大規模研究「Japan Collaborative Cohort Study」に参加した人たちのデータです。今回は、参加時点で40歳から79歳だった人の中から、必要な情報がそろっていた4万6213人(脳卒中経験者478人、心筋梗塞経験者1214人、どちらも未経験の4万4521人)を分析対象にしました。
 それらの対象者が研究に参加する時点で申告した、生活習慣、食事の内容、病歴などの情報を抽出し、2009年までの死亡の有無を確認しました。
 緑茶の摂取頻度については、「1日に7杯以上」「1日に5~6杯」「1日に3~4杯」「1日に1~2杯」「1週間に1~6杯」「ときどき飲む、または飲まない」の6段階に分類しました。コーヒーの摂取頻度については、「1日に2杯以上」「1日に1杯」「週に1~6杯」「ときどき飲む、または飲まない」の4段階に分類しました。日本ではカフェインレスコーヒーは一般的ではないため、摂取するコーヒーの種類が、カフェイン入りか否かは調べませんでした。
緑茶の摂取量が多くなるほど死亡リスクが低下する傾向
 中央値18.5年間の追跡で、9253人が死亡していました。対象となった人々の緑茶の摂取頻度と死亡の関係を、年齢、性別、コーヒーの摂取頻度、高血圧の有無、糖尿病の有無、BMI(体格指数)、喫煙習慣、飲酒習慣、運動習慣、精神的なストレスの有無、学歴、雇用状態、食習慣(野菜、魚、果物、大豆の摂取)などの要因を考慮して分析したところ、脳卒中経験者と心筋梗塞経験者では、緑茶の摂取量が多くなるほど死亡リスクが低くなる傾向が見られました(表1)。
 1日7杯以上の場合、脳卒中経験者では死亡リスクが62%減少、心筋梗塞経験者では死亡リスクが53%減少していました。死亡リスクの低下は主に、心血管疾患による死亡の減少によるものでした。一方で、脳卒中または心筋梗塞の経験のない人たちでは、緑茶の摂取と死亡リスクの間に統計学的に有意な関係は見られませんでした。
次に、コーヒーの摂取と死亡の関係についても同様に検討しました(表2)。年齢、性別、緑茶の摂取頻度、高血圧の有無、糖尿病の有無、BMI、喫煙習慣、飲酒習慣、運動習慣、精神的なストレスの有無、学歴、雇用状態、食習慣(野菜、魚、果物、大豆の摂取)などの要因を考慮して分析したところ、脳卒中または心筋梗塞の経験のない人々において、コーヒーの摂取量が多いほど死亡リスクが低くなる傾向が見られました。心筋梗塞の経験者にも同様の関係が認められました。死亡リスクの低下は主に、心血管疾患による死亡の減少に起因していました。しかし、脳卒中の経験者では、コーヒーの摂取と死亡の間に有意な関係は見られませんでした。
表2 コーヒーの摂取と死亡リスクの関係
 著者らによると、脳卒中経験者における緑茶の摂取と死亡の関係を示した研究は、これが初めてだそうです。今回の分析結果は、脳卒中、心筋梗塞という病気を経験した後の患者の健康に、緑茶が利益をもたらす可能性を示しました。
 一方で、コーヒーの摂取は、それらの経験がない人と、心筋梗塞経験者に有益である可能性が示されました。研究者たちは、「緑茶とコーヒーの摂取と死亡リスクの低下の間にあるメカニズムについて、さらに研究を行う必要がある」との考えを示しています。
 論文は、Stroke誌2021年2月4日号に掲載されています(*1)。
*1 Teramoto M, et al. Stroke. 2021;52:957–965.
大西淳子(おおにしじゅんこ)
医学ジャーナリスト
筑波大学(第二学群・生物学類・医生物学専攻)卒、同大学大学院博士課程(生物科学研究科・生物物理化学専攻)修了。理学博士。