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「耄碌する義父母、のたうつ夫」4年で3人を天国に送った長男の嫁が見た"地獄の沙汰"

2021-06-30 15:30:00 | 日記

下記はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

関東生まれ関東育ちの既婚女性(当時50代)は、夫の定年後に、夫の実家がある東北の田舎へ義両親と同居するために引っ越した。認知症の始まった義父と、尿意を感じなくなった義母を世話して約3年後、夫が腰に激痛を訴え始め、歩くこともままならないほどに。自身も若い頃からメニエール病を患い、高齢の義父・義母に加え、夫の世話まで背負い込んだ女性を待ち受けていた地獄とは――。
関東の都市部に生まれ育った知多清美さん(仮名・60代・既婚)の夫は、東北出身。若い頃から言っていた「定年退職したら田舎に戻る」を有言実行し、夫婦で引っ越す。だが、認知症の義父は90歳近くでも車の運転をやめず、尿意を感じなくなった義母は尿を垂れ流す。女性は持病のメニエール病に悩まされながらも、義両親の世話に奮闘。そんな時、夫の腰痛が悪化し、歩くのもままならないほどに。さまざまな検査を受けると……。
夫の腰椎は砕けて空洞状態「多発性骨髄腫」という血液がんだった
2016年、認知症の始まった義父(93歳)は家の中で転倒し、右大腿骨頚部骨折をして以来、体調が悪化し、介護老人保健施設に入ることになった。翌年1月、施設内でインフルエンザが大流行。義父も感染し、その後、肺炎に。何日も熱が下がらず、一時は生死の境をさまよったが、2週間ほどで熱は下がる。しかし食べ物も飲み物も、口からは受け付けなくなっていた。
2月に入るとようやく義父は口からの食事を再開。1日3食食べられるまでに回復し、知多さんたちは義父の生命力に驚かされた。
一方、夫の腰は深刻だった。さまざまな検査の結果を踏まえ、整形外科の医師から、圧迫骨折、脊柱管狭窄症、骨粗鬆症と診断されるが、「悪い病気の可能性がある」ことから、さらに詳しく検査をしていくことに。
夫の腰椎の一部はバラバラに砕け、空洞状態になっていた。
「夫は学生時代からずっとスポーツをしていて、がっしり体型で体力だけには自信があった人。畑仕事をするようになってから徐々に体重が減ってきていましたが、そんな人の骨とはとても思えませんでした」
血液検査、大腸の内視鏡検査などを経て、夫は総合病院に転院。
主治医となった医師は、知多さん夫婦に「多発性骨髄腫」と告げた。「多発性骨髄腫」とは、病気が進行すると骨の破壊による痛みや骨折、腎障害、また造血が妨げられることによる貧血、感染症など、さまざまな症状や臓器障害が現れるようになる“血液のがん”だった。
ベッドでのたうつ夫「殺される」「夫は気が狂ってしまう?」
知多さんの夫は、毎年健康診断を受け、がん検診も受診していたという。
一般的な鎮痛薬は効かないため、医療用麻薬が処方された。
2017年2月。夫は病気の進行と腰の痛みを抑えるために入院。偶然にもこの日は夫の67歳の誕生日だった。
入院してからも夫は、激痛のために一日中ベッドの上でのたうちまわっていた。そんな夫の姿を前に、知多さんは背中をさすることしかできない。気がつくと面会時間をとうに過ぎていたが、それでもさすり続けた。
薬や点滴が効かず、夫は「このままだと殺される」「他の病院に変わろう」などと口にし、知多さんも、「痛みのせいで夫は気が狂ってしまうのではないか?」という不安に駆られた。
そして約半月後、背中に直接薬を注入する治療を開始。すると、30分もしないうちに、夫は苦痛に歪んだ表情から、痛みから解放された穏やかな表情に変わっていく。知多さんはほっと胸をなでおろした。
夫のがん闘病を支えつつ、90歳超の義父母の介護も……
義母は、義父と同じ老健のショートステイの利用を開始した。薬の関係で車の運転をとめられている夫に代わり、知多さんが夫の通院の送迎をするため、家に義母1人置いておけなくなったからだ。
「当時は夫に代わって私が畑仕事もしていました。その上、夫と義母2人のことを気にするのは、私にはとても無理でした」
義母は、「この歳で泊りになんか行きたかない!」「一人で家に居る!」などと言って拒否したが、知多さんは無視して、着替えなどをカバンに詰めた。
そして2017年3月。義父が死亡。94歳だった。
朝4時ごろに老健から電話があり、知多さんと義弟たちが駆けつけたが、すでに義父は息を引き取っていた。
しかし老健のスタッフが気を利かせ、義父の状態が悪くなったときに、すぐに同じ老健のショートを利用していた義母に声をかけてくれたため、義父の最期は義母が看取ることができた。
義父の葬儀は、入院中の知多さんの夫に代わり、義弟たちが進めてくれた。
「うちで引き取る気はないから、老健に入所させよう」
3月後半に入り、夫の退院が決定。
夫が退院して帰ってくるとなると、知多さんは夫にかかりきりになる。そこで義母のことを義弟たちに相談したところ、「うちで引き取る気はないから、老健に入所させよう」ということになった。
義母が老健に入所する日、上の義弟が車で送ってくれるというので、知多さんは任せることにした。
義母は、「いつまで老健にいる?」「迎えには誰が来てくれる?」などと何度も訊いてくる。知多さんは、「ずっと居るんですよ」と言いたいのをこらえ、代わりに「夫の具合がよくないので長くなると思いますよ。みんな『面会に行く』って言ってましたよ」とやさしく返事。
車が出発すると、知多さんは肩の荷が少し軽くなったように感じた。
その後、義母が借りていた介護用ベッドを返却し、代わりに退院して帰ってくる夫用の介護ベッドを搬入。退院の日は知多さんの娘がサポートしてくれた。
4月。夫の傷んだ腰椎を守るために、チタンを入れる手術をした。再び入院する際は、義妹の夫や下の義弟の妻が協力してくれた。
術後2日目。夫は薬の副作用で排尿障害があり、最初の入院から尿道にカテーテルを入れて排尿をしていたが、それが外され、昨日は尿瓶を使っての排尿ができたとのこと。
術後3日目。夫は薬の副作用でひどい便秘になり、最初の入院からずっと下剤や浣腸を使ってオムツに排便していたが、車椅子を使って廊下を移動するリハビリを行い、ポータブルトイレに自力で移動・排便することができた。
この頃、夫の介護認定調査をすると、要介護4だった。日常生活のほとんどに介助を必要とする重度の介護を要する状態だ。ただ、調査を受けたときはほぼ寝たきりだったためにその結果になったが、幸い夫は徐々に回復した。
5月。夫の退院が決まる。前回の退院時はストレッチャーに乗ったまま、介護タクシーを使っての帰宅だったが、今回夫は知多さんの車から降りると、杖をついて自分で歩いて帰宅した。
妻の持病はメニエール、ある日入浴後に天井が回り始め……
退院後も、夫は週に1~2度は通院が必要だった。
6月。知多さんは耳鳴りが始まったので、薬をのみ、早めに就寝。翌朝はいつも通り起床できたが、夕方からまた不調に。夕食後あたりからめまいが始まり、様子を見ながら入浴したものの、入浴後に天井が回り始め、再び薬を飲みすぐに布団へ。
「私がメニエールのときの対処法は、夫は長い付き合いなのでよくわかっていて、不自由な身体で頑張って濡れタオルやティッシュペーパー、ペットボトルに水、嘔吐用に洗面器などを持ってきてくれました」
7月になると、夫は熱が上がったり下がったりを繰り返し、4日目に救急外来を受診。血液検査の結果、「CRP(炎症反応)」の値が高くなっていた。
「入院しますか?」と医師に聞かれ、「今日は帰ります」と夫。数日後に義父の初盆法要があるため、「お願いします」とは言えなかったのだ。
「腰が痛くてどうしようもない」「寒い」……夫が重篤な状態に
数日後、何とか無事に初盆法要を終え、7月末の深夜1時過ぎ。知多さんが眠っていると、夫が声をかけた。
「腰が痛くてどうしようもない」
とりあえず市販の鎮痛剤を服用させるが、「寒い」と言ってブルブル震え始める。通院中の病院に知多さんが電話すると、救急車を呼ぶよう指示される。
病院に到着後、尿検査や血液検査などを行った結果、痛みの原因は「石」だと言われ、夫はそのまま入院。翌朝、夫の入院準備をして知多さんが病院へ行くと、夫の熱は40度に上がっていた。
朝、出勤してきた専門医が詳しく診察したところ、夫は「腎盂腎炎」と診断される。
病の再発ではないと聞き、知多さんも夫も安堵したが、「腎盂腎炎」も侮れない。40度の熱が3日ほど続き、熱が下がっても夫は、しばらくベッドから起き上がれなかった。
主治医の話によると、もっとも状態の良くなかっときの夫は、腎盂腎炎から敗血症を発症し、大変重篤な状態だったようだ。
8月、夫は退院したが、その後も夫はたびたび尿路結石と腎盂腎炎による熱発を繰り返した。
ひとり娘が出産のために里帰り、またメニエールでダウン
2017年11月初旬、関東に住むひとり娘が出産のため里帰りした。
看護師だった娘は、数年前に流産を経験して以降、不妊治療に挑んでいたが、父親の多発性骨髄腫が発覚してからは、「早く孫の顔を見せてあげたい」と思い、不妊治療に専念するために退職。3月には妊娠していることがわかった。
11月半ばの妊婦検診では、「子宮口の開きは1センチ、分娩はまだ先でしょう」と言われたが、翌日の夜、娘が「胎動とは違う痛みがある」と言い、痛みの回数や時間をチェック。数時間チェックしていると、3~4分間隔で痛みが襲ってきているという。
22時ごろ、知多さんは娘の不安を解消するため、車で病院へ向かう。産科でいろいろと調べてもらったが、異常なしということで帰路につく。しかし0時半を過ぎた頃、娘は再び痛みに顔を歪め始める。
「その痛がりようは陣痛じゃない? 朝になったらもっと痛くなるよ。病院行く?」
と知多さんが言うと、「お母さんの車だと不安」と答え、娘は夫に連絡する。そうしているうちに娘は破水。悩んだ末に知多さんが119番をすると、駆け付けた救急隊員は、「破水したときは迷わず呼んでください。救急車の中で出産された方もいらっしゃいます」と言ってくれた。
病院到着から3時間半後、娘は無事男の子を出産。明け方には娘の夫が合流した。娘が退院する日、知多さんはまたメニエールでダウン。慌ただしい日々で体が悲鳴を上げたため、じっくり静養することにした。
夫は初孫にメロメロ。四六時中抱っこを続け、12月末に娘たちが関東へ帰ってしまうと、とても寂しそうだった。
心室細動で電気ショック20回、主治医「覚悟しておいてください」
2018年3月初旬。夫は多発性骨髄腫治療の新薬を使った治療のために入院。もう何度目の入院か知多さんさえわからなくなっていた。
入院3日目の夕方に知多さんが面会に来ると、夫は突然目をむいてベッドに倒れこんだ。慌てて知多さんがナースコールをすると、看護師が数人駆けつける。
看護師からは、「大丈夫ですか?」「どなたか連絡する方がいらっしゃったら今のうちに……」などと言われ、知多さんは病室の外へ。中からは、「このままだと呼吸がとまっちゃうよ!」という叫び声が聞こえてくる。
夫はICUに移されたが、その後も不整脈(心室細動)を繰り返し、電気ショックを20回以上受け、主治医からは「覚悟しておいてください」と話があった。
夫は6日眠り続け、目覚めた。知多さんから連絡を受けた娘や義弟たちは、ほっと胸をなでおろす。
ICUに入って17日目、夫は一般病棟へ。
「もしかしたら、この世から消えていた可能性もあった命。神様が与えてくれたこれからの日々、大切に過ごさないとね」。
知多さん夫婦はこんなことを話し合った。
2018年4月、夫は無事退院。
「俺ももう、永くないかもしれないなぁ」
5月に知多さん夫婦は結婚40年を迎えた。6月には、夫のがん治療の合間を縫って、夫の友人夫妻たちと1泊2日の小旅行へ出かけた。
12月末、何クール目かの抗がん剤治療が始まり、夫は入院。知多さんが面会に行くと、夫はやはりしんどそうにしている。
食欲は落ち、血圧も低い。そのせいか夫は、「俺ももう、永くないかもしれないなぁ」とぽつり。発病以来、何度も入退院を繰り返してきたが、いつも「大丈夫だよ」と言って笑っていた夫。こんな気弱な言葉は一度も発したことがなかった。
「何言ってるの? 今身体がだるいのは薬の副作用。あと1日2日はしんどいと思うけど、きっと大丈夫!」
知多さんは笑いとばした。
2019年1月、夫は歩くリハビリを開始。そして中旬には無事退院が決まった。
夫と2人で老健施設にいる義母に久しぶりに会いに行くと、「畑仕事はもうできないよ」とずいぶん前から言っているのに、「今は何を作ってる?」「家で食べる分くらい作らんとね」などと言う。
そして「そろそろ家に帰ろうかやぁ」と言う義母に、「俺がこんな調子だからなぁ……」と夫は言葉を濁す。
「家に帰っても手はかからんよ。自分のことは自分でするし、どっこも悪いところはない」
と義母は言った。
2020年11月義母(94)、2021年3月夫(71)が亡くなった
2020年11月。義母は何度目かの尻もちをつき、その後、発熱。12月には血圧が低下し、翌年1月に永眠。94歳だった。
義母の通夜・葬儀は、腰の痛みで動けない夫の代わりに、義弟2人が手配してくれた。
2月になると、知多さんは義母関連の諸手続きや四十九日法要の準備に追われていた。
その頃、夫は通院が難しくなり、訪問診療に切り替える。心配した娘家族が来ても、夫は医療用麻薬で眠っていることが増えた。
義母の四十九日法要はコロナ禍ということもあり、近しい人たちだけで行われた。知多さんの夫は参列するのが難しく、納骨時だけ車椅子で参加。
3月に入ると、夫の容態は大きく変化した。
トイレまで行くことが難しくなり、ベッド横に置いたポータブルトイレで用を足すように。しかも、ポータブルトイレに移動するにも介助が必要になっていた。
知多さんは、自分が寝ている間に夫が自分でトイレに移動しようとして転倒されては困るので、センサーマットをレンタル。おかげで知多さんは、深夜や明け方でも、夫のトイレの介助に気が付きやすくなった。そして3月25日夜、夫は亡くなった。71歳だった。
血痕を拭き取りながら、涙が止まらなくなった
3月に入ってからというもの、知多さんは何度も総合病院や訪問診療の主治医から、「入院しますか?」と聞かれた。しかしその都度「自宅でみます」と返事をしてきた。
「今振り返って思うのは、壮絶な最期だったけれど、夫を入院させなくて良かった。自宅で看取れて良かった。そう心の底から思います。大変でしたが、その時々で、できることは精いっぱいしてきたつもりなので悔いはありません。もちろん、もっと生きててほしかったですが……」
しばらく滞在してくれていた娘一家が3月いっぱいで関東に戻り、その夜から知多さんは一人きりになった。
夫のためにレンタルしていたベッドや酸素吸入器などの介護用品を返却し終えると、部屋は空っぽになった。知多さんは掃除機をかけ、床を拭いていると、血痕を見つけた。おそらく夫のものだ。夫は最期の夜、大量に吐血して亡くなった。
知多さんは血痕を拭き取りながら、長く壮絶だった最期の時間を思い出し、涙が止まらなくなった。
夫の配慮があったからこそ義父母の介護もできた
知多さんは今も東北の地で、夫と建てた家にたった一人で暮らしている。
「義両親との同居が始まった2012年末からは、朝昼晩と4人分の食事の支度と片付けに追われる毎日でした。そのうえ田舎の本家ということもあり、親戚関係、義両親の友人知人、夫の友だちも遊びに来るので、ほぼ毎日のように10時や3時のお茶の用意も必要。その合い間に買い物に行こうとしていると、また突然の来客……。今振り返ると、この頃の私のストレスは最高潮でした。われながらよくやってたと思います」
義両親がデイサービスに通い始めると、週に2日は昼食の心配がなくなり、ずいぶん楽になった。
「食事のとき、義父はいつも『おいしい!』と褒めてくれました。やはり褒められるとうれしいものです。義母は汚れたリハパンを家でも老健でもあちこちに仕舞いこんで、それでも『自分のことは自分でできる!』と言い張るので困りました。つらいときは、誰かに聞いてもらうと少しラクになります。義両親の介護のことは夫に相談していましたが、愚痴をこぼす相手はもっぱら娘でした」
義弟や義妹たちは、義父母の介護そのものはノータッチだったが、夫が病気になってからは、送迎や農作業は快く手伝ってくれた。
知多さんと夫は、お互いにほどよい距離感を保ちつつ、信頼し合っていた様子がうかががえる。義母との関係も、順風満帆とは言えなかったかもしれないが、憎しみ合うほどでもなかったのは、知多さん自身の努力はもちろんだが、夫の配慮があってこそだと感じる。
夫の遺言「好きにしてくれ」、長男の嫁が思ったこと
2021年5月、娘に、夫が楽しみにしていた第2子が誕生。今回はコロナ禍ということもあり里帰りはしなかったが、知多さんのもとに「第1子にそっくりな男の子」の写真がLINEで届いた。
今、知多さんは介護をしているすべての人にこう伝えたいという。
「現在介護をしている方は、なるべく家に閉じこもってしまわずに、1日1回でもいいので、被介護者から離れて気分転換をする時間を作ってほしいです。近くを散歩するだけでもいいし、ウインドーショッピングでもいい。ご近所さんや友人とおしゃべりするだけでもいいと思います。私の場合、娘にはずいぶん助けられました。義両親と同居を始めてからというもの、大好きな趣味の時間が持てなかったので、落ち着いたらまずは、ステンドグラス制作やスポーツクラブ通いを再開したいと思います」
多さんから清々しさを感じるのは、「その時々で、できることは精一杯してきた」ということが伝わってくるからだろう。
夫の遺言には、「清美と娘に任せる。好きにしてくれ」と書いてあった。だが知多さんには、長男の嫁として、お墓のことや田畑のことなど、解決すべき課題が山積みだ。しかししばらくは、最愛の夫を失った悲しみを癒やす時間になることだろう。
旦木 瑞穂ライター・グラフィックデザイナー


「私たちは産む機械ではない!」中国の生育政策に翻弄された女性の悲痛

2021-06-30 13:30:00 | 日記

下記はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

少子化が加速する中国は、1組の夫婦に子どもを3人まで認める方針を発表した。しかし、国民からは批判的な声も多く上がっている。中国はかつて、厳しい「一人っ子政策」を徹底して実施してきた。これにより強制的な中絶、避妊など苦しい経験をしてきた女性たちは、再三の方針転換にやり場のない怒りを募らせている。(日中福祉プランニング代表 王 青)
中国が「三人っ子政策」導入へ
SNSでは批判コメント続出
 中国は、5月31日の中央政治局会議で、1組の夫婦が子どもを3人まで持つことを認める方針を発表した。国営新華社通信がこのニュースを伝えた瞬間、各メディアやネットサイトが一斉に報じ始め、中国国内で激しい議論を巻き起こしている。SNSではおびただしい量の書き込みがあふれかえった。この件についてのニュース記事は、アクセス数が数十億に達したという。ある時事評論家は、「反響がこんなに大きいニュースは珍しい。予想外だ」と、驚きのコメントをブログにつづっている。
 どのサイトにも批判的なコメントや皮肉な書き込みが目立った。その中には、国の生育政策が幾度も転換した時代を生きてきた女性たちの苦痛の叫びも含まれていた。
 建国期の「産めよ増やせよ」の政策から、史上最も厳しかった「一人っ子政策」が実施された。その後2016年に一人っ子政策が撤廃され、「二人っ子政策」に移行した。そして、ついに「三人っ子政策」に至った。
 中国の生育政策の歩みを少したどってみる。
「産めよ増やせよ」から一転
厳しい人口抑制政策へ
 中国は1949年に共産党政権が確立されてから現在まで、約70年間で約5回にわたり生育政策を転換させた。まるで手のひらを返すような方針転換の連続だった。
 まずは、1949~1953年の間、国は国民にたくさんの子どもを産むことを奨励した。1949年の中国の人口は5.4億人。新しい国家の建設と経済発展をさせるため、毛沢東国家主席が「人多力量大」(人口が多ければ力も大きくなる)というスローガンを掲げ、避妊や中絶を禁止する政策を打ち出した。避妊具や避妊薬の輸入も差し止められた。
 また、「たくさん産めば産むほど名誉なことだ」と呼びかけ、10人以上の子どもを産んだら、「光栄ママ」とたたえられた。1953年に行われた中国の第1回の国勢調査では、人口が大幅に増え、6億人に達した。
 その後、1954~1977年には、「(子どもは)1人は絶対いる、3人は多い、2人はちょうどいい」と、これまでの政策にややブレーキを踏むように、生育を抑制する方向に転じた。
 そして、1979~2015年、史上最も厳しいと言われた「一人っ子政策」が実施された。この36年間で苦しめられた女性や家庭はとても多い。
「産めば職場から追い出される」
女性たちの壮絶な苦悩
 都会ではほとんどの夫婦が共働きのため、第2子の妊娠に対しては職場が「監視の目」の役割を果たした。また、職場だけでなく、行政の末端組織である居民委員会も住民を厳しく監視し取り締まった。
 いったん妊娠が判明したら、逃げ場がない。職場からも居民委員会からも中絶するように責められる。逆らえば、勤め先から解雇される上、莫大な罰金を科される羽目になる。共産党員なら間違いなく除籍だ。一瞬にして人生が変わってしまう。
 筆者の上海にいる友人は、一人っ子政策が実施されていた頃、ある大学の付属病院で外科医として働いていた。当時20代後半だった彼女は、実力もあり、将来を有望視されていた。そんな彼女には当時3歳の娘がいたが、第2子を身ごもった。
「産めば、職場から追い出される。再就職もできず、将来は真っ暗だ……」
 産むべきか、産まざるべきか。ずいぶん悩んだ。結局、彼女は出産を諦めた。
「本当に厳しかった。どうしようもなかった。あのときのことは思い出したくない。私のような女性がどれだけいたのか……。これは運命というのか」
 もうすぐ50代になる彼女は、このように振り返る。
 当時は「小さな手術で、すぐ終わる」と、人工中絶の手術を勧められたという。上海市内はどこの病院も、朝は手術を待つ女性で産婦人科の廊下が混み合っていた。手術室といっても、医療機関は今ほどきちんと整備されていなかったので、仕切りのカーテンなど一切ない大部屋で行われることも多かった。そして、手術は麻酔なしで行われた。術後、婦人病を患ったり、何らかの不調が続いたりする女性も少なくなかったようだ。
 年に2回、産婦人科による超音波検査の結果の提出を義務付ける地域もあった。
至るところに過激なスローガン
一律に人工中絶を行った地域も
 都会と比べて、農村の状況はもっと過酷だった。男の子が労働力となり、家を継ぐという伝統的な習慣があるため、農村の女性は男の子を産まなければ、家族からも村の人々からも白い目で見られる。そのため、国は農村部に関しては、1人目が女の子であった場合は、2人目の出産を認める方針を打ち出した。
 ところが、女の子も「1人分」に数えられるため、生まれてきた女の子の赤ちゃんを遺棄したり、死なせたりすることが多かった。ある女性は、自分が産んだ女の子の赤ちゃんを、夫の家族に無理やり奪われて遠くの地に連れていかれてしまった。その後、子どもの行方は分からず、一生会うことはなかったという。また、取り締まりから逃れるため、妊婦を山に隠したり、遠く離れた親戚の家に身を隠したりすることも度々あった。
 当時は、農村を中心に、「一人っ子政策」を宣伝するスローガンが、横断幕や塀など至るところに書かれていた。これらのスローガンは、非常に過激なものばかりだった。
 例えば、
「寧可血流成河、不准超生一个」(たとえ血が川のように流れても、1人たりとも多く産んではいけない)
「一人超生、全村結扎」(1人でも超過して産んだら、村ごと結紮【けっさつ】※するぞ)
 編集部注※ここでは避妊手術のこと
「该流不流、〓房牽牛(〓の文字は手へんに八)」(中絶を拒否したら、家を壊す、牛を没収する)
 などなど。
 こうした文言からは、当時の殺伐とした社会の空気がうかがえる。
 人口抑制の機運が高まる中、1991年、山東省冠県など複数の地域ではある運動が起こった。
 それは、「百日無孩(百日ゼロ出産)」というもの。1991年の5月1日~8月10日の100日間で、子どもを1人も産ませない、という目標を掲げて行われた運動だ。この期間、妊婦であれば初産も第2子も関係なく、一律に人工中絶が行われた。出産間近だった女性も免れることができなかったという。
 最近、中国のSNSでは当時、冠県の党の書記を務め、この運動を起こして多くの女性を被害に遭わせた元幹部の責任を問うべきという声が多く上がっている。
手術で体内に避妊具を埋め込み…
子宮に傷がついた人も
 また、一人っ子政策が行われていた当時は、多くの女性が一人目の子どもを出産した後、これ以上の妊娠を防ぐためにIUD(子宮内避妊用具)を体内に入れる手術が頻繁に行われていた。数十年前にこの手術を受けて、リング(IUDのこと)が今も体に残ったままの女性は、2600万人にも上るといわれている。この事実が徐々に明らかになってきたのは、メディアやSNSなどで報じられるようになってきた近年の話である。
 2014年、中国の若手女性芸術家の周〓静さん(〓の文字は雨に文)は、母親が子宮がんと診断されたときにはじめてIUDの存在を知った。二十数年間も体の中にあったリングを取り出す際、激痛に耐える母親の顔と大量の出血を目にして、周さんは多大なショックを受けたという。以来、彼女はIUDに注目し、300種類以上のIUDを集めて展覧会を開いた。「この2600万人の母親たちのことを忘れてはいけない、IUDは彼女たちの健康を脅かしているのだ」と、社会に訴える活動をしている。
 当時IUDを体内に入れられた女性が、年を取ってから子宮穿孔や子宮摘出などに至るケースが後を絶たない。「まるで時限爆弾を抱えているようだ」――、現在このような女性たちの健康状態は社会問題になっている。
「中国統計年鑑2010」によると、1980〜2009年の30年間で、中国全土で行われた中絶の数が2.75億回。避妊手術は6.61億回で、そのうちの2.86億回はIUD手術だった。
「私たちを放っといて」
三人っ子政策へのやり場のない怒り
 時がたち、中国は経済が著しく発展し、社会環境や生活水準が良くなって、人々の意識も大きく変わった。加えて今、出産適齢の女性たちは、祖母や母が政策によって苦しい経験をしてきたことを知っている。そんな彼女たちの、今回の「三人っ子政策」に対する反応は、冷ややかというよりも怒りに近い。
「私たちは、子どもを産む機械ではない。国の都合で子どもの人数にまで首を突っ込まれるのはもうたくさんだ!」
「私たちを放っといてください。一人でも三人でも、実質的に『計画生育』であることは変わりがない」
 6月2日配信の記事『中国で少子化が止まらない!“三人っ子政策”導入も立ちはだかる「3つの壁」の深刻』でも述べたように、今回の政府の方針転換についての反発には、現在の中国で子どもを育てていくことにいろいろな壁があることも大いに関係している。ただ、その深層には、これまで国の生育政策に翻弄されてきた女性たちの心からの叫びがある。
 当時を生きてきた女性たちは、できればひっそりと「あのつらい過去」を心にしまって余生を過ごそうとしていた。しかし、今回の政策変更はその過去を現在によみがえらせてしまったのだ。体の傷は医療で治せるかもしれないが、最愛の子どもを失った心の傷は、長い時間をかけても癒えることはない。それが母親であるからだ。


小室圭さんが「愛子天皇」の障壁に? 女性宮家議論が結婚問題で停滞

2021-06-30 11:00:00 | 日記

下記はNEWSポストセブンからの借用(コピー)です

「女性天皇に『賛成』」は85%。昨今の世論調査からは、「愛子天皇」誕生への期待感の大きさがうかがえる。そうした大きな改革には、国民的な議論が必要だ。しかし、秋篠宮家長女・眞子さまの婚約内定者の小室圭さんの存在が、議論の停滞を招いているという──。
 加藤勝信官房長官が、皇位継承を定めた憲法2条の「世襲」について「男系、女系(天皇)の両方が憲法において含まれる」と述べたのは6月2日。「慎重かつ丁寧に検討を行う必要がある」とは続けたが、遅々として進まなかった皇位継承の議論を進める意図だったのは間違いない。
「菅義偉総理率いる官邸は、東京五輪後に国民の関心が高い『女性宮家の創設』を政治のメインテーマにしようと目論んでいます。加藤長官の発言は、“女性宮家創設の先に、女性・女系天皇の実現を視野に入れている”という宣言なのです」(官邸関係者)
 詳しくは後述するように、女性天皇の実現はこの秋に一気に加速する気配を見せているのだが、ここに「波乱」が待ち構えていた。将来の女性宮家の当主となりえる、秋篠宮家長女の眞子さまが抱えるご結婚問題だ。
 婚約内定者である小室圭さんは4月、母・佳代さんと元婚約者の間の金銭トラブルについて説明する文書を公開。4日後には、元婚約者に「解決金」を渡す姿勢を示した。
「文書で“説明責任”を果たすことで、国民の理解を得られるという期待は当然あったでしょう。28枚の文書はそれだけの“力作”でしたが、予想に反して国民の反応は冷たいものでした。
 焦ったのか、一転して解決金の支払いを提案するも、かえってその朝令暮改ぶりに不信感を持たれる結果になった。おまけに小室家の金銭トラブル対応の“陣頭指揮”は眞子さまが執っていたことまで明らかになり、“内親王が一般国民の紛争に介入するのか”と疑問の声はさらに高まった」(宮内庁関係者)
 眞子さまは「30才になられる10月までのご結婚を強く意識されていた」(皇室記者)といい、実際、宮内庁幹部らもそのスケジュールを念頭にサポートに動いていた。しかし、文書発表からの一連のドタバタで、「手詰まりになった。10月までの結婚スケジュールは事実上、白紙になった」(前出・官邸関係者)という状況だ。
 一方で、当の小室さんは動きを見せない。
「5月に留学先の米フォーダム大学ロースクールを卒業した小室さんですが、しばらくは帰国しないでしょう。受験予定とみられるニューヨーク州の司法試験は7月末。もし合格しても、弁護士登録ができるのは早くて来年です。帰国はその後になってもおかしくありません」(皇室ジャーナリスト)
 本来ならば問題解決に向け、会見を開くなど、何らかの行動を起こすべきところだが、なぜ小室さんは動かないのか。
「小室さんにとっては、“現状維持”が最良なのでしょう。問題を解決せず入籍もせず、『眞子さまの婚約内定者』であり続ければ、結婚して一般家庭に降嫁しない“将来の天皇の姉”である眞子さまのサポートを受け続けることができる。経済面でも、仕事の面でも、あらゆる面で皇室の力は特別ですから。そんな“事実婚”状態こそが、小室さんの期待する未来に思えてなりません」(前出・皇室ジャーナリスト)
 そうした状態は、この先何年続くかもわからない。そこで気を揉むのが、女性宮家創設を国民的な議論にしようとする菅官邸なのだ。
小室さんが“圭殿下”となる
 前出の官邸関係者が語る。
「コロナ対応で後手に回り、支持率低迷にある菅政権ですから、国民の関心の高い『女性宮家の創設』に着手し評価されることで、支持率低迷の打開策にする狙いがあります。天皇の『男系維持』にこだわっていた安倍前総理の流れを汲む菅総理は、表立って女性・女系天皇に関する意見は言いづらく、発言は控えています。ですが、菅総理は実際のところ、女性政策にはとても積極的ですし、男女平等の信念を持っています。女性宮家の創設、ひいては女性天皇の実現にも肯定的なんです。
 ちょうど東京五輪が終わって、新型コロナのワクチン接種もひと段落するであろう9月以降は、ほかに重要な政治的なテーマもない。そのときまで菅政権が続いていれば、女性宮家の議論を一気に進めようとするのは間違いありません」
 現行の制度では、女性皇族は結婚に伴い皇族の身分を離れる。しかし、女性宮家が創設されれば、女性皇族も結婚後には宮家(皇族の一家)の当主となり、皇室に残ることができるようになる。女性宮家が国民に受け入れられれば、「天皇家の当主」である天皇の位に女性が就くことも違和感なく受け入れられるはずだ。
 そもそも、この4月の世論調査(共同通信)では女性天皇の実現に「賛成」する人は85%にのぼっている。
「『女性天皇』について、天皇陛下のご長女である愛子さまをイメージする国民は多いでしょう。愛子さまは12月に20才の誕生日を迎えられ成人されます。そういった意味でも、今年は女性宮家、女性・女系天皇の議論をするにはこの上ないタイミングなのです」(前出・官邸関係者)
 しかし、官邸の思惑は大いに狂いはじめている。4月に行われた皇位継承策についての政府の有識者会議では、母方にのみ天皇の血筋を引く「女系天皇」の容認についての質疑応答があった。そこで、麗澤大学教授の八木秀次氏は小室さんを念頭に「眞子さまのお相手との間に生まれたお子さんが天皇になる」と説明したという。しかし、その部分は後に議事録から削除された。
「ご結婚前に女性宮家が創設されれば、眞子さまは新しい宮家の当主となられる可能性があります。その後、小室さんと結婚された場合、小室さんが皇室に入り、“圭殿下”となる可能性もあります。そんな中で、果たして議論は進められるでしょうか。眞子さまのご結婚問題に終止符が打たれない限り、議論は本格的に進められないのではないでしょうか」(前出・皇室ジャーナリスト)
 事態を重く見た官邸は、宮内庁にヒアリングを重ねているという。
「9月に女性宮家創設の議論を本格化させるには、それまでに眞子さまのご結婚問題にめどが付いていることが必須。官邸は、眞子さまに“早く結婚のスケジュールを固めてほしい”という思いだといいます」(前出・官邸関係者)
 ヒアリングの結果、明らかになったのは、眞子さまのご結婚に対する強いご意思だったという。
「眞子さまは、ご結婚によって皇室とのかかわりが一切なくなろうと、約1億4000万円とされる結婚一時金が受け取れなかろうと、とにかく“どうしても小室さんと結婚したい”とお考えだそうです。
 しかし、いくら眞子さまが“一時金は不要”とおっしゃっても、元皇族が一般人の中で生活するには、セキュリティーの面などを考えると経済基盤は不可欠。就職先も明かしていない小室さんと結婚されるのであれば、なおさら“経済的支援は必須”というのが、政府の見方のようです」(前出・皇室ジャーナリスト)
 ヒアリングでは、眞子さまのご結婚問題に対する秋篠宮ご夫妻のご意向も見えてきた。
「ご夫妻はいま、眞子さまのご結婚に向けて積極的に動かれることはないようです。秋篠宮さまは、結婚の条件として『国民からの祝福』を一貫して求めてこられました。ですが、現状ではそうした状況とは程遠い。いまのままでは、一般の結納にあたる『納采の儀』を経た結婚は、お認めにはならないのではないでしょうか。
 かといって、小室家側から国民の祝福につながるような誠実な動きは見られません。いまの状況では秋篠宮さまから結婚に向けた行動を起こされることは考えにくい」(別の皇室ジャーナリスト)
 いわば“手詰まり”ともいえる現状となっているのだ。


池谷式「プチ糖質制限」でお腹周りが細くなる

2021-06-30 08:30:00 | 日記

下記の記事は日経ウーマンからの借用(コピー)です

今より糖質を減らして、すっきりお腹になる
 家族で食事を取ることが多く、食事内容をガラリとは変えられず、食事制限はムリ──そんな人にぴったりなのが、医学博士の池谷敏郎さんが提唱する「プチ糖質制限」。「現代人の肥満のほとんどは糖質の取りすぎが原因。ただし、完全に糖質をオフにすると、体や脳を動かすためのエネルギーまでなくなり、ストレスによるリバウンドのリスクも増えます」
 そこで、池谷さんは糖質を現状の半量に減らすことを提案する。「ダイエットは食事法が9割。1日のトータルで減らすことができれば、外食やお酒もOKだし、ハードな運動も不要。約1カ月で、体重や腹囲を落とせますよ」
「肥満」ならプチ糖質制限にトライ
 まずは、自分の腹囲とBMIをチェック。腹囲90cm以上、BMI25以上の女性は「内臓脂肪型肥満」の可能性が大きい。過剰な内臓脂肪は生活習慣病を招く原因にもなるため、早めに今の食生活を見直して。
内蔵脂肪型肥満とは…
・腹囲 90cm以上(女性の場合。男性は85cm以上)
・BMI 25以上

自分の「腹囲」を測ってみよう
 浅い呼吸をして腹部に力を入れない状態で、おへその位置でメジャーを巻き、腹囲を測る。一番細い位置でなく、おへその上を通るように注意。また、メジャーを腹部に食い込ませないこと。
BMIを計算してみよう
 腹囲を測ったら、BMIを計算。BMI25以上なら、ダイエットのペースは1カ月マイナス2~4kgを目標に。

BMI=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)
洋服のラインが気になるなら
 上記の「肥満」に当てはまらなくても、さらに絞りたい人はプチ糖質制限にトライしてOK。その場合は無理せず、1カ月マイナス2kgを目標に。
プチ糖質制限効果をUP! 1カ月間の体重&腹囲チェックシート
 糖質制限の効果を高めるために、「目標体重と腹囲」「毎日の体重」を1カ月間、記録してみよう。毎日、体重計をチェックすることでダイエットへの意識が高まり、食生活の見直しもできる。
4週間後の目標体重は何kg?
 BMI25以上の人は-2~4kg、25未満の人は-2kgを目安に設定。1週間後も変化がなければ、さらに糖質を減らして。
4週間後の目標腹囲は何cm?
 腹囲は1カ月で-2~4cm程度を目安にチャレンジ。こちらも続けても全く減らない場合は、さらに糖質を半量に。

1カ月で結果を出す食べ方 池谷式「プチ糖質制限」

プチ糖質制限5つの基本
 プチ糖質制限の基本ルールは5つ。何を減らすか、食べる順番や食事にかける時間などの決まり事を順を追って紹介しよう。
基本1:1日で摂取する糖質を半分に減らす
 まずは、今まで食べていた糖質を「半分の量」に減らそう。「ご飯や麺、パンなどの主食だけでなく、イモ類や果物、お菓子など糖質を含む食品はすべて半量に。夕食やランチを減らすのが難しいときは『朝の主食』を完全に抜いて、トータルで半量にしてもOKです」。
【ポイント】
糖質を多く含む食品は、ズバリ「ご飯、麺、パン、イモ、フルーツ、スイーツ」。この「言葉」を暗記して、食事を取る前につぶやくことで、食べすぎを防ごう。
基本2:え、これも? 「隠れ糖質」を意識する
 他にも糖質を含む食品は意外と多い。「イモ類、レンコン、カボチャ、果物のほか、ちくわやかまぼこなどの練り物は糖質が高いので注意。ソースやケチャップなどの調味料もかけすぎないで」
【ポイント】
スポーツドリンクや市販の野菜ジュースといった飲料類、大豆バーやエナジーバー、シリアルなどといった「栄養調整食品」も、実は糖質が高めなので注意。
基本3:食事の量そのものは、極端に減らさない
 食事の量を極端に減らすと、ストレスがたまって挫折しやすい。「主食を減らした分、野菜や肉、魚、大豆類はしっかり食べること。たんぱく質が不足すると、筋肉が落ちて代謝が下がり、やせにくくなるので注意して」
基本4:食物繊維の多い食材から食べる
 糖質を先に取ると、血糖値が急上昇して太る原因になる。「血糖値の上昇を防ぐには、胃腸でネバネバした物質に変わる『水溶性食物繊維』から食べて。その後に食べる糖質の吸収を妨げ、血糖値の上昇を防げます」
【ポイント】
水溶性食物繊維は、昆布やワカメなどの海藻類、オクラ、アボカド、ゴボウ、干しシイタケやナメコに多く含まれる。
基本5:食事は15分以上かけて、ゆっくりと
 速食いは、血糖値の急上昇や食べすぎを招くので厳禁。「同じ量の糖質でも、速く食べたほうが血糖値は速く上昇します。咀嚼(そしゃく)すると満腹中枢の刺激になるので、よく噛みながら、最低でも15分以上かけて食べましょう」
「プチ糖質制限」実践中チャット公開!
 糖質制限が続かないライターKが、池谷さんにチャットで悩みを相談しながらプチ糖質制限を実践した。チャットでどんなやり取りをしたのかを大公開!
スタートして数日後
ライターK 仕事の食事会など、どうしても夕食が重くなる日が……。
池谷先生 予定を考えて、1日単位でバランスを取りましょう。夕食でガッツリ糖質を取る日は、朝食とランチを減らして調整を。毎食減らせなくても、1日のトータルで調整できればOKですよ。
スタートして2週間後
ライターK 2週間実行しても、腹囲が減ってきません……。
池谷先生 無意識に糖質を取っているかも。イモ類や果物などを取りすぎていませんか? 1〜2日、食べたものをすべて手帳に書き出して、無意識の食習慣を見直しましょう。
ライターK 忙しいと、手軽なパスタを作ってしまいがちですね。
池谷先生 コンビニのレトルト総菜の活用がおすすめ! コンビニでも低糖質メニューは可能です。レトルトのしょうが焼きなどたんぱく質のおかずと、多めのサラダをごはん代わりに組み合わせるといいですよ。
スタートして3週間後
ライターK おすすめの朝食メニューはありますか?
池谷先生 蒸し黒豆ヨーグルトとトマト甘酒をぜひ! 不足しがちな食物繊維やビタミン、ミネラルを含んだものを選びましょう。パンやご飯などの主食は抜いたほうがいいのですが、完全に朝食を抜くのはNGです。
【蒸し黒豆ヨーグルト】
スープボウル1杯の無糖のヨーグルトに、市販の蒸し黒豆を10粒程度トッピング。蒸し黒豆も甘くないもののほうがいいが、どうしても甘みが欲しい場合、3〜4粒のみ、甘いものに替えて。
【トマト甘酒】
トマトジュースと市販の甘酒を2:1の分量で合わせて混ぜる。トマトジュースが苦手な人にも飲みやすく、空腹感も和らぐ。冬はホットに、夏はアイスにするのがおすすめ。
ライターK 甘いものを食べるのは、絶対NGですか?
池谷先生 目標を達成した後なら、太りにくい時間帯である14〜18時の間に、甘いものを少量食べてもOKです。この時間帯は脂肪の分解を抑制し、体内にため込む働きのある遺伝子(BML1)の影響力が弱まり、太りにくいんです。
出典/榛葉繁紀監修『太らない時間に食べる!体内時計ダイエット』
池谷敏郎

医学博士
池谷医院院長。東京医科大学医学部卒業後、同大学病院第二内科に入局。循環器系の専門家として、テレビや雑誌、講演など多方面で活躍中。


見えてきた、NMNのヒトへの抗老化効果

2021-06-29 15:30:00 | 日記

下記はビヨンドヘルスオンラインからの借用(コピー)です

抗老化のカギを握るNADが有意に上昇
 ただし、動物実験との差異もあった。マウスによる研究では、NMN投与によって細胞の中でエネルギー産生を司るミトコンドリアの機能が高まることが確認されているが、今回の臨床試験では変化がみられなかったという。糖代謝が改善したのは筋肉だけで、NMN摂取前と摂取後を比較しても、肝臓や脂肪組織のインスリン感受性や血糖値の改善、体重減少はなく、炎症マーカーにも変化がないなど、マウスでみられたような劇的な効果は認められなかった。
 「NMNによって、骨格筋でインスリン感受性の改善が認められたことは臨床的に意義のある結果。しかし、ヒトへのNMN投与が2型糖尿病の改善や予防に役立つのか、現時点で結論を出すのは難しい。なぜ、骨格筋でのみインスリン感受性が上がったのか、そのメカニズムの解明もこれから進めたい」と今井教授は話した。
 NMNは体内に入ると、私たちが生きていく上で欠かせない補酵素NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)に変換され、サーチュインという酵素を活性化することがマウスによる研究で分かっている。サーチュインは老化や寿命を制御する酵素で、その遺伝子は「長寿遺伝子」と呼ばれる。このため血液中のNADを増やしサーチュインを活性化させることが抗老化のカギと考えられているが、今回のワシントン大の臨床試験では、NMN摂取群で有意にその濃度が上昇。特に筋肉の中でNADの代謝物が増え、NADが大量に消費されたことも確認されている。
今井教授と共に今回の研究を行ったワシントン大学医学部のサミュエル・クライン教授(写真左)、吉野美保子准教授(写真中央)、吉野純准教授(今井教授発表資料より)
 「今回の臨床試験の結果だけでは、NMNに抗老化作用があるとは言い切れない。しかし、NMNの臨床試験がいろいろなところで行われ始めており、その中には、認知機能に対する効果を見る研究なども含まれている。そういうものが積み重なって行けば、NMNがヒトに対しても抗老化作用を発揮すると言えるときが来るのではないかと期待している。私たちの研究グループでも、昨年10月からNMNを用いた第2次の臨床試験を進めている。こうした研究を積み重ねることが、NMNのヒトにおける抗老化作用を見ていく上で重要になる」と今井教授は強調した。
 ワシントン大の研究グループによる第2次の臨床試験では、糖尿病予備軍で肥満の男女56人を対象に、1日300㎎のNMNか偽薬を16週間経口投与する計画で被験者を募集中だ。この臨床試験には米国防省の予算がついており、国を挙げて抗老化研究に取り組む米国のNMNに対する期待の高さをうかがわせる。

追記:
下記は日本NMN研究会https://nmn.online-medicine.or.jp/15/オンラインからの借用(コピー)です

NMN(ニコチンアミド・モノヌクレオチド)とは、ビタミンB3に含まれる分子で、酸化還元反応を触媒する酵素の補酵素NADの前駆体です。人間の体内でも生成されており、加齢と共に生成量が減少していきます。
近年の研究でNMNがガン・認知症・老化症状などに作用する「若返り効果」があることが続々と判明しており、堀江貴文氏(ホリエモン)やNHKなど国内でも多くの著名人・メディアがその効果について言及しています。
NMNの効果・メリット
NMNの効果は現在判明しているだけで4つあります。
    * 老化による病気の治癒・予防
    * 記憶力の向上
    * 心機能の強化
    * 肥満の改善
老化による病気の治癒・予防ができる
NMNの最大の効果は老化による病気の治癒と予防ができることです。
NMNは、DNAの修復を行うサーチュイン(長寿遺伝子)のエネルギーとなるNADを増幅させます。つまりNMNを増幅させることでサーチュインが活性化し老化の主症状である慢性炎症を鎮静化し細胞死を防ぐことができます。
ある研究では、生後24ヶ月(人間でいう70歳前後)の老齢なネズミに2週間NMNを服用させたところ、抗動脈硬化性作用の向上やDNA修復機能の活性化が確認されました。
さらにハーバード大の研究によると、サーチュインを活性化させたネズミが平均して58%も寿命がのび、最大寿命も21%延長されたことが示されています。
NHKのドキュメンタリー番組「NEXT WORLD:~私たちの未来~」によると、人類の平均寿命が100歳を超え最大寿命も140歳まで到達するのではないかと予想する科学者もいるほどに大きな可能性を秘めています。
記憶力が向上する
アメリカで行われた研究で迷路を用いてネズミの記憶力をテストしたところ、NMNを投与したネズミは投与していないネズミより遥かに高い学習効果と記憶力を持つことが明らかになりました。
また形状記憶をテストした研究でも同じく記憶力が向上する結果が出ています。
さらにNADには酸化ストレスやミトコンドリアの機能障害を防止するPGC-1-αの生成を促す効果があることが研究で明らかになっています。
別の研究で、アルツハイマー症を発症しているネズミのNADとPGC-1-αの増加を促したところ、記憶力が飛躍的に向上する結果が出ています。このことからNMNは記憶力を向上させるだけでなくアルツハイマー病やパーキンソン病などの病気の治療にも有効なのではないかと示唆されています。
まだ試行回数も少なく人体実験もなされていませんが、少なくともNMNが脳神経に良い効果をもたらすことは確かなようです。
心機能を強化する
サーチュインの活性化に関わらず、NMNは虚血(動脈血量の減少による局所の貧血)を防ぎ血管が収縮・編成するのを防ぐ効果があることがあることがわかっています。
ある研究では、NMNが心臓の解糖系に作用し心筋梗塞が生じる面積が平均して47%に減少する結果となりました。
また別の研究ではNADが大動脈の硬化を抑制したり収縮期血圧の低下したりする効果をもつことが明らかになっています。
さらに医学雑誌「Cell」の研究によると、NMNを投与したネズミのランニングマシンの走破時間が60%減少し、運動持続可能時間が倍以上に増加したことが明らかになりました。
これらのようにNMNは心機能を高める効果があるので心筋梗塞や異常な心臓肥大を抑制するだけでなく運動能力の向上にも利用できるのではないかと画策されています。
肥満が改善する
NMNは肥満の改善にも効果があると言われています。
スイスでの研究では、高カロリー食を摂取したネズミに対しNADを増加させたところ、体重増加を最大で60%抑制することに成功しています。
ハーバード大のSinclair教授は「NMNを摂取することで特に努力もせずに1日16キロ程度を走ったのと同程度の効果を血液に与えることができる。運動の代替手段になるのはもちろんだが、年齢に影響を受けずにこの効果を享受できることが素晴らしい点だ。」とTimes紙に話しています。
肥満改善に役立つNMNは糖尿病やメタボリックシンドロームの治療にも効果的ではないかと注目されています。
実際に2011年にワシントン大学の今井眞一郎博士らが行った研究では、糖尿病のネズミに対しNMNを投与したところ膵臓や肝臓の機能改善がみられ糖尿病が劇的に改善した結果が出ています。
NMNの「若返り効果」が起こる仕組み
ここまでNMNの効果について説明してきました。ここからはその効果が起きる科学的な仕組みを紹介します。
NMNがNADを作る
NADは水の次に体内に多い分子で、全ての細胞の生命維持に必要な補酵素です。
NADの生成方法は原材料であるアミノ酸のトリプトファンから作る新規合成経路(デ・ノボ経路)とは別に、NMNとATP使った再利用経路(サルベージ経路)する方法があります。
「健康長寿」より引用

NMNは生体内でNADの代謝産物として生じ、それを再利用してNADを作ることが出来ます。トリプトファンは他の物質を作る際にも多く利用されているので、NMNを使った再利用経路の方が効率よくNADを生成できると言えます。
今井氏の研究によると、NMNの服用後体内のNAD濃度が2~3時間で約25%の上昇をしたことが明らかになっています。
また、NADを経口摂取すると、消化器官で90%以上が破壊されてしまうのに対し、NMNは経口による摂取が可能であり、NADを増やす画期的な手段であると言えます。
NADとは?NMNとNADの関係、効果、老化を防ぐ仕組みを医師が解説
「NADって何だろう?」 そのようにお考えではありませんか? NMNが若返りに効果があることが分かったけど、NADのことがよ...
NADがミトコンドリアを活性化させエネルギーを生む
NADは電子移動を補助することにより、ミトコンドリア内の反応を助けより多くのエネルギーをうむ出す働きをします。
NADは元々細胞内の酸化還元反応を行う補酵素として発見されましたが、細胞間の情報伝達を行うシグナリング分子として分子間で電子の伝達を行う際には酵素と結合しリガンドとして機能することが明らかになっています。
具体的には、解糖やクエン酸回路や電子伝達系など、細胞がエネルギーを得るためにミトコンドリア内で起きる代謝反応に影響を与える補酵素になります。
細胞エネルギーの基底原子である電子を分子間で移動していくことで、NADはバッテリーの充電と同じような細胞機構として機能します。電子は自力で移動をすることはできず、NADがいて初めてエネルギーを作ることができます。
Nature紙の研究では線虫とネズミを用いて実際にNADがミトコンドリアを活性化することが確認されています。
このようにNADの影響でミトコンドリアが活性化した結果、肝臓や腎臓などの健康保護作用がおきます。
NADがDNAの修復を促す
ほぼ全ての細胞内にはDNAを修復する分子工場が存在しDNAの修復を行っています。分子工場ではNADと細胞エネルギーが燃料として消費されています。例えばDNAを修復するプロテインであるPARP(ポリADP)はNADが枯渇するとDNA修復の機能が著しく低下することがわかっています。
DNAは放射線などの影響により日々ダメージを受け劣化していますが、DNAの修復が行われなくなることが老化の原因だと考えられています。

また「SIR1〜7(通称:サーチュイン)遺伝子」は長寿遺伝子とも呼ばれDNA修復と寿命に大きく関与している遺伝子もあります。
サーチュイン遺伝子は活性化することでサーチュインと呼ばれるヒストン脱アセチル化酵素を合成し、ヒストンとDNAが結合することで遺伝子の修復を行っています。
このサーチュイン遺伝子の活性化にもNADが大きく起用していることがNature紙により明らかになっています。
ハーバード大学のSinclair教授はNature紙の取材に対し、加齢とともにNADの分泌量が減少しサーチュイン遺伝子(やPARP)の活動が弱まることこそだ若い時になり得なかった病気になる原因だと話し、NADを増やしDNA修復することで老化を抑制したり若返りを実現することが可能かもしれない、と考えています。
NMNの副作用
NMNはすでに齧歯類(ネズミなど)や人体での実験が行われており、生物に対し副作用はないと考えられています。