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「たとえ会社に捨てられても」幸せな人生を取り戻せる人だけが持つ"意外な能力"

2021-07-12 15:30:00 | 日記

下記はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

子供のなりたい職業第1位が「会社員」
「会社員」が人気を集めています。
全国の小学生(小学校3~6年生)、中学生、高校生の計3000人を対象に調査を実施した「大人になったらなりたいもの」ランキングで、「会社員」が男子の部で堂々のトップになったというのです(第一生命保険、第32回「大人になったらなりたいもの」調査結果より。2021年3月17日発表)。
「会社員」を夢見る子どもは年齢が高いほど多く、高校生では22.2%で、2位の「ITエンジニア/プログラマー」(11.5%)を大きく引き離しました。女子の部でも小学生でこそ4位とふるいませんでしたが、中学、高校生ではダントツの1位でした(13.6%、20%)。
コロナ禍かで苦戦しているフリーランスや自営業、雇い止めにあった非正規雇用の人たちを見て、「会社員になれば安定した生活ができる」と子どもたちは考えたのでしょうか? あるいは「ウチで仕事してるパパみたいになりたい!」とリモート勤務する会社員を夢見た? はたまた「安定した仕事についてほしい」という親の願いが反映された結果でしょうか?
平成の30年間で変質した「会社」
いずれにせよ、子どもたちには申し訳ないけれども「会社員」になっても、ずっと幸せでいられるとは限りません。いえ、子どもたちが夢見るような「会社員」はもはや幻想でしかないのです。
確かに、かつて「会社員」は幸せの象徴でした。日本の職場はストレス研究が必要ないくらい、人間の摂理に合致したいくつもの大切な制度を会社員に施し、人が秘める能力を最大限に引き出す「理想郷」でした。
一方、会社員は「会社のためにがんばろう! いいものを作ろう!」と会社が繁栄するように働きました。会社も会社員も「一緒に幸せになろう!」と夢を共有し、会社と会社員双方に利益をもたらす経営が行われていたのです。
しかし、平成の30年間で会社と会社員の関係は大きく変わりました。本来、会社は「人の生きる力を引き出す最良の装置」なのにその役目を放棄し、「経営とは人の可能性にかけること」なのに、その可能性より目先のカネを優先するようになった。会社員を非人格化したのです。
無節操に散々けしかけ、走らせ、持ち上げ、ある日突然、はしごをはずす。それが今の会社です。
社員から選ばれた「リストラ執行人」の末路
おそらく誰もがそのことを肌で感じているはずなのに、人はものごとをあるがままに見るのが苦手です。
「心」は人の内部に宿るものですが、「心」は習慣で動かされている。習慣とは「日々過ごす環境で受け継がれた思考や行動のパターン」のこと。会社員を長年やっていると「会社員的なものごとの見方」をするようになるし、ヒラのときは「うちの会社はおかしい!」と息巻いていた人が、出世の階段を上るうちに教条的に「あれはあれで意味のあること」などと妄信するようになってしまったり。
人は「見えている」ものを見るのではなく、「見たいもの」を見るようになってしまうのです。
以前、50人の部下をリストラし、最後に人事部から渡された「リストラ・リスト」に自分の名前が載っていたという、いたたまれない話をしてくれた男性がいました。
彼は退職後、自分をまるで鉄砲玉のように使った会社に、一言文句でも言ってやろうと株主総会へ乗り込みました。すると驚いたことに、総会会場の入り口に「当時の人事部長が警備保障会社の制服姿で立っていた」というのです。
冷静に考えれば「リストラ請負人」に幸せな未来などあるはずがないのに、この男性も人事部長も「会社はきっと自分を評価してくれる」「会社は自分を必要としてくれる」と、会社の要求どおりに動いた。男性の会社員としての経験が、あるがままの姿を見えなくしてしまったのです。
会社の辞書に「社員の幸せ」はない
今、私たちに必要なのは、「私たちが途方もない変化の真っ只中にいる」という現実を受け止めることです。
会社はもう「社員の幸せ」などこれっぽっちも考えていないのです。「あなた」に役割を与え、その対価を払っているだけ。旧態依然とした幻想を捨て、「私が幸せになる」ように主体的に動き、自分が期待する人生を手に入れないことには、明るい未来はありません。
たとえどんなにすばらしい社会的成功を収めても、それが「何か」をしてくれるわけじゃないのです。
──再就職先は関連会社です。給料は下がりますが、気力と仕事の質には自信があったし、今までのキャリアを生かしてがんばろうと張り切っていました。ところが……半年後に出社拒否です。完全にメンタルをやられてしまったんです。
原因はいろいろありますが、やっぱり人間関係は大きいですね。上司とも周りの社員とも馬が合わなかった。前の会社のときは、周りも私のことをそれなりに扱ってくれました。ところが、再就職先では私はシニア社員の一人でしかない。飲み屋ひとつとっても扱いが変わります。そんなことはわかっていたのに、実際に経験すると、プライドが傷つくわけです。
私を引っ張ってくれた元上司が、いろいろと気にかけてくれるのも情けなくてね。結局、1年もたずに辞めてしまった。周りに迷惑をかけるからそれだけは避けたかったんですが、情けないですよね。
こう話す男性は、前職では常務でした。彼は「○○会社の常務だった私」なら、うまくいくと思い込んでいたのでしょう。しかし、現実は……ごらんのとおりです。
「これって要するに老害だろ?」そんなふうに思う方もいるかもしれませんが、若手であれ、いい大学を出ている人であれ、ヘッドハンティングされてきた人であれ、同じです。「主体的に動かなかった人」は残念な末路を辿たどるのです。
「半径3メートルのゆるいつながり」が新しい世界を開く
私はこれまでフィールドワークとして、800人近くのビジネスパーソンをインタビューしてきました。件くだんの男性もインタビュー協力者の1人です。リアルな声に耳を傾ければ傾けるほど、あるがままを受け入れる大切さを痛感すると共に、人を幸せにするのは、カネでも社会的地位でも権力でもない「あるもの」だと確信します。
そのあるものとは……「人とのつながり方」です。
──私は早期退職して70歳まで働ける会社へ転職しました。前職の役職や実績がまったく役に立たず、現実を受け入れるのに苦労しました。
でも、どうにかするしかないなあと思いましてね。新入社員の頃やっていたことをやってみようと、早めに出勤して社内の掃除やらゴミ捨てをやりながら周りの人の名前や顔を覚えたり、何がどこにあるかも覚えるようにしました。
不思議と一緒にやってくれる人が出てきてくれて、今も毎朝やって、楽しく勤務しています。
思い起こせば私の父は中卒で、地道な努力をしてきた人でした。私にも父と同じようなものがあったのかもしれませんね。なるべく早く「俺が俺が」の黄金期を忘れて、明るく、楽しく、周りの若い社員や女性たちと仲良くして、自分の立ち位置を築くことが新しい働きがいになるんじゃないでしょうか。
この男性は現実を受け入れ、新しい環境で出会った人のことを積極的に覚え、その環境になじみ、周りとつながる努力をしたのです。それは「上司・部下」関係のようなつながり方とはまったく違います。肩書や職制でつながる組織内人間関係ではなく、自分という個人を中心とした「半径3メートルの環境」の中でよりよく生きようとしたのです。
こうした半径3メートルの豊かな人間関係のネットワークを、私は「ゆるいつながり」と呼んでいます。
人間の幸せは、他者との関係性の中に生まれるもの
この男性は、周りとゆるくつながることで、あることに気づきます。「私にも父と同じようなものがあったのかもしれません」と語った、「真の自分」の姿に、です。社長や役員でもなければ、部長でも、正規雇用の会社員などでもない。○○大学卒でも、海外駐在経験者でもない「私」。これまでの人生で、自分という一個人の上にまとってきたすべての虚飾を取り払った「私」そのもの。
私なら、健康社会学者でもなければ、元「ニュースステーション」担当の気象予報士でも、テレビやラジオに出演するタレントでもない、一個人としての「河合薫」という存在そのもの。
つまるところ、人は他者の存在を通じてしか、自分がわからない。「私が幸せになる」には人とのつながりが欠かせないのです。
人生のどん底から一縷いちるの希望を見つけ、イキイキと過ごす人たちにあって、過去の成功にしがみつく人になかったもの。それは、なんら特別な才能でもなければ、特別な能力でもありません。彼彼女たちが共通して持っているのが「半径3メートルの上手な距離感」です。
自分を取り巻く半径3メートルの人と「ゆるいつながり」を築き、一人の人間と人間として助け合い、分かち合い、労いたわり合う。そんな「ゆるいつながり」こそが、幸せな人生につながる鍵となります。
「心理的ウェルビーイング」を生み出す6つの力
健康社会学者の観点から言えば、実はこの「半径3メートル」の「ゆるいつながり」、これこそが、今話題の「ウェルビーイング」。ウェルビーイングは一般的に「幸福感」や「ハピネス」という言葉に置き換えられますが、私がみなさんに伝えたいのは、「危機や不安に遭遇そうぐうしたときにこそ高められる人間のポジティブな思考」の大切さ。これを、「心理的ウェルビーイング」といいます。心理学者のリフが提唱した概念です。
心理的ウェルビーイングは、幸福は「多次元で構成される」と考えます。具体的には、次の6つの思考ではかります。
①自己受容──自分の弱さと武器を見極め共存する
②人格的成長──自分の可能性を信じ、一歩踏み出す
③自律性──自分の行動や決断を信じる
④人生における目的──どんな人生を送りたいか? を明確にする
⑤環境制御──どんな環境でも楽しみ、自分のやるべきことを見つける
⑥積極的な他者関係──温かく信頼できる人間関係を築く
これらは、誠実さや勇気、謙虚さや忍耐、学び続ける姿勢といった、いわば人格を作る「心の筋肉」のようなもの。「私」が生きるすべての局面で、「私」を支えているといっても過言ではない力です。
すべての人が「幸せ」になる力を備えている
「幸せ」は、「私」だけで成立するものではありません。どんな人にも「私」を取り巻く環境があり、その環境には例外なく他者が存在します。
私の専門である健康社会学は、人と人を取り巻く環境(生活世界)との相互作用にスポットあて、人の健康(=肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態)を考える学問です。そして、心理的ウェルビーイングは、そんな健康社会学的視点に立つ大切な理論の1つです。
私はこれを「幸せになる力」と呼んでいます。
私たちはつい、「強い結びつきのある人間関係」が大切なのだと考えてしまいがちです。しかし、生き物としての人の幸せは、半径3メートルの世界の「ゆるいつながり」の先にこそ存在します。そして、ゆるいつながりの中にいるとき、仮面の自分を捨てたときにこそ、「私はこうありたい」とか「私はこういう人生を送りたい」と、自分が本当に求めている「何か」に気づくことができる。
幸せの基準は人それぞれですが、幸せになる力はすべての人に宿り、「ゆるいつながり」があれば引き出されます。
社会的動物である私たちは、その長い歴史において、他者と協働することで生き残ってきました。「幸福感」は主観的な感情ですが、その感情は半径3メートルの環境との相互作用で生まれます。仕事のモチベーションや幸福感は「半径3メートルの人間関係」に大きく左右されるのです。
朝起きたときに、楽しく笑えますか?
実際、これまでインタビューをしてきた人たちの中で、印象的な笑顔を見せてくれる人は、例外なく自分から動いて、周囲と「ゆるいつながり」を作れた人たちでした。
ある人は資格を取るために通った専門学校で、ある人は若い部下たちとの朝活で、ある人は町内会で、ある人はボランティアで、年齢もバラバラ、勤める会社も業種もバラバラ、性別もバラバラ。ただ、相手も人、自分も人であるというだけ。
そうやって周囲の人たちとゆるくつながった人たちは、「自分がいかに恵まれているかが分かった」と語り、「そこに行くと自分が若手だった。まだまだできそうだ!」と笑い、何年かぶりに「ありがとう」と言われたと、顔をほころばせました。
「心理的ウェルビーイング」の6つの思考を強化すれば、これまで産業社会の中で培つちかってきた思考の癖から脱却できるようになります。
思考が変われば行動が変わります。動くことで見えてなかった景色が見えるようになり、他者と関わる中で進化する自分を実感できます。充足感のある人生を手に入れることが可能になる。
心理的ウェルビーイングを強化すれば、会社員であろうとなかろうと「今も毎朝やって、楽しく勤務しています」と軽やかに笑えるようになるのです。
2020年という困難を乗り越えてわかったこと
いわずもがなのことですが、2020年は誰にとっても大変に厳しい1年でした。
それぞれの人が、いろいろなカタチで、なんとかかんとか生き延びてきました。競争したり、誰かを蹴落としたり、では、けっして乗り越えてくることはできませんでした。助け合い、譲り合い、支え合い、そんな生活の中で、多くの人が幸せにつながる種をまいてきた、と私は思うのです。
そこでまいた種を、この空前の危機を生かさないでどうする? 「幸せになる力」は誰もが持っているのですから、つまらない思い込みで現状に甘んじ、せっかく手に入る幸せをみずから捨ててしまってはもったいない。
今こそが「危機や不安に遭遇したときにこそ高められる人間のポジティブな思考」を高める最大のチャンスだと、私は思います。
個人的な話で恐縮ですが、私自身、今回のコロナ禍で、当たり前だった日常がことごとく消えてしまいました。自分が存在する意味すら分からなくなることさえありました。
私のモットーとして、「おかしいことをおかしいと言い続ける」姿勢を大切にしてきたのに、それがぶれそうになることが何度もありました。今まで経験したことのない事態に、驚き、不安という感情にとらわれ、翻弄ほんろうされました。
そんな私を支えてくれたのは、読者からの予期せぬ“サンクスメール”であったり、私が提案した企画の相談にのってくれた編集者たちでした。他者を思う温かい心のバトンを渡してもらったことで、自分の中の危機を乗り切ることができました。
「ああ、やりがいの神様からは、まだ見捨てられていないんだ!」と思えることで、「私」でいることができたように思います。
社会的動物である私たちは、他者と協働することで生き残ってきました。不安が極大化し、魑魅魍魎ちみもうりょうが跋扈ばっこする時代だからこそ、ゆるくつながりことが「私が幸せになる」一歩だと、身を以て確信しています。
幸福と健康をもたらすのは「人間関係」だった
最後に「ゆるいつながり」の大切さを示した偉大な実証研究を紹介します。
ハーバード・メディカル・スクールの研究者たちが「人生を幸せにするのはナニか?」を調べるために、75年間もの歳月を費やした「グラント研究」です。この研究は1938年に始まり、当時10代だった724人の人生を追跡しました。
半世紀以上続けられた研究で明らかになったのは、「人を幸福にし、健康にするのは、人間関係だった」という、極めてシンプルな事実です。
「家族や友人、会社や趣味の仲間たちとのゆるいつながり」を持っている人は健康で長生きで、経済的にも成功している人が多く、「身近な人たちといい関係」にある人は生活の満足度が高く、「いざというときに頼れる人がいる」と幸福感が高く、脳も元気で、記憶をいつまでも鮮明に持ち続けていました。
この研究は、私たちに多くのヒントを与えてくれている、と思います。自分の中にある「幸せになる力」を信じるか? 否か? それは“あなた”次第です。
    * 河合 薫健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士


母のようにはなりたくないのに、 娘を叩いてしまう私

2021-07-12 13:30:00 | 日記

下記の記事はダイアモンドオンラインからの借用(コピー)です

断ち切らなければならない、母娘の悪しき連鎖
母のようにはなるまいと思っていたのに
「このままだと取り返しのつかないことをしてしまいそうなんです」
 開口一番、その母親(30代)は私に訴えた。
 自分ではそのつもりがないのに、8歳の娘に体罰を繰り返しているというのである。
 娘の引き裂くような泣き声にはっと我に返ると、娘の手が真っ赤に腫れ上がるまで叩いていたり、ときにはこぶができるほど娘の頭をゴツンとゲンコツで叩いてしまうこともあるという。
 そんなことが重なって、娘は年中母親の顔色をうかがうような目つきをする子になってしまったと、その母は告白した。
 母親自身、目に見えない力が働いてわが子に暴力を振るってしまうことに苦しみ、自責の念を強めていた。
 いい母親であろうと思えば思うほど、その見えない力が邪魔をし、気がつけば幼い娘が悲鳴を上げている。
 そんな自分が恐ろしくなり、カウンセリングを受けようと思い立ったとのことである。
「そうですか。いろいろと大変でしたね」
 私はまず母親の苦労をねぎらい、
「でも、お母さんも小さいときにご苦労なさったのではないですか」
 そう母親の娘時代に話を向けると、その母は声を振り絞るようにして自分の子どもの頃の話を始めた。
「私の母は厳しい人でした。
 両親とも教員で、とくに母は私のことを教員の娘として恥ずかしくないようにと、しつけや学校の成績に関しては容赦しない人でした。
 私が幼稚園に行き始める頃から、体罰もしょっちゅうでした。
 お弁当を残すと頭をゴツンとやられましたし、手を洗わないでおやつを食べたというだけで、腕を平手で赤くなるまで叩かれました。
 ときどき、私が叩かれているときに、父が『もういいだろう』と言ってくれることもありましたが、そうすると母の怒りの矛先が父に向くんです。
 自分に悪役を押しつけて、あなたはいつもいいところ取りをする、と。
 そうなると、ねちねちといつまでも言い続けるので、だんだんと父も母と私の間に割って入ることがなくなっていったんです」
叩いたのは、私を愛していたから?
 今でも当時の自分の親に対する恨みやわだかまりが消えず、生々しい記憶として残っているようであった。
 体罰を与える母親が嫌で嫌でたまらず、そういう親には絶対なるまいと心に誓ったのだという。
「夫は優しい人で、この人となら、穏やかで温かい家庭が築けると思って結婚しました。
 結婚して娘が生まれて、私も夫もうれしくて、大事に育てようね、と言い合って……。
 ところが、娘が物心がついてやんちゃをし始める年頃になると、すごくイラついた気持ちになりだしたんです。
『どうしてこの子はわがままばかりするんだろう、私の小さい頃は、こんなことをしたら母はただではおかなかった』と思うと、憤りがこみ上げてきて、『叱らなくちゃ。叱らなくちゃいけない』と思わず平手で娘をぶったら、そのときから手を上げる癖がついていって……。
 最初は『叱らないとこの子が悪くなる、叱るのはこの子のためだ』と思い詰めていました。
 でも、娘を叩いたあとに、ものすごく自分が嫌になるんです。
 自分は今、あれほど嫌っていた母と同じことをしていると思うと、自己嫌悪でいたたまれなくなるんです。
 でも、その一方で、娘がいい子にしていてくれたら叩かずにすむのに、と娘のせいにしている自分もいて、余計やりきれなくなるんです……」
「最初から問題なく子育てができるお母さんなんて、そういません。
 今までよく頑張ってきましたね。お嬢さんがお母さんの気持ちをわかるときもきっとあるんじゃないでしょうか」
 そう私が言うと、その母親はあふれ出すように涙を流し、「私は本当に悪い母親で、娘に申し訳ない」と震える声で言った。
「娘を叩いていると、その手が自分のものなのか、私の母の手なのか、もうろうとしてわからなくなってしまうんです。
 私の中にはまだ小さかった頃の自分がいて、その自分がまだ母に叩かれているような怖い気分になるというか……。
 私の母は、今は娘の祖母ですが、孫娘に『ちゃんと勉強しなくちゃね』と言い聞かせている場面などを見ると、まるで30年前に戻ったみたいに自分と娘が重なって見えるんです。ああ、あのときの母と私だと。
 だからそんな母を見ると、私はいつも無性に聞いてみたくなるんです。
『どうして私を叩いたの?私のことを愛しているからだったんでしょ?』と。
 でも、どんな言葉が返ってくるか怖くて、質問はできません」
 この母は、娘を叩く手が自分なのか自分の母のものなのか、もうろうとしてわからなくなる、と表現した。
 母と娘の関係の「連鎖」は、このような混同、混乱の中に生じているものである。
 被害者と加害者が一体となり、自分がどちら側にいるのかも判然としなくなる。
 子どもの頃から澱のようにため込んできた怒りや不安、不信感がよみがえって、こうした混乱を引き起こすのだ。
この母親にとって、自分と母親の関係や自分が娘に対して行っていることを肯定、正当化するには、自分の娘が「教員の孫娘にふさわしい」いい大学に進んで、自慢できる職業についてくれることが必要である。
 そうして立派になった娘が自分に感謝してくれるのなら、自分も癒されるし、母親のことも許せる。そうやってこの母は、親に対する恨みや怒りを自分の娘で解決しようとしていた。
 というと、いかにもこの母親が母親失格のように聞こえるが、そんなことはない。
 どんな母親にも多かれ少なかれそういう部分はあるのである。

 母にこうされたから私はそういう道を選ばない、という母親もまた、母の生き方を自分の人生に反映させているのである。
「私は自分の娘を束縛しない。自由を尊重する」という言い方も、一見話のわかる親のようでいて、その言葉自体が子どもを縛りつけることにつながることもある。
「こうあってほしい」と願う親の気持ちそのものが、否応なく子どもの人生にかかわってくるのである。
 そういう話を丁寧にした上で、無理してすぐにいいお母さんになろうとしなくていい、と伝えた。
あなたはお母さんと同じじゃない
 どんな母親も、娘にはこうあってほしいと思う理想や期待を抱いている。そうした気持ちは否定しなくていい。
 しかし、「自分のしていることが、お嬢さんにとって本当に意味のあることかどうか、ほんの少しだけ考えてみましょう」と私は提案した。
 そうすれば今までよりも母と娘の関係を客観的に見ることができて、イラつくことが少なくなるかもしれません、と説明した。
「あなたはあなたの母親と同じではないし、お嬢さんも子ども時代のあなたではありません。
 それぞれが違う考え方を持った別の人間であると思えれば、気持ちも落ち着いてくるでしょう」
 そう言うと、この母は何度もうなずいて、私にこう告げた。
「娘は娘ですよね。あの頃の私じゃない。
 なのに、いつも私は娘に自分を重ねて見ていました。
 今先生がおっしゃったように、私の母が少しでも私の気持ちを考えていてくれたら、こんなひどい母親にならなかったかもしれません。
 やってみます。あの子が本当に喜ぶかなあと子どもの気持ちを考えてみるなんて、母親なら当たり前ですよね」
 この母親はまず、叩かなくなった。
 そして、怒鳴らなくなった。
 やがて子どもをほめるようになり、ときおり面接でも慈しみの表情を浮かべるようになった。
 娘は以前よりは母の前で安心していられるようになり、笑うことも増えたようである。
 母と娘の関係はまだ始まったばかりで、これから乗り越えなくてはいけないことがまだまだあるだろうが、とりあえず苦難の序章には終止符を打ったと言えるのではないだろうか。
 濃密な母娘関係の中で、ほんのちょっとだけ距離を取る。
 それができないために不毛な憎悪の連鎖に呑み込まれてしまっている母娘は多い。それだけ母娘の結びつきは強固だといっていい。

 しかし、苦しい中で少し方向転換する勇気があれば、心の重荷は思いのほか軽くなるものである。
絶望と怒りが生み出す悪しき連鎖
 母娘の歪んだ関係が生じる原因は、実は母親だけにあるのではない。
 娘を苦しめてしまう母親たちもまた、その母からの抑圧的な、あるいは攻撃的なメッセージにさらされてきていた。

 カウンセリングの中で、母に苦しめられていると訴える娘が、「そう言えば、私の母も…」と口にするケースは珍しくはなく、母親自らが、「実は…」と自分の母親からかつて受けていた理不尽な仕打ちや、満たされなかった思いを苦しげに吐き出すケースも少なくない。

 つまり、母娘の間で展開されていた愛憎劇は、母親の母、あるいはそのもっと前の代から受け継がれてきた苦しみの果ての姿なのである。
 その意味では、娘を苦しめる母親たちは、加害者であると同時に被害者でもある。
 そして娘たちも、そのままでは被害者から加害者になるおそれを秘めた存在なのである。
 母親に自分の人生をつぶされた娘の絶望や怨嗟は深い。娘のその怨嗟は、また自分の子どもへと向けられてしまうことがある。
 そうして母から娘へと引き継がれてきた負の連鎖を止めなければ、母と娘の間には果てしない絶望と怒りが続いていってしまいかねない。

 しかし、ここで気をつけないといけないのは、連鎖という現象全般を悪いものと思ってしまうことである。
 母から娘に受け継がれるものの中には、豊かな愛情の中で育まれたよき連鎖も当然多く見られる。
 たとえば、寛容な母性の中で育った思いやる心や人を自然にケアできる心こそ、母娘間で受け継がれる最も大切なものの一つではないか。
 わずかでもそれが受け継がれれば、いずれのケースにおいても見られたように、娘はその心を起動させて自分の道を切り開くことが可能となるのだ。母のようにはなりたくないのに、
袰岩秀章
ライフ・社会 あんな母でも、許さなければいけませんか?


眞子さまと小室圭さん 進まぬ結婚問題が紀子さまにとって好都合な面も

2021-07-12 11:00:00 | 日記

下記はNEWSポストセブンオンラインからの借用(コピー)です

 6月2日、国民的な議論が必要となる女性天皇について、注目すべき動きがあった。加藤勝信官房長官が皇位継承を定めた憲法2条の「世襲」について、「男系、女系(天皇)の両方が憲法において含まれる」と発言。「慎重かつ丁寧に検討を行う必要がある」とは続けたが、遅々として進まなかった皇位継承の議論を進める意図だったのは間違いない。官邸関係者はいう。
「コロナ対応で後手に回り、支持率低迷にある菅政権ですから、国民の関心の高い『女性宮家の創設』に着手し評価されることで、支持率低迷の打開策にする狙いがあります。天皇の『男系維持』にこだわっていた安倍前総理の流れを汲む菅総理は、表立って女性・女系天皇に関する意見は言いづらく、発言は控えています。ですが、菅総理は実際のところ、女性政策にはとても積極的ですし、男女平等の信念を持っています。女性宮家の創設、ひいては女性天皇の実現にも肯定的なんです。
 ちょうど東京五輪が終わって、新型コロナのワクチン接種もひと段落するであろう9月以降は、ほかに重要な政治的なテーマもない。そのときまで菅政権が続いていれば、女性宮家の議論を一気に進めようとするのは間違いありません」
 ところが、秋篠宮家長女・眞子さまの婚約内定者の小室圭さんの存在が、議論の停滞を招いているとも言われている。ご結婚前に女性宮家が創設されれば、眞子さまは新しい宮家の当主となられる可能性がある。その後に小室さんとご結婚されれば、小室さんは皇室に入り、“圭殿下”となる可能性もあるのだ。眞子さまの結婚問題に終止符が打たれない限り、本格的な議論を進めにくい現状があるのだ。
 だが、こうした“手詰まり”ともいえる現状は、実は紀子さまにとって“好都合”な状況でもある。
「天皇の母」となる未来が危うい
 安定的な皇位継承策について、2005年にも大きな議論になったことがある。
「秋篠宮さまのご誕生以来、男性皇族が40年もお生まれになっておらず、近い将来の皇位継承が危ぶまれた頃でした。当時の小泉純一郎内閣は『皇室典範に関する有識者会議』を開き、女性天皇・女系天皇を認める報告書をまとめ、それに基づいた皇室典範改正法案を提出する道筋を描いていました。
 ですが、2006年に悠仁さまが誕生され、風向きが変わりました。新たな男性皇族が生まれたことで、“喫緊の課題ではなくなった”と、法案の提出は先送りにされたのです」(宮内庁関係者)
 それから15年、今度は「愛子天皇」への期待という形で、皇位継承策は国民の関心を集めるようになった。その動きを注意深く見守られているのが、紀子さまだという。
「“将来の天皇”である悠仁さまを手塩にかけて育てておられる紀子さまは、“愛子天皇待望論”の高まりを強く意識されていると聞きます。愛子さまが成人され公務に出られれば、愛子さまへの期待感はより一層高まるでしょう。そうした状況に、紀子さまは複雑な感情を抱かれているようなのです」(皇室ジャーナリスト)
 菅内閣が女性宮家を創設すれば、女性・女系天皇に関する議論も活発になり、結果的に「愛子天皇」誕生へと近づく可能性は捨てきれない。しかし、そうなると「将来の天皇」として育てられてこられた悠仁さまの未来はどうなるのだろうか。
「紀子さまの悠仁さまへの愛情は、時に『母子密着』といわれるほどに深いものです。そんな愛息の将来が不安定になることは、紀子さまにとって耐え難いことでしょう。ましてや、将来は『天皇の母』となられる気構えもされていたでしょうから、そうした未来が危ぶまれることも好ましくはないはず。
 ところが、眞子さまと小室さんがこのまま“事実婚”状態を続ければ、女性宮家創設の議論そのものが成立しづらくなります。それはすなわち、女性天皇の誕生も叶いにくくなるということ。つまり、小室さんの“事実婚”で『愛子天皇』の誕生が潰されることになるのです。もしかすると紀子さまはそんな現状を、受け入れておられるのかもしれません」(皇室関係者)
「将来の皇室の形」という日本の根幹にかかわる大きな課題も、“小室さん次第”なのだ。


医師は病気を治せない。良くなるお手伝いをしているだけ

2021-07-12 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイヘルスケアオンラインからの借用(コピー)です


「病気が治る」という言葉があります。また、「症状が良くなる」という言葉もあります。

 たとえばお腹が痛い方がいて、原因が末期がんであるとします。末期がんが治ってお腹が痛くなくなれば最高ですが、そういうことはほとんどありません。

 しかしながら、末期がんは治らないけれど、お腹の痛みを改善することは医療者側の努力で可能です。これを私たちは「良くなる」という言葉で捉えています。

 医療者としての経験が長くなるほど、治らない病気がいかに多いかということをしばしば認識させられます。

 誤解を恐れずに言うならば、私たち医師は病気を「治す」ことはできない。あくまでも、患者さんが自分で良くなっていこうとするお手伝いをしているだけなのです。

 特に在宅医療では、医師が病気を治そうとすると、逆に患者さんに負担がかかってしまう。患者さんが穏やかに過ごしたいと望む、残された貴重な時間を台無しにしてしまうケースもままあります。

 医療漫画の金字塔ともいえる手塚治虫の「ブラック・ジャック」に、「ちぢむ!!」というタイトルの話があります。ここには、「治せる」と考える医師のおごりと、自然の運命との乖離が描かれています。

 恩師に呼ばれてアフリカの奥地に赴いたブラック・ジャックは、人間を含むあらゆる生き物が細胞レベルで体が縮んでいく「組織萎縮症」という奇病の治療に当たることになります。組織萎縮症の血清を作り出したブラック・ジャックは、発病し病床に伏せる恩師に注射をしようとしますが、その時、恩師から奇病の意味を告げられます。

それは、人口が爆発する危惧から、限られた食糧を分かち合うためには生き物が体を小さくしなければならないという、神の警告であるということを、です。医者は病気を治して命を助けた気になっているけれど、それが人口増加、やがては食料危機を招き、何億人も飢えて死んでいく。その不条理な物語は、医療は治療ではないことを物語っています。

 また現在放映中のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」には、在宅医療を行う田舎の診療所が登場します。

 ここで働く若い医師は、自分のキャリアとして在宅医療に進むかどうかの岐路を迎える中で、がん患者さんを「治せない」事実を目の当たりにし、「治す」医療ばかりをやってきた不遜な今までの自分自身と向き合っていきます。

 そのがん患者さんと話す場面で、医師は患者さんに語りかけます。

「日々考えることが変わるのは当たり前です。迷うことがあって当然です。迷う時間を確保するためにできる治療があるならやってみませんか」

これは、人生の最期が近づき、自己決定が困難になった時も、自らの意思が反映された生活を送れるよう、医療関係者が支援する「意思決定支援」を描いたもの。

「医療=治す」ではない。「治らない」は医療の敗北ではない。このような若き医師の心境の変化が今後描かれるのではないかと、ドラマの展開も楽しみしています。

下山祐人
あけぼの診療所院長
2004年、東京医大医学部卒業。17年に在宅医療をメインとするクリニック「あけぼの診療所」開業。新宿を拠点に16キロ圏内を中心に訪問診療を行う。