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自分の人生を生きるため、“主婦業” を前向きに卒業していく女性に対し、定年を前にした夫たちは立ちすくんでしまうケースが少なくない。人生の節目で、夫婦の明暗が分かれてしまうのはなぜなのか──(取材・文=奥田祥子)
2人で温泉巡りでも……と思っていたのは夫だけ
リタイアして初めて、家庭に自分の居場所がないことに気づくという男性は多い。私は新聞記者時代から20年にわたり、「夫婦関係」について、さまざまな人に継続的にインタビューを行ってきた。佐藤良一さん(62歳・仮名=以下同)もその一人だ。誠実な人柄で、真面目に仕事に取り組んできたことは疑いようがない。だが一方で、夫、父親としてはどうだったのだろうか。
「長い間、家族のことを思って懸命に働き続けてきたんです。定年後はかみさんとゆっくり温泉巡りでも、と思って、継続雇用も希望しなかったんですが、まさかこんなことになるとは……」
2018年初春、兵庫県内の高級住宅地にある自宅近くのカフェで、佐藤さんは時にを紅潮させ、また時に唇を小刻みに震わせながら、思いの丈をぶつけた。
佐藤さんと知り合ったのは1999年。大手メーカーで課長職に就いていた彼に、成果主義人事制度の根幹をなす人事考課の考課者としての悩みを聞いたのが始まりだった。
「賃金に影響する評価を相対的に5段階に振り分けねばならず、低い評価の者のことを考えるとつらい。彼らにも家族はいるわけで……。でもそれは自分も同じ。妻子のためにもこの仕事は避けて通れないんです」
考課制度の矛盾を批判しながら、自他問わず、家族を思いやる気持ちが伝わってきたのが印象的だった。
不況時にはリストラ対象者を選ぶ役目を命じられ、うつ状態が続いたこともあった。苦境を乗り越えられた要因を尋ねると、彼の口から出た言葉はまたしても「家族」だった。
しかし、当時すでに妻と長男、長女の子ども2人との心の隔たりは着々と進行していたのだ。
52歳の時に部長に昇進するまでの間、2回転勤を経験したが、いずれも子どもたちの中学、高校受験を理由に妻子は赴任地に同行しなかった。仕事に力を注ぐあまり、いつしか自宅への帰省回数も減っていく。
大阪本社に戻った時には、高校生の子どもたちは父親の話しかけにもろくに応じない状態になってしまっていた。「大事な時にそばにいてくれなかったくせに、偉そうなこと言わないで」と長女が放った言葉が、胸の奥深くに突き刺さったという。
そうして2017年、自身の定年退職の日、妻から「これからは自分のために生きてみたい。あなたのお世話をする余裕はもうありませんから」と告げられた。理由を尋ねると、「これまで自分を犠牲にしてきた。それはあなたが家庭に気を配ろうとしなかったから」と淡々と答えたという。
専業主婦だった同い年の妻は、長男が大学を卒業すると中堅商社で派遣スタッフとして、結婚前に職務経験のあった貿易事務の仕事に就いていた。実績が認められて転勤のない「限定正社員」に登用されたのだという。
「かみさんが長年不満を募らせていたことを定年の日、初めて知ったんです。彼女は直接、私に怒りをぶつけることはありませんが、あの日を境に夜遅く帰宅したり、週末に出かけたりすることが増えました」
18年初春の取材で、佐藤さんはそう寂しげに語った。
定年から2年近く過ぎた今年の春、佐藤さんはかつて勤めていた会社の子会社に嘱託社員として再就職する。この7月、1年半ぶりに再会した際、心なしか表情が明るくなったように感じた。
そして、「今の会社を退職する時までに、再び家庭に居場所を取り戻したい。そのために料理をしたりして自分なりに努力しているんですが、かみさんがそれをどう思っているかはわかりません」と語った。
佐藤さんのように、仕事ひと筋で家庭を顧みてこなかった理由として、「妻子のためを思って、仕事を頑張ってきた」と主張する男性は非常に多い。しかし現実は、その苦労をねぎらってもらうどころか、居場所を失ってしまう。
問題はその思いを言葉で伝えてきたのかということ。家族は自分たちへの無関心と受け取ってしまうだろうが、知らぬは父ばかり……なのである。
出世していく妻に敗北感が募って
現在61歳と51歳の山田幸太郎さん、美津子さん夫妻には、15年前から取材に協力してもらってきた。
もとは2004年、当時36歳の美津子さんに、女性の仕事と家庭の両立をテーマにインタビューしたのが最初だった。大阪に本社のある専門商社に総合職として勤務し、33歳の時、仕事で知り合った10歳年上の男性と結婚。取材時は、長男出産後1年近く育児休業を取得し、職場復帰して半年過ぎた頃だった。
夫婦ともに地方出身で、近くに親、きょうだいはいない。子育てと仕事を両立するうえで重要な点を尋ねると、間髪容れずに夫の協力を挙げた。
「夫は私が子育てをしながら、仕事を続けて力を発揮していくことを応援してくれています。保育園の送り迎えを手伝ってくれたりして、とても助かっているんですよ」
両立の疲れを微塵も見せず、そう明るい表情で語ったことが取材ノートにも克明に記されている。今ほど企業の両立支援策が整備されていなかった時期に、珍しいケースだった。
その後、美津子さんの紹介で夫の幸太郎さんに同席してもらい、インタビューを重ねることになる。幸太郎さんは当時46歳で、部次長職に就いていた。重責を担い、仕事量も多いことが想像に易かったが、育児を担っていることについて、「子育ては楽しい。世の中のお父さんたちがどうして奥さん任せにしているのか、疑問ですね」と言ってのけた。「イクメン」という言葉が登場する何年も前のことである。育児に積極的に関わる男性の先駆けだったのだ。
ところがある時期を境に、事態は一変する。まず異変の兆しは、幸太郎さんが取材に応じてくれなくなったこと。リーマン・ショックの翌年、09年のことだった。
それから数年は、美津子さんだけに話を聞くことになるが、子どもが小学校に上がる少し前から夫婦の会話が少なくなり、幸太郎さんは育児に関わらなくなっていったという。
「子会社に出向したのが何らかのきっかけになっているんでしょうが、息子ともあまり口を利かなくなったのが全然、理解できません。お父さんとキャッチボールをしたりして遊んでもらいたいみたいなんですけれど、かわいそうで……」
58歳になった幸太郎さんへの取材が実現した16年。彼は出向先の会社に転籍していた。
「あの頃は部長になれず、左遷されたことが大きなショックでした。子育てを分担していて、仕事に集中できなかったのが影響したのではと考えてしまって……。それに妻が順調に出世しているのに、自分が情けなくて……」
一人息子は、まったく口を利いてくれないという。「息子との溝をなかなか埋められない」と背中を丸めて漏らす姿が、痛々しかった。
幸太郎さんは1年ほど前に定年を迎え、現在は継続雇用制度を利用して週に3回、同じ会社に勤務している。パート勤務を選んだのは、今春高校に進学した息子と、部長昇進間近という現在51歳の妻との関係を改善させたかったから。
だがつい先日、あらためて心境を問うと、「この10年あまり祝っていなかった結婚記念日や妻の誕生日に食事に誘ったら、『予定があるから』と断られ、息子の進路相談に乗ろうとすると『放っておいて』と拒絶され……。必死になればなるほど、妻と息子には避けられているようです」と、苦しい胸の内を明かした。
美津子さんにも取材をお願いしたのだが、現時点では応じてもらえなかった。ただメールで返事をくれた。承諾を得て一部を紹介する。
〈今さら良い父、夫になろうとされても、どう接していいのかわからないのです。ただ、彼が頑張っている姿を見て、夫婦の「定年」が終わりではなく、何かの始まりになればいいな、とは思い始めています〉
仕事で能力を発揮し、管理職に昇進して活躍する妻と、そんな妻を応援して積極的に育児に携わるイクメン夫は今、社会が求める理想の夫婦像のようである。しかし、夫婦が十分にコミュニケーションをとって相互理解に努めなければ、思わぬ亀裂を生じさせてしまう。
子育てに関わることが大切であると理解しながらも、本音の部分ではいまだ、固定的な性別役割分担意識に支配されている男性は少なくない。出世の先を行く妻に対して、敗北感を抱くこともありうるのだ。そして自分から家族と心理的に離れていく──。自分自身のなかにある“伝統的な規範意識”はなかなか変えられない。定年も近づいた50代、60代になって、そのことに気づく人もいる。
「家政婦」扱いをし続ける夫にもはや愛情はない
東京都在住の佐々木由美さんには2008年、「婚外恋愛」をテーマにした取材で出会った。それが、結婚している女性が行う不貞行為、つまり不倫であることは紛れもない事実なのだが、当の女性たちは「恋愛」と主張するケースが増えていた。
当時44歳の佐々木さんもそんな女性の一人だったのだが、夫以外の男性と「恋愛」に走った理由が独特で軽い衝撃を受けた。「夫の日常」のせい──。取材対象者の多くが夫の浮気などを理由に挙げたの対し、彼女はそう答えたからだ。
短大卒業後、事務職の仕事を10年近く務め、30歳で本人が「夢だった」という専業主婦の座を射止めた。翌年に長女を出産、その3年後には義母から望まれていた念願の長男を授かった。だが、「長男の嫁の役目を果たした」達成感もつかの間、夫とはセックスレスとなり、自身の気持ちに変化が芽生え始めたのだという。
「夫が『お茶』『飯まだ?』と私をこき使うのが、無性に腹立たしくなってきたんです。妻は家庭のことをこなして当たり前と思い込み、感謝の気持ちなんてこれっぽっちもないんですから……」
気丈に振る舞っていた佐々木さんが、目に涙を浮かべて話す姿を今でもはっきりと覚えている。
婚外恋愛に走った佐々木さんだが、1年あまりでその関係に終止符を打つ。ちょうど、長男が私立中学受験を控えて塾通いなどで忙しくなり始めていたからだ。そしてしばらくすると、今度は公立中学校に通う娘が、いじめが原因とみられる不登校になる。わが子を巡る問題は夫との関係をさらに悪化させる要因となった。
「夫は私に対してだけでなく、子どものことにも無関心で、すべて私任せ。『仕事が忙しい』の一点張りで、キレるとすぐ口にするのが『誰のおかげで生活できると思っているんだ』です」
40代半ばを過ぎた頃、そうつらい心境を語った佐々木さんは、当時すでに旧態依然とした男らしさに囚われている夫に見切りをつけていたのかもしれない。長女は高校生になると学校に通えるようになり、長男も大学までエスカレーター式で進学できる第一志望の私立中学に合格した。子どもたちの成長を見届け、通信講座で簿記の資格を取り、契約社員として食品卸売会社で働き始めた。48歳の時だ。
19年春、面会での取材は約1年ぶりとなる佐々木さんは胸元にレースをあしらったピンクベージュ色のワンピースをまとい、55歳という年齢より若く見えた。3年前に役職定年となった夫は、在宅時間が増え、細かなゴミを見つけては掃除を指示したり、食事の味付けにうるさく文句をつけたりするなど、以前にもまして妻を「家政婦」扱いするという。
「もう限界です。夫が定年退職したら離婚するつもり。実は、働きに出てから知り合った男性とお付き合いしているんです。昔のとは違って、今回は真剣なので……。夫と違い私のことを気遣ってくれる優しい人で、信頼できて、経済力もあるし、時が来たら再婚したいと思っています」
長年の怒りが積もった夫に見切りをつけたからだろうか。佐々木さんは11年に及ぶ取材で、最も穏やかで、すがすがしい表情を見せた。
***
かつて結婚は安心、安定をもたらすものとされたが、今では不安やリスクを増大させるものへと変容してしまっている。にもかかわらず、人は自分を必要とし、認めてくれる親密な存在としてパートナーを求め続ける。承認欲求は生きていくうえで欠かせないが、それを満たす関係を何十年も続けていくのもまた難しい。
今回紹介した事例の夫たちも、家族のために懸命に働いてきたことに偽りはないだろう。しかし夫たちは結局、妻の家事や子育てをする力に甘えていたのだ。
長年、家庭を妻任せにしてきた夫たちは、自分に妻がうんざりしていることを知らぬまま、「なぜ汗水たらして働いている俺に感謝しないんだ」「妻が変わってしまった」と嘆く。また、今さらながら「良き夫」になろうとするが、どうにも妻の意向とかみ合わず、うっとうしがられる。そのうえ、性懲りもなく「妻の気持ちがわからない」と訴える。
妻たちの不満の根底に共通するのは、夫たちが己のしてきたこと、してこなかったことを妻がどう受け止め、感じているかについて、まったく「気づいていない」ことなのに。
出典=『婦人公論』2019年8月27日号
奥田祥子
近畿大学教授・ジャーナリスト
博士(政策・メディア)。専門は労働・福祉政策、メディア論、ジェンダー。新聞社在籍時より20年にわたり、一人ひとりに継続的なインタビューを行う
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万引きが原因で離婚、それでもやめられず
「毎日、万引きができないと気が狂う」——。
当記事は「リディラバジャーナル」からの転載です。
万引きをやめられない東京都内在住の女性(33)はおよそ6年にわたり、毎日のように万引きを繰り返していた。
1年前、彼女は止まらない万引きが原因で元夫から離婚を迫られた。子ども2人の親権は元夫が持ち、彼女は独り身になった。そのときの心境を「夫と子ども2人の生活から、やっと解放されると思った」という彼女は、離婚後、さらに万引きへの依存を加速させていく。
彼女はなぜ万引きに手を染めるようになったのか。なぜ万引きに「依存」していったのか。
万引きのきっかけ
「たしか長女が1歳になる前なので7年前のことですが、いつものようにベビーカーを押しながらスーパーで買い物をしていたんです。そのとき、1000円くらいするビスケットが目に止まって、何気なくベビーカーの中に入れました。ベビーカーの覆う部分を広げて死角をつくり、子どもをあやすフリをしながら。そこから万引きが始まっていったような気がします」
そのときの心境を「子どものことよりも、このビスケットをタダで手に入れたいという気持ちに駆られていた」と話す。
盗ってもバレないーー。
その快感を覚えた彼女は以降、店頭で見かける少し高価な商品をこっそりと自らのバッグに入れるようになった。決して買えないわけでも、お金に困っていたわけでもない。ただ買うには少し高い、またあまり余計なお金を使いたくないという思いから、万引きは常習化していった。
初めの頃は食品ばかりを取っていた。慣れてくると、子どものおもちゃや服を盗るようになった。さらには、掃除機や扇風機、布団などの大型の商品も万引きするようになっていったという。
「小さな子どもを乗せることができるショッピングカートを使って万引きするんです。子どもを乗せたまま、下の買い物カゴのようなところに布団などの大型の商品を入れる。それでそのまま店内から駐車場に移動します。お店の人もそんな大きな商品が万引きされるとは思わなかったのか、いつもすんなりといただいていました」
週に2〜3回だった万引きは、いつしか毎日に。というより毎日できなければ気が狂うほどになっていた。 夫が家にいて、自由に買い物に行けない週末は苦痛だった。あるいは夫と買い物に行けば、夫が当たり前のようにお金を出して商品を買うのをもったないと感じるようになっていた。
彼女は「1000円でさえ、お金を払うことができなくなっていました。周囲に見つからないように万引きすればただで手に入るものに、1円も使いたくなかった」と話す。
夫も妻が万引きを繰り返していることにまったく気付いていなかった。家具が新品になっていても、「実家のおばが送ってくれた」などと適当なことを言えば納得していた。 彼女はおよそ6年間、毎日のように万引きを繰り返していた。6年間でお店に見つかったのはわずか3回。いずれも被害届を出されず、捕まることはなかった。
何が“入口”だったのか
なぜ彼女は万引きをするようになったのか。どのようにして万引きへの扉が開かれていったのか。
「元夫と結婚したのは、彼は大企業の正社員だったし、私は専業主婦で暮らせて生活に困らないからという理由だったんです。中身ではなくスペックしか見ていなかった。私は母子家庭で育って生活に苦労したから、とにかく安泰を求めていた。そういう気持ちで結婚してしまったので、夫に対して次第にいろいろな不満を募らせるようになっていきました」
結婚から2年が経った頃に最初の子どもが生まれる。夫が転勤族だったことから、彼女は誰も知り合いのいない環境で子育てをすることになった。平日は深夜まで働き、週末は平日の疲れをとるべく泥のように眠る夫。子育てに関して何のサポートも受けられず、ストレスを発散できる場もなかった。
近所付き合いでママ友が少しずつできたものの、今度はママ友と自分とを比較するようになった。ママ友の多くが働きながら子育てをしており、自分よりも生き生きしているように見えた。「私は何やっているんだろう?」と自問するうちに、自己肯定感は少しずつ下降していったという。
そうした日常を送る中で、彼女は知らず知らずのうちに「非日常」を求めるようになる。気づくと、普段買い物に行っていたスーパーに陳列されていたビスケットをベビーカーの中に入れていた。その行為は、彼女にとって快感だった。
「正直なところ、楽しくて楽しくて、こんな楽しいことは誰にも教えたくないし、誰にも止められたくないと思っていました」と彼女は言う。万引きは彼女にとっての「ご褒美」だった。
私、常に怒っていたんです
「誰も私を甘やかしてくれないし、甘えさせてくれない。ならば、自分で自分にご褒美をあげるしかない。今日一日頑張ったご褒美として、スイーツを買ったり、美味しいものを食べたり、マッサージをしたりするじゃないか。それが私にとっては万引きだったんです。毎日スーパーをはしごして、何軒も何軒も、何回も何回もやっていました」
一体何が彼女を万引きに駆り立てていたのか。改めて聞くと、「……怒り、なのかもしれません」と彼女は答えた。
「それが夫に向けてのものだったのかはわからないんですが、私、常に怒っていたんです。夫のご飯をつくって、子ども2人の面倒を見て……。夫は妊娠中も体を求めてきて私はあなたの性のはけ口ではないと思っていたし、家政婦じゃない、飯炊き女じゃないとずっと思っていました」
そうして、ストレスというより「怒り」を発散させるように、彼女は万引きを繰り返した。止まらない万引きが原因となって離婚に至った後も、万引きは止まらず、むしろ加速していった。
その後、彼女は「クレプトマニア」という、通称万引き依存症だと診断された。
依存症の多くはストレスが引き金となる。彼女のストレス、あるいは怒りはなぜ他でもない「万引き」による解消へと向かっていったのか。
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2017年9月に婚約内定が発表されてから4年近くの時が経とうとしているが、いまなお進展がない秋篠宮家の長女・眞子さまと小室圭さんの結婚問題。ネット上では「破談にすべき」との声も多いが、小室さんの結婚の意志は固く、破談に進む様子は見せていない。
小室さんは4月に母親である佳代さんの金銭トラブルに関する文書を発表。この直後には、“10月結婚説”が浮上しているとも報じられた。しかし、その後問題解決に向けての具体的な動きはなく、“10月結婚”は現実的ではないと言われている。小室圭さん問題について取材しているジャーナリストはこう話す。
「10月に結婚するとなれば、その2か月くらい前までには、一般的な結納にあたる“納采の儀”を執り行うこととなります。しかし、コロナ禍と東京五輪のゴタゴタがあるなかで、8月までに小室さんが世論を味方につけて、“国民が納得する状況”となるのは難しいのではないでしょうか」(以下同)
一方で、小室さんにとっては“現状維持”こそが好ましいのではないかとの見方もある。小室さんは、“眞子さまのフィアンセ”として、米フォーダム大学ロースクールの授業料を全額免除する奨学金を受けたと言われている。
「小室さんが、眞子さまの婚約内定者であるということで、特別扱いを受けられたのは間違いないでしょう。また、小室さんは7月にニューヨークの司法試験を受ける予定で、すでに就職先も決まっていると言われています。日本ではバッシングを受けていても、ニューヨークで生活する分にはあまり影響もなく、まさに“現状維持”でそれなりに安泰なわけです。小室さんの一時帰国の予定もないようですし、まさに“現状維持”を選択している状況とも言えます」
さらに“強行結婚”の可能性も指摘され始めている。つまり、納采の儀などの儀式を一切やらず、婚姻届を提出するという形だ。これを実現するには、眞子さまが皇籍を離脱する必要がある。
「眞子さまと小室さんの結婚の意志は強く、もしもこのまま“国民の納得”が得られないままであれば、強行結婚を望んでいるのかもしれません。とはいえ、まず眞子さまが皇籍を離脱するには、皇室会議の了承を得る必要があり、それは簡単なことではない。ご本人だけの問題ではなく、皇室全体の問題となるので、現実的ではないでしょう。仮に眞子さまが皇籍を離脱されたら、いままで以上の反発を受けるはずで、秋篠宮さまがそういった事態を許すとも思えません。あくまでも、納采の儀などの儀式を経たうえで結婚する道を模索していくはずです」
異例の“事実婚”の可能性
皇族として結婚することも、皇籍を離脱して結婚することも難しいのであれば、“事実婚”を選択する可能性も考えられる。つまり、眞子さまは皇籍を離脱せず、はたまた婚姻届も提出せず、小室さんと“内縁関係”になるということだ。
「たとえば、眞子さまがニューヨークに引っ越されて、そこで小室さんと生活をともにするという形での“事実婚”も考えられるとは思います。ただ、このケースは異例中の異例ですし、現地での警備なども含め、多くの皇族費が小室さんに費やされることとなり、国民の反発も大きいでしょう。そういう意味でもまったく現実的ではないと思います。ただ、小室さんのこれまでの動きは、皇族の婚約内定者としてはあまりにも異例であったのも事実であり、誰もが予想し得ない展開が待っている可能性も否定できないとは思います」
やはり、納采の儀などの儀式を執り行ったうえでの結婚が現実的であるのは間違いない。しかし、そのためには“国民の納得”が必要であり、小室さんにとってはそれこそが最大のハードルとなっている。もはや袋小路ともいえるこの結婚問題。果たしてどのような形で決着するのだろうか。
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「コロナ禍で糖尿病のリスクが高まっている」と、8割の医師が警告を発していることを報告した日本生活習慣病予防協会の調査結果は、血糖値が気になる中高年世代には衝撃だった。しかも、糖尿病にはなっていなくても高血糖の状態が長く続けば「血糖負債」として、血糖が負債のようにたまって、体にダメージを与え、健康寿命を脅かすというのだ。血糖コントロールの指標であるHbA1cの値が重要になるようだが、どう対策すればいいのか。そのヒントを、同協会が実施した「『血糖負債』オンラインセミナー」で見つけた。
◇ ◇ ◇
「『血糖負債』とは、たとえ異常値には達していなくても、高血糖状態を長年放置していると、体にとって取り返しのつかない負債になることを表す言葉です」と、日本生活習慣病予防協会の宮崎滋理事長。
人間ドックや健康診断などで血糖の状態を示す指標であるHbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)が6.5%以上であれば糖尿病と診断される。しかし、HbA1cがその手前の5.6〜6.4%の場合でも少しずつ「血糖負債」がたまってしまい、体が徐々にむしばまれていく恐れがあると言うのだ。
「問題なのは、糖尿病や『血糖負債』の指標となるHbA1cについて、一般生活者の方々の6割以上が知らないこと。糖尿病や『血糖負債』のリスクを減らすためにも、まずはHbA1cを知る・計ることが重要なのです」
なぜ血糖値の指標としてHbA1cが重要なのか。順天堂大学大学院医学研究科代謝内分泌内科学の綿田裕孝教授はこう話す。
「血液中のブドウ糖の量を測るのが血糖値ですが、血液中のブドウ糖の量は、食前・食後で大きく変わります。そこで、有用な指標として用いられているのがHbA1cです。これは、少なくとも過去1〜2カ月間にわたる血液中のブドウ糖量を示すので、食前・食後に関係なく、血液中のブドウ糖濃度がどれだけ高いのかを的確に知ることができるのです」
順天堂大学大学院医学研究科代謝内分泌内科学 綿田裕孝教授
血糖がほんの少し高いだけで心疾患や脳卒中のリスクが上がる…
血液中の赤血球にはヘモグロビンというタンパク質がある。このヘモグロビンは、その周りに存在するブドウ糖によって糖化されてしまうそうだ。
「一般的にヘモグロビンの寿命は120日程度。過去に糖化されたヘモグロビンは、体の中で分解されない限りある程度の期間残ります。したがって、HbA1cは過去1〜2カ月の血糖値がどれだけ高かったかを示すことになるわけです」(綿田教授)
健康診断を受けるときに、良いデータを出そうとして2日間絶食すると血糖値はストンと落ちるが、HbA1cはほぼ変化しないそうである。
「血糖がほんの少し高いだけで、正常値の人と比べて心疾患や脳卒中のリスクが上がると言われています。そういう意味でも、『血糖負債』が溜まりつつある状況を見過ごさないことが重要。『血糖負債』が溜まっていても、早い段階で対策をすれば疾患の悪化にブレーキがかけられます」
リンクアンドコミュニケーションCPHO・管理栄養士 佐々木由樹先生
食事は未精製穀類、野菜、果物。そして運動は1日20分、週3回を目標に
どうやって血糖負債対策をすればいいのか。
「高血糖対策の基本の『き』は食事療法です。減量するためには食事の量を減らすのではなく、カロリーを調整してください。太る・痩せるは、カロリーの影響が大きいからです」とアドバイスするのは、管理栄養士でリンクアンドコミュニケーションCPHO(最高公衆衛生責任者)の佐々木由樹先生。
「1日1食分を、例えば、玄米ご飯やシリアル、そば、全粒粉パスタなどの未精製穀類にすることも大切です。未精製穀類の摂取量が1日あたり90グラム増えると、糖尿病リスクが26%低減するという報告もあります。また、野菜や果物は積極的に摂ると良いでしょう。間食でお菓子を食べる人はタンパク質とミネラルが豊富なヨーグルトを使ったデザートに置き換えることもお勧めします」
もう1つの高血糖対策は運動だ。
「リモートワークなどで2時間座り続けたら、ストレッチなどで10分ほど軽く体を動かすようにしたほうがいいですね。また、アメリカの糖尿病ガイドラインでは、少し息がはずむような運動を1日20分程度(週2.5時間)行うことを推奨しています。できれば毎日するのがいいのですが、まずは週3回を目標にはじめてみてください」
できそうなことを実行して、「血糖負債」をチャラにしたいものである。